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みんと@ついった中毒
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好きだと言えたならよかったのに

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他国から開国を迫られている今、何かを選択するということはつまりこれから自分が誰の手を取るのかを定めなければならないということだった。あの人の手から離れて誰かの手を取ることの恐ろしさや悲しさを思うだなんて、本来国という存在であるが自分抱いて良い感情ではないことは重々承知である。決断の時が迫っていることはわかりきっていたし、それを決めるのは上司であって自分にはそんな権利さえ与えられていないこともわかっていた。それでも、その時が少しでも延びてしまえばいいと願うことくらい許されてもいいではないか。
こんな爺放っておいてくれたらよかったもの、どうして開国だなんて求めてくるのだろう。わたしはそんなこと、望んでいないというのに。
米国からの開国要求を聞いてからというもの、ずっとそんなことを悶々と考え込んではため息ばかり吐いていたような気がする。障子をすべて締め切って真っ暗な部屋の隅にうずくまりながら、ぼーっと畳みの隙間を見つめる。張り詰めた心を少しでも和らげようと布団にくるまったはずだったのに、ちっとも傷は治らないし、それどころかズクズクと抉られていくように痛んで仕方ない。
飛び出してしまいそうな気持ちの理由も何もかも知らないままでいたならば、こんなに胸が痛くて堪らない思いを抱えずに済んだのでしょうかね。そうひとりごちた苦笑など空気に溶けて誰にもわからないだろうというのに、もしも今隣に貴方がいたのならばこの心の内を読まれていたかもしれないなどと考えている時点で諦めることなど不可能だったのだ。
このままあの国の言うとおり開国をしたとしたならば自分が取るべき道はひとつに決まっているようなものだ。その選択肢に貴方が含まれていないこと、これから歩むはずであろう道の先に貴方がいないことなど、今の世界情勢から考えたら簡単に導き出せてしまう。鎖国してもう200年、あまりに甘く心地よい時間にどっぷりと浸かりこんでしまっていたようだ。この幸福な時間を切り捨てるだなんて、割り切れるほど単純な問題ではなかった。誰かたった一人を思うことなど知らなければよかったのに。
痛い痛いと胸の奥がキリリと歪む。痛くて張り裂けてしまいそうなど、よく言ったものだ。そんなものじゃない。体中が切り刻まれるほうが幾分かマシなのではないかと思うほどに心が痛んだ。あまりの苦しさに両手で顔を覆うとようやく自分が泣いていることに気がつく。ぼろぼろと零れる水分はどこへ流れていくのだろう。もしもこのまま地面に落ちて吸収されたそれが川へ海へと流れて少しでも貴方の元へ届いたのならそれはそれは幸せなのかもしれない。ああ、そうやってわたしも溶けて貴方の元へ行けたならよかったのに。
部屋の中に閉じこもっていると、嫌なものを見なくても嫌なことを聞かなくてもすむというのに心の中は晴れないままだ。反って嫌なことばかり考えて、身体のなかに何か得体の知れないぐるぐると薄暗い渦のようなものが蠢いているみたいだった。
綺麗なものだけを見つめて甘い時間だけを享受していられたらよかったのに。あの大きな手で頭をそっと撫でられる幸せ、暖かな腕の中に抱き込まれる幸せ、ただ二人で一緒の空間にいるという、それだけの幸せすら彼らは奪っていくというのか。
ああ、なんて、世界は無情なのだろう。

「何塞ぎ込んどるんじゃ、爺さん」

突然、視界一杯にチューリップの赤色が広がったかと思えば聴きなれたよく通る低い声が鼓膜を揺さぶってようやく我に返った。ぽかん、と間抜けな顔をで見上げるとくつりと喉で笑われて「何や、ボケるんにはまだちょいとばかし早いで」と優しい声色がわたしを宥めたのがわかる。ドロドロとしたものが消えて塞ぎこんでいた心が晴れていき、モノクロだった世界がパッと鮮やかに色づいた。こんなにも世界は明るくて美しかっただろうか。
少し口角を上げて目をすっと細める笑い方に何か熱いものがこみ上げてきてたまらない気持ちになる。ああ、和蘭さんだ。そう思うといてもたってもいられず包まった布団の中から両腕を目一杯伸ばした。指先が少し袖に触れてそのまま引っ張ると先ほどよりも二人の距離が縮まる。先に布団から出るのが普通じゃないかのう、なんて言いながらも優しく抱き上げる腕は相変わらずがっしりとしていて、まるで子供のように布団ごと抱きすくめられてしまった。
何も言わなくても貴方はすべてをわかったようにわたしのことを抱きしめるから、だからこんなにも辛いのですと言いたかった。
だって、貴方との時間がなくなったとき、わたしは一体誰にこうして甘えたらよいというのです。貴方がわたしをドロドロ甘やかしてしまったから、この腕の中が恋しくて堪らないというのに。一緒にいられないというのならこれ以上わたしを甘やかさないで、だけどもう貴方がもたらす甘さなしでは生きていけやしない。
甘やかさないで、甘やかして、そんな矛盾した気持ちが心の中でせめぎ合う。それでもわたしは貴方との時間を捨てられずにいるのだ。
抱きしめられた腕の中でそんなことを思った。暖かくて優しい香りのするこの場所は間違いなくわたしの拠り所だったのだ。

「ほら、土産やざ」
抱きしめていた身体を押して距離をとったかと思うとすぐ近くに置いていたのだろう少し大振りな箱を目の前に差し出してきた。ここに来るときは必ず手土産として持って来てくれる見慣れたそれを両手に持つと、甘い香りが鼻を掠めて少しだけ気持ちが落ち着いた気がした。
先ほど和蘭さんが部屋に入ってきたときに大阪藩の彼が置いていってくれたらしいお茶を飲みながら「いつもありがとうございます」と微笑むと、何も言わずにただ少しだけ表情を緩ませて頷いてくれた。きっと、気にするな。とでも言いたかったのだろう。
貴方のこういうところが好きだった。あまり口を開かないのにとても優しくて、だけどとても不器用で、少し言葉遣いは荒いというのに穏やかな気持ちにさせられる、貴方は本当に何なんでしょうね。
部屋の中は相変わらず暗いままだというのに、どうしてこんなにも眩しいのだろうか。そっと寄り添った身体は大きくて暖かかった。


「さっき、何考えとった?」
「え?」
お互いの沈黙が優しく静かに流れていたところにおもむろに口を開いたかと思えば、真摯な瞳がわたしを貫いた。そのあまりの真剣さに口をつぐむ他なく、先ほどとは違った沈黙が空間を満たして居心地が悪い。
「言いたいことあるんやったらちゃんと言いねま」
真っ直ぐに見つめてくる瞳の奥に歪んだ顔をしたわたしが見えて、それがさらにくしゃりと歪む。
本当に貴方はわたしの心を読むのが上手なようだ。言いたいことなど山ほどあるけれど、それを伝えたところで一体何になるという。あまりに幼稚で陳腐な浅ましい願いを口にしたって叶うはずがないとわかりきっているのに。