光
ビクトールは石を握り締めると、二人で掘り返した穴をさらに深くまで掘っていった。
深く、深く。
誰にも妨げることなどできないほど、深く―――。
どれぐらいの時間が経ったのか。ようやくビクトールは手を止めると、フリックを振り返った。
彼はじっとその場に立って、ビクトールの手元―――深く刻み込まれた穴を見つめていた。
ビクトールが声をかけると、何も言わずに傍らに歩み寄ってきた。
「イヤリング、貸してくれ」
先ほどと同じセリフが、フリックの口から繰り返される。
ビクトールはその言葉には返答せず、真っ直ぐに正面からフリックの目を見据えた。
「本当に埋めるのか?」
「ああ」
フリックはビクトールの視線から目をそらさずに、強い声で答える。
「なぜ埋めようと思う? なにもかも忘れちまいたいのか? 思い出も埋めちまいたいのか?」
ビクトールが問えば、フリックは静かにかぶりを振った。
「そうじゃない…」
ビクトールの視線の先で、フリックの目の焦点がふっと遠くを見るようにぼやけた。
「……そうじゃない。そうじゃなくて、彼女のことは心の中にあるから…。俺はそれだけでいいんだ」
自分の中にあるどんな風景を見ているのか、フリックの目は遥か彼方を見つめている。
「だからって、別に埋めなくてもいいじゃねえか」
ビクトールが少し弱々しい声で呟くと、フリックは長く息をはき出しまぶたを閉じた。
「俺は、彼女の想いはここに残していきたい。形あるものは、すべてここに残していきたいんだ。この国は、彼女が望んだ国だ。彼女が愛した国だ。だから、この国に残したい」
そう言って目を閉じたフリックの口元に、微かな笑みが形づくられる。ビクトールはその様子を長いこと眺めていたが、やがて小さく吐息をはくと、イヤリングを握り締めた拳をフリックの前に差し出した。
「おまえが埋めてやりな」
ぶっきらぼうな口調だったが、そこに込められた想いは強かった。
フリックは無言のまま、イヤリングを受け取る。
一度強く胸に抱くように握り締めてから、そっと穴の中に沈めた。
「…オデッサ。ここからよく見える。君の愛した国がよく見えるよ」
フリックの顔が、埋められたばかりの穴から背後に広がる景色へと向けられる。ビクトールもつられて振り返り、言葉もなくその場に立ち尽くした。
霧に覆われていたはずの大気が、いつのまにか水で流されたかのように透きとおっていた。
遮るものがなくなり、眼下にははっきりと静かな町並みが見える。雨がなにもかも清めていったのか、いつもより空気が澄んでいるように思えた。
もっと遠くまで視界を広げれば、遥か遠方の地平線にひっかかるようにしてグレッグミンスターの街が微かに目に映る。
数日前、あの場所でこの国の未来を左右する出来事が起こった。
人々が悲嘆にくれる姿に哀しみを抱いて立ち上がった女性がいた。
大いなる矛盾の中、辛苦に嘆く叫び声に突き動かされ走り続けた少年がいた。
この国を愛しながら、1人の女性を深く強く愛し続け滅びていった王がいた。
この結果がどこに結びつくのか、まだ誰にもわからない。それはこれからこの国に残った者達が築き上げていくことだ。
「さて、と。そんじゃそろそろ行くか」
ビクトールは両腕を伸ばして大きく伸びをすると、微かに見える街並みに背を向けた。
フリックも立ち上がり、ビクトールと共に歩き出す。
「で、どこへ行くんだ? 戻って大臣にでもしてもらうか?」
「まさか」
ビクトールはフリックと顔を見合わせると、二人同時に吹き出した。
「ま、どこでもいいんじゃねえの? 風の吹くまま気の向くままにってね」
「無責任なやつだな」
「それが俺様の持ち味よ」
意味のない言葉の応酬を繰り返しながら、その場を後にする。
ビクトールは一度だけ先ほどの大木の根元に目をやると、笑顔を残して去っていった。
二人が姿を消したあとには、雲間から太陽の光が射し込んでいた。