にょにょにょー!!
どうしてこんなことにと思いながらも帝人は正臣にもらった地図を眺める。
適当すぎて読めなかった。
ケータイを開いてメールで聞こうかと思ったがあまり時間も経っていないので悪い気もする。
悩んでいると後ろから声がかけられる。
振り向けば頬を平手打ちされた。
派手な音の割にそこまで痛くない。
芸人ビンタだろうか。
「裏切りものぉぉ」
知らない女性に詰め寄られる恐怖。
修羅場の空気を一人で醸し出す黒いコートの女は帝人を路地に引っ張り込んで「そんなに巨乳が好きかあぁああ!!!」と叫ぶ。セクハラだ。
うなるように低くなった声に聞き覚えを感じて「臨也さん?」と呟けば「他の何だって言うの?」と睨みつけられる。
美人ではあるが今は殺気立っていて恐ろしい。
次の瞬間に真顔のまま帝人の胸に顔を埋めてくる痴女に鳥肌が立ち帝人は呆然と立ち尽くす。
不思議に思ったのか臨也は顔を上げる。
「あれ、帝人君も貧乳のよさに目覚めた??」
「はい?」
「だって『Gカップになるまで触らないで下さい』って言ってたじゃない」
あきらかに遠ざけるための詭弁である。
帝人から半歩下がり臨也が自分のボディラインを強調するように手で体の線をなぞる。
いつもだったら赤面することだろうが帝人は平常心を保てた。
「薄いですね」
臨也も平均以上の肉体ではあるが遊馬崎の外人女性そのままのプロポーションを見てしまった後では残念な気分になる。
「女は足だ!! そういう名言を知らないかな?!」
ダンッと強調するように足を踏みならす臨也に「足はフェチが多いですからね。よかったですね」と帝人は愛想笑いを浮かべながら距離をとる。
「思い切り自分は違うみたいな反応っ」
「実際違いますから」
「くっ意地でも『踏んで下さい。お願いします』って言わせて」
「・・・・・・近寄らないで下さい」
「嫌悪や軽蔑じゃなくて未知に対する恐怖ってのもいいね。大丈夫! 慣れれば快感だよ」
「臨也さん誰かに踏まれているんですか」
「ときどき君に?」
臨也の返答を聞いて帝人は駆け出す。
追ってくる痴女に買ったばかりの洋服を投げつけて足止めする。
本気で怖い。
撒けたとは思わないが背後から追いかけてくる気配がなかったので帝人は少し気を緩める。
それがいけなかったのか前方の曲がり角から来た人に当たってしまう。
相手は「ん」という反応だが帝人は吹き飛ばされる。
男だったときよりも体が軽い。
目を閉じて地面に叩きつけられるのを覚悟したが衝撃はいつまで経ってもやってこない。
「大丈夫か?」
落ち着いた女性の声に目を開ければ印象的なドレッドヘア。
優しく「立てるか?」とたずねられて帝人は赤面しながら首を縦に振る。
スーツからする煙草のにおいがより『大人の女性』で帝人の心拍数はあがる。
帝人の頭を撫でながら「よく転ぶんだからあんま走るなよ」と笑いかけられる。
初対面だとばかり思った優しげな女性は知り合いであるらしい。
一ヶ月の間に知り合った存在かと思いきや帝人の頭の中に一つの名前。
「トムさん」
「あん? どうした?」
少しけだるげな雰囲気もドレッドヘアもスーツの趣味も考えれば共通点は多い。
「あ、いいえ。すみません。大丈夫です」
帝人は頭を下げる。みんなが女性であるのが今では普通なのだから自分が不思議がって不快にさせるわけにはいかない。
「あー、やっぱまだ慣れねえのか? 俺もな。スーツだからまあみたいな感じだけど。活動始めたから開き直ったのかと思ったわ」
「活動?」
帝人が首を傾げるとトムはビルを指さす。
正確には広告塔。
「なにあれ」
「昨日から貼り出したんだ。ディリー一位だっけ? おめとっさん」
デカデカとした文字で『まー☆みーデビューシングル星屑みらくる絶賛発売中』とある。
写真の中で決めポーズをしているのは帝人と正臣だ。マイクを持って一昔どころか三世代ほど昔のアイドル衣装で微笑んでいる。
目をそらしたい事実。
見なかったことにしたい。
何も考えたくない。
意識が遠くなっていく。
「はっ」
目を開けて見知った自分の部屋で帝人は安堵する。
急いで胸に手を伸ばしてやわらかな感触がないことにほっとするのと同時に淋しさも感じる。
ため息をつきながら学校へ行く準備をする。
「非日常不足とか?」
何だってあんな夢を見たのかと帝人は自分に呆れながら思う。
人類総メス化など荒唐無稽だ。
遊馬崎に借りたマンガの影響だろうかと思いを巡らせていると前方から正臣がやってくる。
もちろんスカートを履いているわけでも華奢になっているわけでもない。
「おはよう」
「朝から景気の悪い顔してんなあ? おい」
「夢見が悪くって」
「どんなんよ」
正臣が「人に話すといいって言うだろ」と詰め寄ってくるが帝人は笑って濁した。
「おはようございます」
やわらかな声に振り向けば制服をきっちりと着たおかっぱの少年。
高身長で体格も割とっしかりとしているが柔和な雰囲気を持った眼鏡、誰かとイメージがかぶると帝人が思った瞬間。
「おはよう、杏里。今日も格好いいな!!」
笑って正臣は言った。
帝人はこれは夢に違いないと思った。
そうとしか思えない。
自分はまだ寝ているのだ。
さて、いつ目覚めるのだろう。
帝人は己に問いかける。