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晴天の霹靂

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深い雪と静けさに覆われた冬が過ぎ、そろそろ梅香とともに春の足音が聞こえてきた、奥州は大森城の昼下がり。
 丘陵地の先端部に築かれたその城を、片倉小十郎が主君である伊達政宗から与えられ、米沢の武家屋敷から移り住んで幾月。
 戦の季節に荒れた土地や人民の心を慰撫するのに奔走した冬を越え、ようやく城内の新体制を確立して一段落ついたこの頃、城主であるところの小十郎は、その立場には不釣合いな出で立ちで城から出ようとしていた。
 木綿の着物の筒袖を二の腕までまくり、脛の出る丈の短い作務衣袴の腰に、無造作に手ぬぐいを括り付けて。
 さらに肩に鍬をかついで通り過ぎようとしたところ、門番に声をかけられた。
「小十郎様、どちらへお出でですか」
「見てわからねぇのか。畑だ、畑」
 門番は、あぁ、と合点の声を上げる。
 彼は新参ではなく、米沢からついてきた馴染みの深い部下だった。その一言だけで全てを理解したようだ。
「こちらでも、おやりになるんで」
「まあな。もう習慣みてぇなもんで、空気が緩んできたら土いじらねえと落ち着かねえのさ」
「そうですか。お気をつけて、気張ってください」
「若い奴等をちゃんと見ておけよ。あいつ等はどうにも落ち着きがなくていけねぇ。勝手にハネさせるんじゃねえぞ」
「押忍ッ」
 気合の入った腹からの返事に頷き返して、小十郎は城下に出た。
 町人街を抜け、城を背に畑作地へと向かう。
 途中、つぼみをふくらませた桜の木の立ち並ぶ小道を通った際には少し足を止め、その息吹を見上げて表情を綻ばせた。
 大森は、桜の名所でもある。本格的な春の暖かさを迎えれば、この辺り一帯は薄紅色の雲海が広がるが如くに桜が咲き誇るのだ。
 そうなったら、是非とも政宗様をお呼びして、花見の席など一献設けたいものだ。
 いかに乱世とはいえ、戦ばかりでは心が荒む。天下取りに向かって戦場を駆ける竜とて、春の一時くらいは香気に酔っても構うまい。
 そんな事を思案しているうちに、小十郎は開けた作地に辿り着いた。
 畑、といっても、無造作に土地が広がっているだけの閑散とした場所だ。
 領民である百姓たちが精を出す広大な田畑は別にあり、ここは、山間を切り拓いて少しばかりの平地にしたもののようで、かつて誰かがひっそりと暮らしていた名残であろう傾きかけた小屋があるばかりの地だった。
 それでも水路が敷かれ、土も肥えている。政務の傍らに弄る程度なら、充分に手頃な土地だ。
 大森の城に移ってきた時、周辺の土地検分の際に見つけた、今は誰の手も入らぬようになったこの場所を、有効に使ってやろうと雪どけの季節を待っていたのだった。
 小十郎は米沢の武家屋敷に居た時分、敷地内に菜園を作って時期折々の野菜を育てては、政宗に献上していた。その習慣を大森(こちら)でも続けようというわけだ。
 武家に仕える小十郎が農民の真似事など初めたきっかけは、小十郎の常がそうであるように、政宗の為だった。
 話は、ひと昔前にさかのぼる。
 小十郎が齢十九にして仕えたばかりの頃の政宗は、まだ九つの幼君、梵天丸。
 彼は伸び盛りだというのにひどく食が細く、特に人の手に依る料理を嫌がってほとんど口にしなかった。
 飽食や好き嫌いといった我が儘からではない。
 ありがちと言ってしまえばそれまでではあるが、非情な武士の世の常として、子供の身であろうとも跡目争いや御家の勢力闘争に否応なしに巻き込まれ、屋敷にあっても命の危険を感じるようなことが多々あったせいだった。
