さよなら、大好きな人
「…………わかった。約束する。だからヴォルフ、おれの国を頼むよ」
「え……?」
「おれの魂はジュリアさんのもので、眞魔国に属するものだろ? 身体は無理でも、魂ならばきっと……。迎えに、来てくれよ。魔王の力なら、できるんじゃないかな」
途方もない先の話。それをあっけらかんと語る有利は、まるで明日ピクニックに行こうなんて気軽さだ。こんなに必死になっている自分が卑屈で馬鹿に思えて、可笑しくなる。
「…先の長い話だ」
「人間の寿命ってあっという間だよ。長生きしても100歳ちょっと」
だから、ほら約束。と握った手を放して小指を絡める。昔教わった、指切りというやつだ。
「渋谷有利の記憶は無くなるけどさ。でも、眞魔国を愛している魂は残る。それで妥協しろよ、ヴォルフ」
先ほどまでの悲壮な悩みはなんなのか。有利にかかれば、どんな悩みも軽くなる。
それが、渋谷有利という魔術。
「…簡単に決めすぎだ。だからユーリはへなちょこで戻れなくなるんだ」
「へなちょこは関係ないと思うけどなぁ」
だから待ってろ。そう囁いて、ユーリの両手が頬に触れた――。
目を開けると、見慣れた天蓋が広がっている。
夢、と思うには唇にはしっかり有利の感触が残っている。どんな不思議があったのか。
起き上がろうとして、君様な重さに気づき横を見る。と、上掛けの上でグレタが丸くなって眠っている。その横には、不細工な編みぐるみ。
「…………調子はどうだい?」
ベッドの向こうの長椅子で、横になっていたコンラッドが身体を起こして聞いてくる。
「調子?」
「朝の訓練でお前、倒れたんだぞ。覚えてないのか?」
雨の降る中庭に出て少しして、ぱたりといったらしい。言われると、ああ、そういえばと思い出す。
「大丈夫だ。残酷で幸せな夢も見てぐっすりだ。お陰で身体も軽い」
「それは大丈夫なのかな……」
末っ子の物言いに、笑いながらコンラッドが近寄ってくる。額に当てられる掌も、ベッドの周りの光景も、みんな自分を心配してのもの。
愛した人はひとりでも、愛してくれる人はほらこんなにたくさんいる。
「大丈夫。ぼくは強いからな!」
繰り返して言えば、胸の奥から力がわいて来る気がする。この大切な人たちを守るために、やることがある。彼が出来なくなってしまった分までできるなんて、なんて幸せなことだろう。
そう思い込もうとしている自分を自覚する。それでも、きっと今までよりも今日からのほうが大丈夫。
いつか再び出会う彼のために、胸を張っていたいから。
久しぶりに笑ったヴォルフラムの笑顔。
それをコンラッドと、起きたばかりのグレタが眩しげに眺めていた。
***
疲れたとネクタイを外しながら居間に向かうと、お帰りなさいという声に迎えられる。
「ゆーちゃん、荷物が届いてるわよ。机の上」
「荷物? 誰からだよ」
キッチンから顔を出さないお袋に尋ねてみても、自分で見るほうが早いわけで。机の上には何か物が入ったヨレヨレのビニール袋、多分ジップロックが置いてある。
「…………これかよ」
こんな包装、郵便や宅配ってレベルじゃないだろう。最近物騒だし、なにより兄は都知事。危険物かもしれないのにこんな無用心でいいのだろうか。
一応に口を開いて、中に入っている紙で包まれたものを出す。慎重に包装を解けば……。
「………………、これって」
「お風呂の掃除をしようとしたらね、浮かんでたのよ。よかったわね」
メッセージカードがつけられたお菓子が2つ。それに手紙も入っている。見慣れない文字で書かれた宛名は、すべて渋谷有利。
「ごめん、おれ今日飯いらないから」
大事な荷物を両手で抱きかかえ、急いで二階へ駆け上がる。普段なら文句のひとつも飛んでくるけど、今日だけはお袋も何も言わない。どれほどおれが、あちらと繋がりたがっていたか知っているから。
部屋のドアを閉め、その場で座り込む。
手にはグレタとヴォルフラムが作ってくれたお菓子。ふたりとも『愛をこめて』なんてメッセージをつけて、本当にずるい。
ヴォルフラムのメッセージカードがついた菓子のリボンを解けば、出てきたのはチョコレート。向こうに持ち込んだバレンタインの風習は今も健在らしい。
毎年毎年ひどいチョコを食べさせてきたヴォルフラム。わざわざ地球にまで送りつけてくるなんて、誰に文句を言えばいいんだろうか。
一粒つまんで口の中に入れれば、ほろ苦くて甘い味が広がって消える。
もう一粒食べれば、しょっぱい味が広がっていく。
「なんだよ、ヴォルフラム……美味しいぜ、これ」
苦かったりアルコールがきつかったりすれば、文句をいっぱい言えるのに。これでは何の文句も言えやしない。
さらに一粒取ろうとして、メッセージカードに触れる。リボンと共に揺れたそのカードの裏側に小さな文字を見つけて、手にとって見る。
『約束、忘れるな』
――ずっと、待っている。泣きながら笑った大好きな人の顔が蘇る。
「…約束、する。だから、みんなを、頼むよ……っ」
溢れる涙はそのままに、小さなカードを抱きしめる。
いつか、必ず眞魔国に戻るから。だから今は―――さよなら、大好きな人。
作品名:さよなら、大好きな人 作家名:架白ぐら