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ラブ・ソープ

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ごうごうと、風が渦巻き流れてゆく。
「……おい」
秋も終わりの夜風は、少しずつ次に控える冬の気配がして冷たく鋭利さを増してきている。
狭い室内にいるというのに、流れる空気に体温を奪われ、ひんやりとする鼻先を両手で押さえて、黒田は傍らの男へと呼びかけた。
けれど、手のひらで覆われた言葉は明瞭さを欠いているのか風に流されてしまったのか、ステアリングを握る男からの応えはない。
いや、もしかしたら聞こえていてあえて無視しているのかもしれない。
二人きり、狭い車内にいるというのに、どこかぴりぴりとした雰囲気を漂わせる相手に、黒田は両手で押し隠したままひっそりと溜め息を吐く。そうして、両手を下ろしてもう一度、男へと呼びかける。
「おい、スギ……」
けれど変わらず応えはない。
やはり、今日の杉江はなにやら機嫌が悪いらしい。黒田と違い、良く言えば穏やか、悪く言えば感情の起伏の乏しく思われがちな杉江は、一見すればいつも通りに見えもするが、そこは短くない付き合い、しかも公私共に四六時中傍にいる黒田には滲み出す雰囲気を敏感に察していた。とはいえ、ただむつりと黙り込んでいる杉江からは、さすがの黒田もその不機嫌の原因など分かるはずもなく。
なにを怒ってやがンだ……。
ちらりと横目で男を伺う。今の杉江はただ黙って目の前の闇に沈む道を見つめていて、そのどこか追い詰められたような横顔に黒田の胸と腹の間、鳩尾あたりがきゅっと痛んだ。
普段、黒田がどれほど振り回そうが、多少きついことを言おうが黙って受け止めてくれる相手なだけに、こうして頑なになられてしまえばすっかりととりつく島がない。途方に暮れてしまう。
練習中は、こんな雰囲気ではなかったはずだ。いつも通り無茶苦茶な達海の、型破りな練習に付き合わされて心身共にへとへとにされたが、黒田とは違い杉江はマイペースに従っていた。
それがいつからこんな風になったのか。黒田が最初に異変を感じたのは練習後、ロッカールームで丹波たちに食事に誘われたあたりからだった。
練習後、気の合う者同士で食事に行くのは良くあることで。いつものように黒田とセットで食事に誘われた杉江は、けれど丹波からの誘いに短く クロと先約があるから、と返事をしていた。近しいとは言え仮にも先輩相手に、無表情のままずいぶんとぶっきらぼうな言い方をする杉江に驚いた。しかも、そんな約束なぞした記憶もない。
とりあえず、とっさに杉江の嘘に口裏を合わせて二人で食事に向かったのだが、その頃から徐々に口数は減り、今ではこのありさまで。思い返してみたところでおおよそきっかけと言うものはてんで思い出せやしない。
考えているうちに、根っから単純な黒崎は考えるという行為に疲弊してしまう。だんだんと、隣に座る男の態度に振り回されていることにも腹が立ってきた。むっと歪んだ頬を手の甲で擦って、すっかりと熱の奪われた肌にさらに口の端を引き下げた。
「……おい、閉めンぞ」
晩秋だというのに、杉江の運転する彼の車は、今日は乗り込んだときから運転席も助手席も窓が数センチ引き下げられたままだった。車が走る速度に合わせて、乾いた冷たい風がその隙間から容赦なく吹き込んでくる。
このままじゃ、自分も杉江も体が冷えてしまう。体が資本の職業だ、それはまずいだろう。一言宣言して、パワーウィンドウのスイッチを押す。
「……って、オイ!」
けれど、一度は閉じた窓は、信号待ちで止まった瞬間に傍らから伸びてきた杉江の指先に再び引き下げられてしまう。助手席の黒田の上をすんなりと横切る長い腕に、思わず文句が口をつく。
「寒ィだろーがよ!」
「悪い、でも……」
再び動き出した車に、びゅうびゅうと風が吹き込む。文句を言う黒田に、腕同様すんなりと長い指先がカーエアコンのパネルを弄る。
「空気が籠もってるの、イヤだから」
「ンだよ……もったいねーことすんなよ」
ずいぶんと久しぶりに聞いた気のする杉江の声。どこか裡の感情を押し殺すような声音で、答える杉江に、またぞろ鳩尾のあたりがきゅっとなる。狼狽える自分を誤魔化すように、黒田は窓の向こうへと視線を転じた。
静かな稼働音と共に傾けた顔へと、生ぬるい風が吹き付ける。どこか埃臭いそれに軽く顔をしかめ、けれどそれもすぐに窓からの冷たい夜風に流されていく。
空気が籠もってるの、イヤだから。
確かに、こんな臭いを押し流してくれるのはありがたい。考えて、黒田の頭にふとなにかが掠めた。

***

「あれ? クロ」
練習を終えて、汗みずくの体をいつものように烏の行水で流して、さっぱりとした気分で着替えていると、一足遅れてやってきた杉江がすぐ後ろで立ち止まり、どこか不思議そうな声を上げた。
「ンだよ?」
「いや、香水なんて使ってたっけ?」
訝かるように呟きながら、くんと鼻を鳴らす仕草は吉田の犬以上に犬のようで、つられて己も袖口を鼻先へと近づけて匂いを嗅ぎ、ああ、と合点する。
温もった肌から立ち上るのは、甘く湿った花の香りで。
「――セッケンのにおいだろ」
「石鹸の匂い? クロ、こんなの使ってたっけ?」
答えた黒田に、けれど杉江が尚も食い下がる。杉江の記憶と嗅覚の良さにずいぶんと驚かされながらも、その勢いにいささか気圧され、思わず口ごもりながら答えれば、なにやら歯切れの悪い喋り方になってしまった。
「や、いつも使ってたの切れたから、今日新しいの持ってきたんだ」
「ずいぶん、いい石鹸みたいだけど……」
確かに、黒田が普段適当にドラッグストアでまとめ買いするような石鹸に比べ、今日持ってきた石鹸は一個一個、透明なセロファンにの袋に入れられた状態で、ハムスターの巣材に使われそうなクリーム色の紙片を盛られた籠に入れられていたのだ。まるで、高級な果物のような扱いからして、いい石鹸と言えばいい石鹸なのだろう。
そんなことをぼんやりと考え込んでいると、唐突に目の前に大きな手のひらが差し出された。杉江の手だ。
「…――見せて?」
「ん? ああ……ホラ」
しばらくぽかん、とした後に杉江の足りない言葉を理解して、ロッカーに仕舞っておいたもろもろの間から石鹸箱を取り出す。プラスチックのケースごと手渡した黒田に、杉江は暫くケースの外から匂いを嗅いだ後に、蓋を開いた。
「プレゼント?」
箱の中に入っているのは、ピンク色をした石鹸だった。自宅の玄関先、暖色灯の下では気付かなかったけれど、そのファンシーな色合いも、そうして甘くゴージャスな花の香りも、黒田の日常からはかけ離れたものだった。
「見りゃわかンだろ!」
「そう」
こんなものをまさか、自分で買うとは思ってないだろうな?
四六時中傍にいて互いの好みなどとうに知り尽くしていると思っていた杉江に問われ、いささか憤慨した気分で答える黒田に、けれど杉江はどこか上の空な口ぶりで答えるて、差し出した時同様、唐突な仕草で黒田の胸元へと石鹸の箱を突き返す。
「ありがとう」
そのまま口を噤むと、黙って着替え始めた。
思い返せば、杉江の不機嫌はあの時から始まったような気がした。

作品名:ラブ・ソープ 作家名:ネジ