長滝小話
日中の授業が終わり、組によっては夜間授業が始まるまでの間。生徒は食事をしたり風呂に入ったり、委員会活動に勤しんだりと自由に過ごしている。
図書委員は肉体的には大変ではない委員会の部類に入ると思うのだが、当番制で貸し出し業務に拘束されるのは結構面倒だときり丸は思う。だって最低週に二度は、拘束される時間帯があるのだから。
もっとも、徹夜作業がないだけマシか。睡眠時間を削れば翌日に影響が出るし、そうなるとアルバイトの効率だってダダ下がりだ。級友の死にそうな顔を思い浮かべながら、貸し出しカードを整理する。
今日は珍しく中在家先輩と不破先輩もいる。上級生二人は大抵ローテーションで下級生と組むようにしているけれど、なんでも上級生にしか取り扱いを許されていない本の修繕があるらしい。
珍しくそろった先輩たちの様子を何とはなしに目で追えば、部屋の窓際に並ぶ机にこれまた珍しい影がある。
「寝てる…?」
机に完全に突っ伏して、濃紫の肩が規則正しく上下している。図書室でここまで豪快に寝ている人も珍しいというより、ここに何をしに来たのか。一応調べものなんだろう本の小山が、寝ている人の側にはあるが。
「……放っておけ…」
注意しようかと腰を上げかけたとき、囁きのような小さな声がかかる。普通の人なら気づかない音量も、図書委員ならば聞き逃すはずもない。
「でも、中在家先輩…っ」
自分たちの根城で、タダで惰眠を貪っているんですよ? いつもならば、委員長が率先して、そういう輩は排除するのに。
「いいんだよ、きり丸。四年生は最近、課外授業が始まったばかりだから、大変なんだよ。この時期の四年生はみんな、ペースが乱れるからね」
貸し出しカウンターまで来た不破先輩が、潜めた声で笑う。まるで一年前の自分を思い出すかのような、優しい声色だ。
「それに、寝ている彼を見る機会なんて早々ないし」
珍しいものが見れるよ。なんて茶目っ気たっぷりに教えられたら、そこは好奇心が疼くというもの。眉間に皺を寄せている中在家先輩の顔に気づかない振りをして、そっと寝ている人に忍び寄る。
げっ。
喉の先まで出てきた声をあわてて抑えこむ。が、ちょっと漏れていた。カウンターにいる不破先輩が静かに、と口元で人差し指を立てる。
すーすーと寝息を立てる人は、滝夜叉丸だった。
呆然としていたところを戻っておいでと手招きされて、忍び足でカウンターに戻る。
「いいんですか、アレ。起きたら五月蝿いですよ」
優秀な私が居眠りしているなどありえないだとか、ぐだぐだと続くだろう言い訳が勝手に聞こえてくるようだ。それに二人の先輩は目を見合わせて、代表するように不破先輩が苦笑する。
「大丈夫さ。閉館するまで放っておいてあげよう。ここ最近、あまり寝れていないだろうからね」
「おれは知りませんよ」
関わりたくもない相手だしと肩を竦め、責任も何もかも先輩に押し付ける。
知らん顔で貸し出し業務をしていれど、図書室に来た人は大抵居眠りする相手を見てぎょっとしたり見て見ぬ振りをする。中在家先輩がいるせいで声を出せば追い出されると知っているから、みんなあの一角を遠巻きにしている。実に奇妙な光景だと溜息を吐く。
おかげで変に長く感じた委員会活動。終了を知らせる鈍い鐘の音が図書室にまで届いてくるころには、妙に肩が凝って仕方なかった。
結局、窓際の滝夜叉丸は延々と寝続けていた。それまで黙々と本の修繕をしていた中在家先輩が立ち上がると、滝夜叉丸の側まで行って肩を叩く。先輩の広い背のせいで滝夜叉丸の寝起き顔は見えなかったけれど、ひどくあわてた声だけはしっかり聞こえる。
「あ、…えっ!? もう、時間ですか…っ。予習が、まだ何も出来ていないのにっ!!」
ほらやっぱり、五月蝿い。
「ですが、大事なことですっ」
あ、なにか先輩は滝夜叉丸に言ったらしい。ここまで離れていると、囁き声は聞き取れないけど。
ほかの生徒はみんな退出しているから、早く滝夜叉丸も出て行ってくれないか。片付けが出来やしないと、それは不破先輩も思っているんだろう。カウンターまで来たかと思うと、部屋の隅にいる二人に声をかける。
「滝夜叉丸。本の貸し出しがあるなら、持って来てくれないか? このあと、あまり時間がないんだろう?」
「…あ、はい。すみませんっ」
中在家先輩の向こうから顔を出した滝夜叉丸の、妙に赤い額がおかしい。
先輩に一礼して、あわててカウンターに本の束を抱えてくる。本来、貸し出しは三冊までなのに、彼は六冊もカウンターに置いた。
「課外授業用です」
「うん、知っているよ。はい、きり丸」
不破先輩は本からカードを抜いて、手渡してくる。それに滝夜叉丸の名前を書く。それを個人のカードにも移せば、これで貸し出し業務は完了だ。
