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緑のあんずは泣きましたか

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 折原臨也が死んだと聞かされたとき、竜ヶ峰帝人は、ふうん、と言った。それ以上のことは言わなかった。それ以下のことは思わなかった。その相槌に過不足はなかった。
 死んだ理由は、聞くまでもないような気がした。いつ死んでも、誰も何も疑わないような生き方をしていたあのひとに、後悔という言葉はそぐわない。誰に刺されてもおかしくなかったし、平和島静雄に殴り殺されてもおかしくなかった。けれど、そこまで考えた竜ヶ峰帝人は、それはおかしくはなくても問題はあるな、と内心で訂正をいれた。
 誰も、折原臨也が死んだ原因を口にしなかった。誰も、知らなかったのかもしれない。だから、折原臨也はまだ生きているのではないか、と竜ヶ峰帝人はちらっと考えた。そうして、その考えはその日のうちに否定された。




 学校を終えて家に帰ったら、身体が透けていて足がない折原臨也が非常識にもぷかぷかと宙を浮いていたので、竜ヶ峰帝人はなんだか腹が立った。とりあえず、非常識ですよ、と折原臨也を叱り飛ばし、正座を強要した。最初はびっくりした顔をした折原臨也だが、もともとの図太さをすぐに発揮して、また非常識にぷかぷかとしだした。竜ヶ峰帝人はとても腹を立てたが、折原臨也はどこ吹く風と気持ちよさそうに浮いている。ずるい、自分はこんなにもしばりつけられてうんざりとしながら毎日がんばって生きているのに、とぶつぶつと呟きながら、竜ヶ峰帝人は質素な晩御飯を作った。ふたりぶん。今日の晩御飯はうどんだ、と三パックで98円のうどんをふたつ、つゆとねぎとわかめとたまごをおとした鍋で一分ほど茹でて、どんぶりに盛って机に置いた。折原さん、ごはんにするからいい加減、ぷかぷかはやめてください、と叱りつけると、なんだか変な顔をした折原臨也が、それでも大人しく竜ヶ峰帝人の真向かいに正座した。それを確認し、溜飲を下げてから、竜ヶ峰帝人は手を合わせて、いただきます、と言った。折原臨也もつられるように、いただきます、と言った。そうして、竜ヶ峰帝人はもくもくとうどんをすすり、ときどき、ずず、と鼻をすすった。熱いものを食べると鼻が出るのはなんでだろう、と思った。そんなことを真面目に思案する竜ヶ峰帝人の前で、折原臨也はもくもくとお箸を持つふりをして、食べるふりをした。やがて、竜ヶ峰帝人はうどんを食べきると、ごちそうさまでした、とまた手を合わせた。折原臨也もつられるように、ごちそうさまでした、と釈然としない表情でつぶやいた。空になったどんぶりと、まだまるまる中身が残っているどんぶりを持ってキッチンに向かい、まるまる中身が残っている方は鍋に戻した。少ない洗い物を済ませ、水気をふきとって棚に戻したあと、ふたりぶんのお茶を入れてまた机に戻った。折原臨也は正座を崩さないままで、落ち着かなげにそわそわとしていた。
 ひとつの湯飲みを折原臨也の前に置いて、竜ヶ峰帝人は、とりあえず、トイレはあっちです、と部屋の一角を指差した。ねえ君ってなんなの、と折原臨也は言った。ああ、と思った竜ヶ峰帝人は立ち上がって、ベランダに干していた洗濯物をとりこんで、お風呂を洗って湯をためながらひといきついた。ずずず、とすこしぬるまったお茶を飲んで、のんびりと、このたびは、と言って言葉を止めた。軽く、頭を下げる。ごしゅうしょうさまでした、と口にするのはたいへん勇気のいることだ。だって、きっと、うまく言えない。ごしゅうしょうさまでした、ごしゅうしょうさまでした、うん、うまく言える気がしないな、と確認した。あんまり手抜きをするな、と目の前のうすぼんやりした輪郭のひとに指摘された。輪郭から手抜きをしているようなひとに言われたくないなあと真剣に思った。