 食事は、人が最も無防備になる瞬間のひとつであり、楽に命を狙いやすい瞬間でもある。それが証拠に、梵天丸の膳にはたびたび不埒な毒が混入され、時には毒味検分をされたはずが充分ではなく、ごく微量に残っていた毒に胃の腑をやられ、高熱を出して寝込むようなこともあった。そんなことが度々続けば、食事という行為に不信感を募らせるのも当然だろう。
 この頃は、伊達家の嫡男である梵天丸への周囲の失望と風当たりがもっとも厳しい時期だった。しかもそういった謀略の悉くは梵天丸の実母、義姫からの仕打ちだったのだから、尚のこと幼心に深い傷を負わされていたに違いない。
 梵天丸は非常に聡明な子供だった。だが、所詮は無力な子供の身。
 己が身の周りに常につきまとう謀略の気配には気づくことが出来ても、それをかわす術もはねのける力も持ってはいなかった。
 だから、身を守るためには何も口に入れなければいいという、極端な自衛の手段しか選べなかったのだ。
 小十郎は側に仕えながらその葛藤をよくよく感じ、不憫に思っていたものの、だからといっていつまでもまともに食事を取らないでいいわけがない。
 思案の末、ある時、「さげてよい」の一言のみで箸すら手にしないでいる梵天丸に、小十郎はこう進言した。
『梵天丸さまは、何をどう料理しようとも、決して召し上がってはくださらぬ。しかし、今は御体を作る大事な大事な時、本来ならば小十郎の倍は食べて頂かなくてはならぬのです』
『いらぬといったらいらぬ。……小十郎は、梵がしんでしまってもよいのか。もう、胃のふをやかれるのはいやだ。痛いのもきもち悪いのもいやだ、なにもたべとうない、おいしくない、みんな嫌いだ、早くさげろ』
『ならば、この小十郎が、正真正銘の真心を持って梵天丸さまの為に作ったものなら、食して頂けますか』
『……小十郎、が……』
 朝餉の膳を脇にやり、憂鬱そうに眉を寄せていた梵天丸は、小十郎の言葉に表情を変え、目を見開いてじっと見つめてきた。
『小十郎が、梵のためにつくるのか』
『はい。土を耕し、種を植え、水をやって毎日世話をし、梵天丸さまに食べていただくことだけを考えて育てた作物を使って、小十郎がこの手で朝餉も夕餉もお作りいたします。それであれば、食して頂けますか』
 諭すでも叱るでもなく、ただ真剣な小十郎の言葉を聞いていた梵天丸は、やがて小さく首を縦に振った。
『よい。それならば、たべてやってもよいぞ、小十郎』
『は、ならば早急に』
 力強く言ったすぐ後に、小十郎は然々の支度を整えた。
 梵天丸はといえば、農民のような姿で現れた小十郎に目を丸くしていたものの、小十郎が庭の片隅の土を掘り返し始めれば興味を示して寄ってきて、自分にもやらせろと手を出してきた。
 共に種を植え、水をやり、毎日めざましく伸びていく芽を慈しむように見守り育て、やがて実りの季節を迎えた時、小十郎は己が言葉通りに自ら梵天丸の為に膳を整えた。
『梵天丸さま、これは小十郎が用意しました膳に御座います。今朝ほど取りましたばかりの根菜を、こちらに煮付けております。どうぞお召し上がりください』
 梵天丸は小十郎が差し出した膳の前に姿勢を正して向かうと、ほっこりと湯気の立つそれを口に入れ、ゆっくりと咀嚼して飲み込んだ。
 その動作を無心に数度繰り返したあと、しみじみと笑って。
『……小十郎のやさいは、うまいな。言葉をわすれたぞ』
 食事をして彼が笑顔を見せたのは、それが初めてのことだった。
 それからというもの梵天丸は朝夕の膳を残すようなことはなくなり、それまでの小食が嘘のようによく食べ、すくすくと健やかに身体を伸ばしていったのだ。
作品名:晴天の霹靂 作家名:天宮ハル