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神月みさか
神月みさか
novelistID. 12163
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ハッピー! ハロウィン

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《 静雄の場合 》



 平和島静雄は最初、その言葉が自分に向けられたものだということに気付かなかった。

「トリックオアトリート!」
「――あ?」

 聞き覚えのある声にもしやと思い、振り返ってみれば頭ひとつ低い位置に見慣れた顔があった。

「竜ヶ峰か。どうした?」
「ですから、トリックオアトリートです。ハロウィン、知りませんか?」
「ハロウィン? あー……聞いたことあんな」
「聞いただけですか。なるほど」

 帝人は納得したように頷いた。
 知らなかったことは事実だが、静雄はなにやら不本意な気分になった。

「なんて言えばいいのかよくわかりませんが、簡単に言ってしまえば西洋の宗教的なお祭りです。クリスマスと同じですね。この国ではあんまり意味とかは考えずに、お祭り騒ぎをするだけのイベントになっています。とは言え知名度は段違いですから、静雄さんが知らなくてもおかしくはありませんよ」
「……おかしくはないか」
「はい。大人の男のひとには特に縁が少ないと思いますし」
「……そうか」

 ジェネレーションギャップという奴だろうか。
 まだまだ若いつもりでいた静雄だったが、どうやら本当に若い世代からは取り残されてしまっているらしかった。
 これまではそんなことは気にしたこともなかったしどうでもいいと思っていたが、帝人から取り残されるのは嫌な気分だった。

「なぁその――トリックなんとかってのは?」
「お菓子をくれなきゃ悪戯しちゃうぞ? って意味です。子供がお化けの仮装をして家々をまわって、その言葉を言ってお菓子を貰って歩く、ていうイベントみたいです」
「つまりガキのイベントなのか」
「そうですね。ですから静雄さんがお菓子をくれなければ、イタズラしちゃいますよ。僕はまだ子供ですから」
「――なるほど」

 道理で今日の帝人は黒い服の背中にコウモリのような黒い羽をくっつけている訳だ。これはお化けの仮装だったのか。

 静雄はポケットを探ると飴をひとつ取り出して帝人の手に握らせた。

「ほらよ。これでいいのか?」
「……これは?」
「トムさんがくれた飴だ。なんか血糖値が下がるとイラつきやすくなるからっつってよ」
「え、それ血糖値に関係するんですかね? てゆーか……まあ、いいですけど」
「ん? 違うのか?」

 なにやら不満そうな帝人の様子に、静雄は内心首を傾げた。
 帝人はなにも答えずに飴のパッケージを剥いで口の中に放り込んだ。

「竜ヶ峰?」
「………」
「菓子を渡すイベントなんだろ? 違うのか?」
「……違いません。子供相手の場合は正解です。――が」
「が?」

 飴を口の中で転がしながら、帝人は拗ねたように答えた。

「――恋人が相手の場合は、『お菓子はないからイタズラしてくれ』が正解です」
「――あ」

 失敗した。
 静雄は自らのミスをはっきりと悟った。
 考えてみれば確かにそのとおりだ。
 甘い物を食べて表情を綻ばせる恋人を見るのも確かに楽しいが、普段はして貰えないような悪戯をされる方がずっと楽しい筈だ。相手がそのつもりでいたのならば尚のこと、この対応は無粋の極みだった。

「あー……竜ヶ峰?」
「なんですか?」

 帝人のまろやかな頬が飴の所為だけでなく膨れている。完全に拗ねている。
 静雄は頭をがりがりと掻いて気まずそうに視線を泳がせた。

「その、あれだ」
「どれです」
「あー……トリックオアトリート?」
「………」

 帝人はじとりと静雄を睨み上げた。
 静雄は若い恋人の反応を大人しく待った。
 しかしノーリアクションのまま時間だけが過ぎていってしまう。

「……あー……竜ヶ峰?」

 また間違えただろうか。
 そんな表情で頭ひとつ下にある幼い表情を窺えば、はぁと大きな溜め息が落とされた。

「静雄さんからの悪戯は禁止です」
「そっか……」
「だからお菓子を差し上げますので屈んで下さい」
「おう……」

 腰を折って身を屈めれば、帝人はもう一度溜め息を吐いて呟いた。

「こういう鈍いところも大好きなんですけど、ちょっと焦れますよね」
「なんのことだ?」
「はい」
「!」

 帝人はぱくりと静雄の唇に食いつくと、口移しで飴を静雄に渡した。

 照れ屋の年下の恋人は、これまでひと目のあるところでこんな接触を許してくれたことは一度もなかった。
 驚愕と歓喜で硬直している静雄からあっさりと身を離すと、帝人は頬を紅く染めて睨みつけた。

「こういうつもりで言ったんじゃないんですよね?」
「………」
「でしたら言われる前に屈んでいる筈ですし」
「………」
「ああ、もういいです。天然なところも静雄さんの魅力のひとつですから。失礼します。お仕事頑張って下さい」
「………」

 少年はぺこりと頭をひとつ下げ、足早にその場を立ち去ってしまった。
 後に残されたのは電池の切れた自動喧嘩人形がひとつ。サングラスの所為で顔は見えないが、耳まで紅くなっている。

(――え? あれ? なんだ、今の? 帝人――はいねえし、……夢? 妄想か? 俺はそんなに溜まってたか?)

 まわらない頭を回転させてみても答えは出ない。
 しかし口の中には自分で食べた記憶のない飴がひとつ。

(――あれ????)

 自動喧嘩人形の電源はしばらく入りそうになかった。