 それから、折原臨也は死んでしまったんだなあとしみじみと思った。いろいろ話したいことがあったような、ないような、と竜ヶ峰帝人は記憶を捏造した。とりあえず、僕は折原さんと、もったたくさん、話がしたかったです、というと、嘘をつく気があるならもっとやる気をだせ、と言われた。残念だなあと思う。
 お茶をすすりながら、無印で買ってきたせんべいをあけてばりばりと食べた。ティッシュをしいた上にひとつだけせんべいを置いて、折原臨也の前に差し出した。やっぱり釈然としない表情の折原臨也は、うんざりと、どうも、ともそもそ言った。いいえ、と答えた竜ヶ峰帝人は、折原臨也が死ぬ理由を考えてみた。誰かに刺されて、というのが何よりも説得力があった。そして、平和島静雄に殺されて、と考えてみたあとの、説得力の無さになんとなく頷いた。
 それは、どうしてもよくないだろう、と竜ヶ峰帝人は考えた。折原臨也はぶつぶつとなにやらつぶやいている。竜ヶ峰帝人の耳には届かなかった。だから無視をした。認識できないものはいないのと同様である、と考えることは狭量だけれど。まあそれはとにかく。
 平和島静雄という人間は、どうしようもなく、途方もない存在なので、折原臨也と遊んでいれば良かったのだと思う。憎まれっ子は世にはばかるというし。そうそう、死なないだろうと。だって、死んでしまったらまずいのだ。平和島静雄にとって、他人を壊すということはおそろしく簡単なことなのだろう。その事実を、知らせてしまっては、いけない。きっと、呆然とするのだろう。そうして、絶望するのだろう。竜ヶ峰帝人は、うん、とひとつ頷いた。
「平和島静雄さんて、繊細だから気を遣いますね」
「………なんでそこでシズちゃんの名前が出てきたのかわかんないし、帝人くんの言語センスが独特すぎて、戸惑うよ」
 そうですか?と竜ヶ峰帝人は首を傾げた。折原臨也は仕方ないとでもいうように嘆息した。
 ふと、沈黙が落ちる。どうということもない沈黙。ふたりとも、話すことがなくなったから黙っただけ、というような沈黙。気まずいというほどでもなく、けれどまったく気にならないというほどでもない、中途半端な沈黙。そんななかで、竜ヶ峰帝人は不器用に言葉を探っていた。そうだなあ、と考える。いろいろと、うまく言える気がしなかったが、竜ヶ峰帝人はひとつだけ聞いた。
「折原さん、なんで死んでしまったんですか」
 折原臨也は皮肉に笑った。
 交通事故だよ、とその薄い唇が動いた。
 意図的に轢かれたわけでもなかったね、と折原臨也は語った。俺を轢いたのは、まだ二十歳そこそこの女の子だったよ。轢かれた俺を見て、ぼうぜんとして、泣いていたね。まわりにいた誰かが、病院に連絡をしたみたいだよ。五分もせずに救急車が来てね。俺の体は運ばれていったよ。他人事のように折原臨也は語った。
「つまらない死に方をしましたね」
 他人事のように竜ヶ峰帝人が言えば、そうだね、と折原臨也はこだわりなく頷いた。
 竜ヶ峰帝人は目を閉じて、生きていたころの折原臨也を思い出した。いつだって黒い服を着ていて、いつだって胡散臭いのと紙一重の笑みをはり付けていた。やあ、という声は美しかったのだと思う。折原臨也のもたらしてくれる情報は、どういうかたちであれ竜ヶ峰帝人の指標となった。折原臨也の声を聞きながら、竜ヶ峰帝人はのんびりと、考えをまとめた。
「折原さんでも、つまんない死に方するんですねえ」
作品名:緑のあんずは泣きましたか 作家名:ロク