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ありえねぇ !! 5話目 前編

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ありえねぇ!! 五話目 1.






朝十時



ミカドの首なし幽霊に、もし今顔があったのなら、きっと般若の面がふさわしいかもしれない。



「冗談のつもりだったのに」


幽が、ミカド特性【朝食用、スペシャルベーコンエッグサンドイッチ】を齧っている向こうで、ひたたたたたと気配だけは静かに、でもどたばた音を立てながら、乾燥機からシャツを取り出し、ぱたぱた畳む幽霊の姿が目に入る。

いつもなら、幽霊におやつを強請って擦り寄っていく独尊丸ですら、彼のおどろおどろしい気配に恐怖し、幽の膝の上に避難して、じっと蹲っている。

「ごめん、ミカド」

『謝っている暇あったら、さっさと食べて、そこらのダンボールにガムテープ貼っていってくださぁぁぁぁぁぁい!!』

PDAをつきつける手が震えている。
もし、顔があったら泣いているかもしれない。



昨夜、幽がFAXを送っておいた不動産屋が、自宅を訪問したのは三十分前。
16階の階段を昇りきった恰幅の良い営業部長とその部下は、息も絶え絶えな程、汗だくだった。


「……本当に、不便ですね……」
「うん」
「……これなら、お引越しを急がれたいお気持ちは判ります……」
「うん、ありがとう。じゃあ書類を頂戴」


愛想もなく、ミカドが準備してくれた紅茶セット三人分を居間に運び、諾々と注ぐ。
彼らに飲み物を振舞い終えると、営業部長が茶封筒から十数枚の契約書を取り出した。

マンションの売買契約書だ。
結局、昨夜独尊丸がたしっと前足を置いたものに決めたのだ。

「ご希望は、本当に全部屋お買い上げですか?」
「うん」

やはり無表情のまま、次々と書類にサインをする。

朱肉と印鑑を下っ端営業マンが受け取り、できあがった書類をせっせせっせと捺印していく。
部長の方はゆったり構えて紅茶を啜っているが、ほっぺたを必死で引き締めており、腹の中は狂喜乱舞しているに違いない。

「最上階なら、直ぐに住めるんだよね?」
「勿論です。ただ売り出し前でしたので、まだ下のいくつかのお部屋の内装が仕上がっておりませんが」
「其処はゆっくりでいいよ。今の所、他の部屋を誰かに貸す、売るの予定は一切ないし。兎に角、今の不便なマンションから脱却と、ファンの目から離れるのが、俺の希望なのだから」

ベランダから道路を見下ろせば、今日も元気に学校をサボった女子学生達が、集団となって羽島幽平の出待ちをしているだろう。
春休みまで後僅か。しかも最高学年はこれから次々と卒業式を終える筈。
日が伸びれば伸びる程、屯するファンが増えるのは目に見えている。
ここの周辺住民と問題を起こす前に、自分は早々に姿をくらませる必要があった。

「では羽島さん、入居のご希望日は何時にしましょう?」
「今日にでも。なので引越し業者の手配を宜しく。できなければこの話は無かった事になるね。クーリング・オフ期間八日あるんでしょ?」

個々の部屋全ての分、サインをしなければならないのが面倒だった。
一人だけ手持ちぶたさの部長に対し、軽い冗談のつもりだったのに。
幽は己の顔の破壊力が与える影響を、全く知らなかった。

無表情の羽島幽平は、傍から見たら真顔に見える。
恰幅の良い部長は、にこやかな顔を瞬時に引きつらせ「君、できるだろうね。できなければクビだよ♪」と、横に丸投げしやがった。

印鑑を持っていた彼は、今度こそ書類の海に轟沈したが、この世知辛い就職難のご時世である。
命令には逆らえまい。
涙目になりつつも、身を起こした彼は、颯爽と己の携帯を構えなおした。


そもそも、こんな客の気まぐれが原因で、数億の契約が取り消しになるのは嫌だろう。
新築マンションを売却したら、そのお客と速攻で縁を切る不動産屋は、悪徳か、欠陥住宅と判ってて売りつけた等の後ろ暗い事が無い限り、絶対と言っていいぐらい居ない筈。

マンションオーナーになったら毎年、手持ち物件には、諸々の維持管理費が発生する。
例えばエレベーターの年間メンテナンス料だけでも十数万円かかるし、それに広大な敷地の除草、掃除、電気や水周りの修繕から、TVアンテナの配線、それに十数年に一回は外壁などの模様替え等々……。
自身が不動産関係者か建築業者なら、全て己で手配できるだろうが、一般人オーナーならまず無理だ。

なのでそれらは大抵、不動産屋と管理契約をし、全部丸投げでお任せとなる。
結果、不動産屋は物件を買ってくれたオーナーから管理費を貰った上、仕事を依頼する各業者達からも、斡旋手数料をピンハネできるのだ。

しかも羽島幽平は、億万長者で俳優。
知名度は高い上、不払いのトラブルはまず心配いらない。
このご時世に、之ほど条件の良い上客を逃せる訳がなかった。


「ご希望は、今住んでいる部屋そのものと同じ配置に家具を並べ、今日からお住まいになる事ですね。ガスと電気と水道会社と清掃会社が午前中に入ります。……引越し業者の手配も終了いたしました。午後からお荷物の運び出し作業を行いますので、ご準備をお願いします」


営業マンの涙ぐましい努力と手配手腕がキラリと光った。
こんな、十六階の最上階からエレベーターが使えないにも関わらず、本当に今日、引越しする事になってしまうなんて。


「俺、本当に悪気はなかったんだ」


そうぽつりと幽がミカドに言葉を投げかけても、首幽霊は、がしゃがしゃと音を立てながら、シンクで洗い物作業に取り掛かっており、振り向きもしない。

「ミカド、お願い、機嫌なおして。俺、いつものぽわぽわした雰囲気のお前が好きだ。ね♪」

ミカドを見習って、可愛く語尾に♪マークをつけてみたが、自分で言っておいて似合わないと笑える。
そのうち、しつこい幽との攻防戦に負けた彼が、うねうねと蠢く影を揺らし、背中向きのままPDAに何かを入力し、びしっと振り向かないまま突きつけてくる。

『いいから、ごちゃごちゃ言い訳なんて止めて、作りつけの下駄箱に入っている靴とか傘を、とっととダンボールに放り込んでいってください!! ベランダにも一足ありますから、それも忘れないで。それからお風呂場。リネンとかシャンプーとか石鹸に剃刀、バスローブとかも、棚に入っているのは全部掻き出して。それから後……えーっとえーっと……><、><、><、><、………あぁぁぁぁぁぁぁ、時間が足りなぁぁい!!』、

とうとうパニックを起こしだしたようだ。
簡単な顔文字で、泣き顔を大量生産しだすなんて、とっても可愛いが、幽はますます申し訳なく思えてくる。


「ごめんミカド。俺仕事あるから、後三十分後にここを出る。後は宜しくね」


首なし幽霊は、今度こそ泡だらけのスポンジを放り投げた。
そして、床をごろごろ転がりまくり、無いはずの頭を抱えてのたうちまわりつつ、PDAを振り回す。


『ありえなぁぁぁぁぁぁぁい!! 幽さんのぶゎかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』



★☆★☆★


同日同時刻の十時。
平和島静雄の自宅では今、彼の青色の携帯から、賑やかなコール音が鳴り響いていた。
だがその持ち主は未だ、ベッドで丸くなり、爆睡中である。