わすれられないから
なんとなく、その、小さい顎をつかんでもっとよく眼を見ようとした時だ。
「 さわるな 」
唐突な、低い、男の声。
テーブルの片側、ゆらりといきなり現れた、黒く、すらりとした影に、なぜか肌があわ立つ。
「あ。せんせえ」
ツナが、黒い影をみあげて、笑う。
『先生』って、呼んだのか?
黒いスーツに深い藍色のシャツ。同じく黒いタイだが、葬式の帰りってわけではなさそうだ。
男は、帽子のつばをひきさげ、しかめた顔をツナにむけた。
「―予想どおり、指定した場所とまったく逆をすすみやがって。いつになったら地図が読めるようになんだ?」
ひどく、ばかにした声。
うかがうように、そうっと見上げた影の、黒い眼が、おれを値踏みするようにみつめてきた。
なぜか、声もだせない。
・・・この、すっげえ恐い眼の男が、ツナの大事な人?
「せんせえも、ドーナツ食べる?」
「おまえ、・・おれにこうして迎えに来させて、ま・さ・か・、ドーナツで済ませるつもりじゃねえよなあ?」
「えっと、・・そのへんは、後日、ご相談ってことで」
恐い男の脅しともとれる言葉をうけて、ツナは、晴れやかに、笑った。
「・・なあ、この人、どうやってここに来たんだ?ツナ、どっかで連絡とった?」
おれは、『ケータイ』を、貸してはいない。
連絡をとりたいといわれた覚えはない。
公衆電話も、使っていないはずだ。
なのに、なぜ、ここに?
答えはなく、なぜかツナは男を見上げ、困った顔をみせた。
「ほんとに、これが迎えにいくつもりだった人か?ツナ、なんか脅されてるとかじゃねえの?」
「いや、このおっかない人が、迎えにいこうとしてた大事な人だよ。脅されて、とかでもないし、大丈夫だよ」
くすり、と笑うと立ち上がり、「世話になったね。ありがとう」と握手を求められた。
なんとなく、納得いかないけど、しかたなく、出された小さな手をにぎる。
く、と。
黒い男が笑いをもらした。
急に、この男と連れ立つツナを見たくなくなる。
立ち上がったツナの腕に、男が自然に手を添えているのが、気に入らない。
「――おい、あんた、ツナの腕離せよ」
『さわるな』と、命じられたことを思いだす。
黒く恐い男が、にやり、と嫌な笑い方をした。
いきなり、小柄なツナを抱えるよう自分に向かせなおすと、その顎へ手をかけて上向かせた顔へ、ゆっくりと近づく。
「っつ!!!」
息を引きつらせ、ツナの顔が真っ赤になる。
「おい、ツナ、聞いたか?さっき会ったばかりのガキが、このおれに、おまえにさわるなって言ってるみてえだぜ?いったい、どんだけたらしこめば、気がすむんだ?」
「た、たら・・」
「ここは英語圏でも田舎だからな。おれのこと、恋人で大事な人だって説明してやれよ。そうすりゃ、おまえのことなんざ、すぐ忘れるだろ」
「こ!・・・・おまえが、こいびとって・・ムリ、ありすぎだろ・・」
ツナと男は、数秒無言の近距離で、にらみあった。
「 」
「 っ!!まて――」
なにやら外国語でしゃべった男を止める間もなく、ツナの口が喰われた。
男同士のキスを見せられて、『げえ』ではなく、『うっわ』と思うなんて、予想外だった。
は、
ツナが、離れた唇から息をこぼし、黒い男に身体を支えられる。
赤い顔が、まだ埋もれたままで、その茶色い頭を撫でた男がおれに言った。
「常識ある静かな暮らしをする田舎のガキには、刺激が強すぎるだろ?こいつはな、おれ以外に『大事な人』が、なん人もいる尻軽だ。早く、忘れるんだな」
家にもどれば、父さんがあの人はどうした?と聞いてきた。
「―ああ、帰ったよ。狼が迎えにきて、うさぎは泣く泣くおうちへ帰りました」
「なんだって?」
「なんでもない。父さん、ラッセルはダメ犬じゃなくて、すごい犬だよ」
「・・おまえ、どうしたんだ?帰りもこんなに遅いし」
「ドーナツ屋の防犯カメラが壊されるいたずらがあってさ。ちょっと、警察官と話してただけだよ」
「ふん。こんな田舎でも、おかしなことする奴がいるもんだ」
「・・そうだね。こんな田舎だから、別荘地には、むいてるんだってさ」
「まあ、なにもない所だからな」
「あのさ、父さん。おれ、その別荘地で、仕事しようと思うんだけど」
「なんだ?・・もしかして、今日のあの人か?」
「うん。―やっぱ、金持ちの坊ちゃんだったよ。でも、すごくいいやつでさ。よかったら、自分の別荘で働かないかって。買うために、下見に来たんだってさ」
「ふん。あの歳で別荘なんて、どうせ、ろくでもない職業なんだろ」
「そうかもね。でも、今度となり街に建つって言う病院、ツナの会社が出資してるんだってさ。雇用も増えるし、それに伴なった施設も建てる予定なんだって」
「・・騒がしくなるのはごめんだ」
「父さん。この街の、環境を売りにした施設になるんだよ。金持ち相手になるかもしれないけど、この街の人たちは、特別料金でつかえるんだ」
「・・・デビー?そんなうまい話、本当に信じてるのか?」
「言うと思った。―父さんが信用してる、警察署のナッシュ署長。ツナと、知り合いなんだ。彼が、『この男は信用していい』って保証してくれたよ」
「・・・ほんとか?」
「ツナから伝言。『今日はお茶に行けませんが、次には鴨料理を期待して、うかがいます』だってさ。・・・じいさんのときに閉めた店、また、やったらいいんじゃないの?」
「・・・デビー・・。ラッセルに。骨付きの肉をやってくれ」
どうだった?おれの知ってるおとぎばなし。
去年、ラッセルが天国へいっちまったときに、みんなに話したら評判良くてさ。
だから、まあ。あんたにも話そうかなって思ったわけ。
なんであんたが『せんせえ』なのかは、いまだにわかんねえんだけどさ・・・・。