「ご迷惑をおかけしました」
あの滝夜叉丸から殊勝な言葉が飛び出して、握っていた筆が机に転がる。
中在家先輩も不破先輩も、そんな異常事態をもろともせず、気をつけて、なんて声をかけて滝夜叉丸を見送る。
今日は飯食ったら早く寝よう。そう誓ってきり丸は筆を拾った。
***
「今日は面白いものが見れました」
密やかに雷蔵は笑う。
すでに委員会活動時間も終了し、当番だったきり丸は図書室を閉め長屋に戻っている。雷蔵と長次は禁書の修繕の居残り中で、久しぶりに上級生二人だけの時間だ。
「中在家先輩は可愛いものがお好きだったんですね」
手を動かしながら話題にするのは、先ほどまでの出来事。
課外授業の予習に来た滝夜叉丸が、珍しく図書室で居眠りしていたのだ。普段ならば起こすそれを見守った上級生二人だが、長次が彼を起こさなかった理由は、きっと雷蔵の理由とは半分ぐらい異なるだろう。
「とても優しい顔をされていましたよ?」
「………そうか」
ぽつりと返される返事。普段からあまり変化しない表情も、五年間見続けた雷蔵に言わせれば、今の顔は照れているもの。半分ぐらいは予測の粋だが、やはり長次の表情を読むことに長けている立花仙蔵あたりも同意見に違いない。
隠しているわけでもないけれど、公言もしていない。それが長次と滝夜叉丸の関係で、周囲からはよほど委員会の先輩後輩同士のほうが仲がいいと見られているだろう。
「でも、ああも無防備に寝ていると、心配じゃないですか?」
本当に見た目だけは抜群の四年生たち。その一人であり黙っていればの筆頭格が場所問わず居眠りしていれば、悪戯しようと思う者もいるかもしれない。残念ながら、滝夜叉丸は不用意に敵を作るのが得意と来ている。
実際、木陰で本を読んでいるように見えて、目を閉じていることを何度か見かけたことがある。
「それは、ない」
貼り付ける和紙を器用に千切る、微かな音。図書委員会では耳をそばだてる癖がつく。
「……あれが無防備に寝るのは、限られた場所だけだろう」
「たまに木陰で寝てますけど……」
びり、と、長次の手の中の和紙が予定以上に裂けている。見て見ぬ振りが礼儀とばかり自分の手先に視線を落としていれば、ぽつりと呟かれる。
「それは、誰かが近づけば気づくだろう。何度か、起こしたことがある」
「先輩、案外滝夜叉丸のこと見ているんですね」
図書委員は肉体的には大変ではない委員会の部類に入ると思うのだが、当番制で貸し出し業務に拘束されるのは結構面倒だときり丸は思う。だって最低週に二度は、拘束される時間帯があるのだから。
もっとも、徹夜作業がないだけマシか。睡眠時間を削れば翌日に影響が出るし、そうなるとアルバイトの効率だってダダ下がりだ。級友の死にそうな顔を思い浮かべながら、貸し出しカードを整理する。
今日は珍しく中在家先輩と不破先輩もいる。上級生二人は大抵ローテーションで下級生と組むようにしているけれど、なんでも上級生にしか取り扱いを許されていない本の修繕があるらしい。
珍しくそろった先輩たちの様子を何とはなしに目で追えば、部屋の窓際に並ぶ机にこれまた珍しい影がある。
「寝てる…?」
机に完全に突っ伏して、濃紫の肩が規則正しく上下している。図書室でここまで豪快に寝ている人も珍しいというより、ここに何をしに来たのか。一応調べものなんだろう本の小山が、寝ている人の側にはあるが。
「……放っておけ…」
注意しようかと腰を上げかけたとき、囁きのような小さな声がかかる。普通の人なら気づかない音量も、図書委員ならば聞き逃すはずもない。
「でも、中在家先輩…っ」
自分たちの根城で、タダで惰眠を貪っているんですよ? いつもならば、委員長が率先して、そういう輩は排除するのに。
「いいんだよ、きり丸。四年生は最近、課外授業が始まったばかりだから、大変なんだよ。この時期の四年生はみんな、ペースが乱れるからね」
貸し出しカウンターまで来た不破先輩が、潜めた声で笑う。まるで一年前の自分を思い出すかのような、優しい声色だ。
「それに、寝ている彼を見る機会なんて早々ないし」
珍しいものが見れるよ。なんて茶目っ気たっぷりに教えられたら、そこは好奇心が疼くというもの。眉間に皺を寄せている中在家先輩の顔に気づかない振りをして、そっと寝ている人に忍び寄る。
げっ。
喉の先まで出てきた声をあわてて抑えこむ。が、ちょっと漏れていた。カウンターにいる不破先輩が静かに、と口元で人差し指を立てる。
すーすーと寝息を立てる人は、滝夜叉丸だった。
呆然としていたところを戻っておいでと手招きされて、忍び足でカウンターに戻る。
