そういうもののはなし
アメリカは、アルコールがあまり好きではない。
飲めないことはないし、体質なのか飲んで人事不省に陥ったこともないけれど、別段美味しいとも思わない。
酒を飲んで愉快になった記憶もない。頭に血が昇ってふわふわする感覚、手足が自分のものでなくなるあの感覚にしたってちっとも気持ちいいとは思わなかった。風邪を引いて熱を出しているときの、意識が朧になる瞬間と何も変わらない。だったらアルコールの力になど頼らずに、1時間も水を浴びていればいいのだ。
風邪を引いてしまえば、最低でも丸一日はあの気持ちの悪い浮遊感を味わえるじゃないか、とさえ思う。
そう言うと、フランスは困ったように少し笑った。歳の離れた弟に対してするような。
いつもこんな風だったら、あんなに皆から変態とか言われなくて済むのにな。
「なんでカナダがあんな顔をしてたのか、俺には全然わからないんだ。君だって普段、ウィスキーなんて鼻に引っ掛けようともしないくせに」
「そうだなあ……アメリカ、お前イギリスと呑んだことあるか?」
「…………ないよ」
やっぱりか。苦笑して伸ばされたフランスの手が、髪をぐしゃぐしゃと掻きまわしていく。
抗議の声は聞こえなかったことにされて、その代わり普段のフランスからはあまり考えられない、やさしい声が耳に届いた。
「あいつもなあ、見得だよな。見得と意地。お前さんにカッコ悪いとこ見せたくないってのもあるんだろ。面白くないのはわかるが、もうちょっとあいつが大人になるまで待ってやってくれねぇか」
「……それ、中国たちも似たようなことを言ったけど……別に俺はイギリスと、とかそういうんじゃ」
「まあ聞け。男ってやつは面倒なもんなのさ」
浪漫だなんて格好つけてみたりもするけれど。
本当の本当は、そういうことじゃないのだ。と。
「酒の力でも借りないとよ……そうそう話の肴になんかできねんだよ、昔馬鹿やってた頃の話なんて」
「…………」
「話してみたいことなんざ、それこそ山のようにあるのにな。どうしても話さなきゃいけないってモンでもねえし……そう言って俺も結局、あいつが言い出してくれるまで先延ばしにしちまった」
「…………」
どうだ情けないだろう。そう言ってフランスは笑う。
その表情にアメリカはふと、自分の中にあるわだかまりの正体を知った。
カナダがフランスと飲みたがったのではない。
フランスが、カナダと話したかったのだ。
『年上の、つまらない意地』で言い出せずにいたフランスに、手を差し伸べた兄弟は
いつもの気弱そうな笑みを浮かべていたろうか。
とんでもなく遠く見えていた背中と、今はもう肩を並べることだってできるのに気づいてしまった兄弟は。
いつの間にか同じ大きさになった手のひらを、フランスはどんな感情で取ったのか。
カナダやフランスのそんな強さは、アメリカのまだ持てないでいるものだった。
自分の弱さを笑い話にすることはおろか、イギリスの弱さを認めることだって実は未だにできない。イギリスも多分そうなのだろう。だから互いに必要もない意地を張って、どうでもいいことで反目して、――それで未だに、一番大切な一言だけを言えないでいる。
アメリカがどうしようもなく悔しいのは、……同じ顔をした兄弟に、あっさりと置いていかれたような寂しさと腹立たしさを感じる理由は多分、つまり、そういうことだった。
そういうことだったのだ、と、容易く自覚させられてしまったことも何だか悔しい。
不快ではなかった。そういうところのやり方は、フランスは実に上手だとアメリカは柄にもなく感心する。
もし。
もしも。
「もし……君が俺の兄さんだったら」
そうだったら俺も、こんな風にイギリス譲りの頑固さで自分を追い詰めなくて済んだかもしれないな。
なんてことのない他愛のない話を、お互い真っ直ぐに向き合って。
たったそれだけのことが怖いなんて、そんな風にいつまでも子供みたいな臆病さに寂しくなることもなくて。
言葉は本心で、けれど同時に、そうはならなかった現実の幸いを知っている。
アメリカが知っている、ことをフランスもちゃんと知っているのだろう。
気障な仕草で片目を瞑って、伊達男が笑った。
「そうじゃなくて良かっただろ?」
「………………そうだね」
全く。
全く――敵わない。
いつかは彼や、意地っ張りな兄とも、差し向かいでアルコールのグラスを傾ける日が自分にも来るのか。
想像がつかなかった。その日に至る道はまだまだ長く、果てがないようだ。
訪れてしまえばきっと、あっという間のことだったように思うのだろうけど。
とりあえず――そうだな、とりあえず、いつかは訪れるに違いないその日のために、酒造の勉強でもはじめようか。兄に似て味オンチだなどと、酒に関してまで罵られることのないように。
度のない二枚のガラスを越えて網膜に差し込む、初秋の陽射しが白く優しい。
作品名:そういうもののはなし 作家名:蓑虫