moria
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「あの男は危険です」
帝人は宵闇にぼんやり浮かぶ液晶を見つめながら携帯を操作している。何かがある、というわけではないからただ単に手持無沙汰なだけであろう。そう判断して青葉は帝人に忠告する。帝人は液晶画面から目を離して、ぱちくりと瞳を瞬かせた。
「折原臨也のことです。あいつが見返りもなしにこんなことをするなんて、絶対におかしい」
なあにそれ、と帝人は笑う。対する青葉は苛立ったように爪を噛んだ。
「先輩、俺の期待を裏切らないでください」
「……青葉君?」
青葉の視線は真剣であるというより切羽詰まった、必死なものだった。帝人は訝しげに首を傾げる。ここに他のブルースクウェアのメンバーはいない。ただ真暗な闇が一面に広がっているだけである。そうして帝人の携帯ばかりがぼうと光っているだけである。
「俺は、あんな男と先輩が仲よくしているのが嫌です。絶対に何かを企んでいるに決まっているんだ。先輩、今からでも遅くありません。手を切りましょう」
「……臨也さんは、いい人だよ」
奇しくも波江に言ったものと同じことを口にする。手にした携帯から光がふらと消えた。ぼんやりと明るい夜が広がる。
「俺はあいつがどんな人間なのかを知っています。先輩は、」
「じゃあ」
青葉の言葉を遮るように帝人は口を開いた。びくりと体を震わせて青葉は押し黙る。帝人の表情は見えない。ぼんやりと輪郭が薄闇に溶けているだけである。
「じゃあ、青葉君は臨也さんほどの情報収集能力があるっていうの」
「それは……」
青葉は唇を噛む。実力不足だということは痛感していた。帝人が欲しているものとて青葉自身の能力ではない。そこに付随しているブルースクウェアである。
「待って」
言い募ろうと口を開きかけた青葉を制して帝人は携帯に目をやった。
「臨也さんからメールだ」
微かに振動する携帯の画面は再び明るく発光している。そこに表示されているであろう名前を思い浮かべる。最悪な気分だった。
「もう到着するそうだよ」
「そうですか」
はぁ、と青葉は大きく溜息を吐いた。
「青葉君、機嫌悪い?」
「ええ、悪いですよ。先輩、俺の言う事全然聞いてくれないし」
帝人は僅かに拗ねたような声で、だって、と呟いた。
宵闇にちらほら人が集まり始めた。帝人と青葉を見ると軽く頭を下げたり話しかけたりするのに、二人は軽く応える。いずれも同じデザインの青い布切れを身につけていて、彼らが何らかの目的を持って集まっていることは一目で分かる。真暗だった広場を、切れかけた電灯が唸りながら灯りを点す。接触でも悪いのかな、と叩くとばちばち明滅した。いつへそを曲げるか知れたものじゃない、触らない方がいいらしい。
「なんだ青葉、機嫌わりーな」
「うっせー」
リーダーにふられでもしたか?と鮫柄の布を腕に巻いたメンバーがおどけて言う。青葉ってしつけーもんな、他のメンバーが乗っかるとどんどんと話が膨らんでいく。最初こそ不機嫌面でそっぽを向いていた青葉だが、「で、青葉結局リーダーに告ったのか?」という発言に堪忍袋の緒が切れたらしい。
「ああもうお前ら黙れー!」
ついに黙っていられなくなった青葉が元凶とおぼしき青年に殴りかかる。他のメンバーがげらげら笑うのにつられて帝人も笑いを零した。
「青葉君が僕に告白とか、何か悪いことでもしたの?」ひとしきり笑ってから帝人は言う。
途端、ぴたっと止まる笑い声や怒声に、何かおかしなことでも言っただろうかと帝人は首を傾げた。
「リーダー、それマジボケっすか?」
「タチ悪りー」
「ボケてんのはお前らだろうが」
一発蹴りを喰らわせて青葉は帝人の傍らに立って言った。
「先輩、こいつらがふざけてるのなんていつもですから、無視してていいですよ」
不満そうに唇を尖らせる青葉に分かってるよと声を掛けて、帝人は街灯に照らされた広場を見渡す。他のメンバーらはまだ腹を抱えてひぃひぃ言っていたり、ふざけあったりとぎゃあぎゃあ騒がしい。住宅街から離れていてよかった、と帝人は思う。騒音、近所迷惑で通報されでもしたら洒落にならない。
ざくり、足音がして誰か来たのかと帝人と青葉はそちらに目をやった。地面を踏みしめる真黒な靴が見えた。次いで足が見えた。ファーのついた黒いコートも見えた。それらが徐々に光の当たる場所に現れるさまは、黒い影がぬう、と影から生えてきたようだった。
「やあ、帝人君、泉井君」
「黒沼です」
むっとしたように青葉は臨也の言葉を訂正する。にやにや笑う臨也は歯牙にもかけていないようだった。
「集合時間には少し早かったかな?」
辺りを見回しながら臨也は言う。馬鹿騒ぎしている数人がいる程度では、全員が揃ったと言うには程遠かった。
「じきに来ますよ」そう吐き捨てる様に青葉が言う。
「おや、じゃあ待っていようか」青葉とは反対で上機嫌に臨也は言う。鼻歌でも歌いだしそうなほどである。
「もう説明はしてありますが、もう一度確認だけしておきたくて」
お願いできますか?と帝人は聞く。勿論、と臨也は応えた。
「まず今回のグループだけど、現在地はここ。コンビニエンスストアの前だ」
表示された写真に写っているのは、事前調査でも彼らが好んで立ち寄っているらしい全国チェーンのコンビニエンスストアだった。
「彼らは、ダラーズの掲示板で得意そうに触れまわってました」
帝人は携帯を操作して例の書きこみを臨也に見せる。自己顕示欲があるのだろう、冗談であることを装いながらも自慢気に書かれた文字に反省の色は見えない。昔こんなことをしてやった、という体で書かれた犯罪の暴露は、内容を照らし合わせればつい最近行われたものであることがわかる。
「…窃盗、ね」それもチンケなものばかりだ。
「腕に覚えがないみたいで、暴行や恐喝はしていないようです」
ただ、と帝人は言葉を濁す。
「知恵が回るのが一匹いるみたいで、まだ警察にも捕まっていないらしいです」
なるほど、臨也は大仰に頷いた。腕に覚えのない奴らは強い相手、勝てない相手に無暗に立ち向かおうとしない。帝人はこの窃盗グループに逃げられる可能性を念頭に置いている。それで今回は作戦を立てる必要があったわけだ。
「最終的には通報、逮捕かな?」
できれば、そう言って帝人は曖昧に笑う。
「それじゃ、ま。狩りの時間ってことで」
「はい」
隣で黙っていた青葉に目配せをすると、「行くぞ、お前ら!」いきおい青葉は声を張り上げた。忠犬だね、と臨也はにやにや笑う。臨也と帝人が話しこんでいた間に全員が揃ってしまっていたらしい。同じ色を身に纏った大勢の人間が数台のバンに分かれて一斉に乗り込む風景は、一種異様なものだった。
「まるで追い込み漁だな」
「ヒヒッ、言えてる」
数人を乗せたバンは威勢よく走り出した。顔を見せないための目出し帽も着用済みである。より派手に、より相手を脅しつけなければならないのに、この小道具はぴったりだった。
人通りの少なくない道路脇に建てられたコンビニでたむろしている青年らを確認して、青い集団を乗せたバンは細い路地に入っていく。誰に見咎められることもなかった。
「青葉君、到着したようです。作戦を開始してください」