「いいんですか、アレ。起きたら五月蝿いですよ」
優秀な私が居眠りしているなどありえないだとか、ぐだぐだと続くだろう言い訳が勝手に聞こえてくるようだ。それに二人の先輩は目を見合わせて、代表するように不破先輩が苦笑する。
「大丈夫さ。閉館するまで放っておいてあげよう。ここ最近、あまり寝れていないだろうからね」
「おれは知りませんよ」
関わりたくもない相手だしと肩を竦め、責任も何もかも先輩に押し付ける。
知らん顔で貸し出し業務をしていれど、図書室に来た人は大抵居眠りする相手を見てぎょっとしたり見て見ぬ振りをする。中在家先輩がいるせいで声を出せば追い出されると知っているから、みんなあの一角を遠巻きにしている。実に奇妙な光景だと溜息を吐く。
おかげで変に長く感じた委員会活動。終了を知らせる鈍い鐘の音が図書室にまで届いてくるころには、妙に肩が凝って仕方なかった。
結局、窓際の滝夜叉丸は延々と寝続けていた。それまで黙々と本の修繕をしていた中在家先輩が立ち上がると、滝夜叉丸の側まで行って肩を叩く。先輩の広い背のせいで滝夜叉丸の寝起き顔は見えなかったけれど、ひどくあわてた声だけはしっかり聞こえる。
「あ、…えっ!? もう、時間ですか…っ。予習が、まだ何も出来ていないのにっ!!」
ほらやっぱり、五月蝿い。
「ですが、大事なことですっ」
あ、なにか先輩は滝夜叉丸に言ったらしい。ここまで離れていると、囁き声は聞き取れないけど。
ほかの生徒はみんな退出しているから、早く滝夜叉丸も出て行ってくれないか。片付けが出来やしないと、それは不破先輩も思っているんだろう。カウンターまで来たかと思うと、部屋の隅にいる二人に声をかける。
「滝夜叉丸。本の貸し出しがあるなら、持って来てくれないか? このあと、あまり時間がないんだろう?」
「…あ、はい。すみませんっ」
中在家先輩の向こうから顔を出した滝夜叉丸の、妙に赤い額がおかしい。
先輩に一礼して、あわててカウンターに本の束を抱えてくる。本来、貸し出しは三冊までなのに、彼は六冊もカウンターに置いた。
「課外授業用です」
「うん、知っているよ。はい、きり丸」
不破先輩は本からカードを抜いて、手渡してくる。それに滝夜叉丸の名前を書く。それを個人のカードにも移せば、これで貸し出し業務は完了だ。
「ご迷惑をおかけしました」
あの滝夜叉丸から殊勝な言葉が飛び出して、握っていた筆が机に転がる。
中在家先輩も不破先輩も、そんな異常事態をもろともせず、気をつけて、なんて声をかけて滝夜叉丸を見送る。
今日は飯食ったら早く寝よう。そう誓ってきり丸は筆を拾った。
***
「今日は面白いものが見れました」
密やかに雷蔵は笑う。
すでに委員会活動時間も終了し、当番だったきり丸は図書室を閉め長屋に戻っている。雷蔵と長次は禁書の修繕の居残り中で、久しぶりに上級生二人だけの時間だ。
「中在家先輩は可愛いものがお好きだったんですね」
手を動かしながら話題にするのは、先ほどまでの出来事。
課外授業の予習に来た滝夜叉丸が、珍しく図書室で居眠りしていたのだ。普段ならば起こすそれを見守った上級生二人だが、長次が彼を起こさなかった理由は、きっと雷蔵の理由とは半分ぐらい異なるだろう。
「とても優しい顔をされていましたよ?」
「………そうか」
ぽつりと返される返事。普段からあまり変化しない表情も、五年間見続けた雷蔵に言わせれば、今の顔は照れているもの。半分ぐらいは予測の粋だが、やはり長次の表情を読むことに長けている立花仙蔵あたりも同意見に違いない。
隠しているわけでもないけれど、公言もしていない。それが長次と滝夜叉丸の関係で、周囲からはよほど委員会の先輩後輩同士のほうが仲がいいと見られているだろう。
「でも、ああも無防備に寝ていると、心配じゃないですか?」
本当に見た目だけは抜群の四年生たち。その一人であり黙っていればの筆頭格が場所問わず居眠りしていれば、悪戯しようと思う者もいるかもしれない。残念ながら、滝夜叉丸は不用意に敵を作るのが得意と来ている。
実際、木陰で本を読んでいるように見えて、目を閉じていることを何度か見かけたことがある。
「それは、ない」
貼り付ける和紙を器用に千切る、微かな音。図書委員会では耳をそばだてる癖がつく。
「……あれが無防備に寝るのは、限られた場所だけだろう」
「たまに木陰で寝てますけど……」
びり、と、長次の手の中の和紙が予定以上に裂けている。見て見ぬ振りが礼儀とばかり自分の手先に視線を落としていれば、ぽつりと呟かれる。
「それは、誰かが近づけば気づくだろう。何度か、起こしたことがある」
「先輩、案外滝夜叉丸のこと見ているんですね」