ハッピー! ハロウィン
《 臨也の場合 》
「トリックオアトリート! お菓子をくれないとイタズラしちゃうよ☆」
「……寒いです、臨也さん」
「もうじき冬だからね! なに? 帝人君コート買うお金もないの? だったら俺とおそろいのコートプレゼントしてあげるよ!」
「いえ、寒いのは臨也さんの存在そのもので、気候は無関係です」
「え? なに? ひどいなぁ、俺否定?」
白い目を向けてくる帝人に、臨也は胡散臭い笑顔全開でくるりと回って見せた。
白いファーの付いた黒いコートの裾がひらりと広がる。そこまではいつもと一緒だ。
しかしこの日はコートと一緒に黒い尻尾も翻った。頭には三角形の獣耳まで付いている。
「似合うでしょ? 今日の俺は黒猫だよ!」
「寒いって言ってんですよ、24歳男性(独身)」
「帝人君も良く似合ってるよ、サキュバス! 俺の精気ならいくらでも吸い取っていいからね! どう? 素敵なホテルに案内したげるから、一緒に淫蕩な夢を見ようよ!」
「ひとりで勝手に夢でもなんでも見ていて下さい。但し僕の出演は拒否します」
普段着たことのないような黒い衣装に黒い羽を背負った帝人は、殊更冷たい瞳と口調で性犯罪的発言を斬り捨てた。
しかし臨也は懲りた様子もなくにやにや笑うばかりだ。それどころか図々しくも擦り寄ってくる。
「やだなぁ、帝人くんてば不機嫌なんだから。どうせあの鈍い化け物に誘いを掛けて失敗したんだろ? ダメダメ! あんなの相手にしてちゃダメだよ! こんなに可愛い小悪魔に迫られても気付かないような脳ミソの硬化した獣を相手にしてたら、せっかくの食べ頃の時期を逃しちゃうよ!」
「とにかく離れて歩いて下さい。意図せずに同じような色彩の仮装になっちゃってるんです、もしも同類だとでも誤解されたら羞恥のあまり池袋の道を歩けなくなってしまいます」
「いいじゃない、お揃いの仮装で! 打ち合わせもせずに同じ格好って、やっぱり俺達心が繋がってるんだよ! ――で、否定しないってことは、その格好でモーション掛けたのにド鈍の喧嘩人形は気付きもしなかったんだね?」
「いい加減にしないと刺しますよ?」
帝人は子泣き爺のように背中に貼り付いている臨也を引きずったままずんずんと歩いている。向かっているのは最寄駅の方向だ。
やはり黒い色をした手袋に包まれた右手には、いつの間にか安物のボールペンが握られている。使い方によっては一度で使い物にならなくなってしまう為、安価な品を何本も持ち歩いていることは、親友である紀田正臣すら知らない事実だ。
「いいじゃない、シズちゃんにフラれたなら俺と付き合おうよ。俺なら帝人君に寂しい思いはさせないし、大好きな非日常だって飽きさせないくらい用意してあげるよ? 期待は裏切らないし、そんな風にがっかりさせたりもしないし」
「新宿一残念なひとがなにを言ってるんですか。第一振られてはいません」
「またまたー」
「ホントにイラッときますね……!」
帝人はボールペンをカチカチと弄りながら不機嫌全開の様子で言った。
「外見以外はすべてがっかりな大人がふざけたことを言わないで下さい。しかも今日はその外見すらがっかりじゃないですか。なんですかその猫耳は。なんですかトリックオアトリートって。週に一度のポテトチップスすら節約している苦学生に向かって言う台詞ですか。ああ、本気でイラつきますね。ボールペンが手元にあるとつい刺したくなってきますよ」
「じゃあ取り敢えずそのボールペンから手を離そうよ」
帝人の本気が見えてしまった臨也は、帝人の右手をそっと握った。しかしボールペンをノックする親指の動きは止まらなかった。ちょっと怖い。
「とにかくさ、せっかくのハロウィンを棒に振ったんでしょ? あの男は。自主的に。だったらさ、あんなのほっといて楽しむのが正解だと思うけどなぁ俺は。高校一年のハロウィンの夜は一度きりしかないんだよ?」
「余計な世話です」
「てゆー訳で、お菓子をくれないからイタズラしていいよね?」
「あ、交番が見えてきましたね」
駅の近くに設置されている交番がふたりの視界に入った。
未成年者にセクハラをしていた成人男性はしぶしぶ腕を解いて身を離した。
「ちぇーっ、つまんないなぁ」
「そもそもお菓子を強請るのは子供の側です。たかるような大人気ない真似はやめて下さい」
「いいんだよ、俺は永遠の少年なんだから」
「永遠の21歳じゃなかったんですか。それはもう少年じゃないですから」
「つまんない、つまんない、つまんない。シズちゃんなんかに振られたからって、八つ当たりは可愛くないなぁ」
「……良かったですね、交番が近くて」
帝人の右手の中でボールペンがみしりと鳴った。
危険極まる水域にある帝人の機嫌を気にした様子もなく、臨也は変わらずにやにや笑っている。むしろ帝人のイラつきぶりを面白がっている様子だ。
「じゃあさ、帝人君から強請ってよ。トリックオアトリートってさ」
「………」
キレたときの自動喧嘩人形のように顔に血管が浮きそうな状態に帝人はあったが、深呼吸ひとつでなんとか押さえ込んだ。今時の若者としては驚異的な沸点の高さを誇るだけのことはある。
しかし声に怒気が混ざるのは隠しようがなかった。
「……トリックアンドトリート」
ぼそりと呟かれた台詞に、臨也は帝人の顔を覗き込んだ。
怖いくらいの無表情で、瞳は氷のように冷たかった。
しかしそんなことを気にするような精神の持ち合わせは臨也にはなかった。
「え? アンド?」
「今日は特別です。お菓子をくれるなら、イタズラしてあげます」
「――えっ!? ホント!? 帝人君のイタズラ!?」
狂喜乱舞し掛けた臨也だったが、直後に失望したように空を仰いだ。
「――って、帝人君にイタズラして貰わなきゃって思って、お菓子は置いてきちゃったよ! 待ってて! 今買ってきてあげるから!」
「制限時間は5秒間です」
「短っ!! 帝人君のデレの有効期限、短すぎるよ!!」
「ハロウィンの夜にお菓子を持っていない大人なんて用無しです。ではさようなら」
「待ってってば! 超高級なのでも行列必至の有名店のでもなんでも買ってきてあげるからさ! お菓子だけじゃなくて、服でもアクセサリでも好きなの買ったげるよ! お小遣いも好きなだけあげる! だから付き合ってよ!」
後ろも見ずにすたすたと駅の方へと歩み去る帝人に、臨也は必至で縋りついた。
駅までの道程として交番の前を横切らねばならないことを、援交発言を大声でしている大人はすっかり失念していた。
作品名:ハッピー! ハロウィン 作家名:神月みさか