Ghost
失くしてしまった。
或いは手に入れたのかもしれなかった。
どちらにしろ、家康がそれを知った時、
すべてはとうに終わっていたのだ。
高校三年の秋、元親から三成が選んだ進学先を聞いて、家康はかすかに顔を綻ばせた。
「よかった。……あそこは工学部があるからな」
当然のように自らもそこを選ぼうとする家康が、最後に三成と話したのはもはや相当前だと知っている元親も、もう二人の奇妙な関係に慣れていたので苦笑いするに留めた。その歪さをそのまま認めてやることがこの二人にとって一番楽なのだと悟ってから、あえて口出しをすることはなくしたのだ。
その代わりに、元親は機会があれば互いに互いのことを話して聞かせる。
酔狂な板挟みだ、と己でもたびたび思ったが、それを厭う気持ちは起きなかった。
元親も結局この張り詰めた糸の対極にいるような、放ってはおけない二人を好いているのだ。
「お前らもホント、飽きねえよな」
こんな茶々を入れられる程度には、慣れた付き合いとなっていた。
「言ってくれるな、元親」
家康は渋い口調で言ったが、その顔には安堵が混じっている。施設に負担をかけることを避けて進学ではなく働くことを選ぶのではないか、それではあの頭脳が勿体ない、と家康がたびたび言っていたのを元親は聞いていた。むしろ元親以外にはそんな、あの相手を案じているようなことを伝えられる相手はいないだろう。
「ってェか、アイツ本気で頭良いんだな。条件キツい奨学金もぎ取ったってよ」
「それは当然だぞ。だからいっそう、他の奴らも近づきにくくなってしまうんだがなあ……」
家康は少し誇らしげに、そして惜しむように言う。自分を憎しみ尽くす相手にこんなことを言う奴はこいつ以外にはいないだろうなと元親は思うのだが、それもいまさらの話だ。
「ま、俺も嬉しいがな」
元親は歯を見せてにやりと笑う。
「俺はあそこの建築工学やりてえんだ」
それを聞くと家康は思わず真顔になり、元親を真正面から見つめた。
「――――言ってはなんだが、超難関だぞ?」
「そりゃあお前も同じ立場だろうが!」
思わず言い返した元親に、家康は、はは、と声をあげて笑った。
「そうなんだ。参ったな、一応準備はしているが……三成、あそこ以外を選んではくれんかなあ……」
「そりゃ無理だろうよ」
軽口を交わしながらも、すでに家康は心を決めていた。
そして初めて彼らが逢った日にも似た春に、三人は同じ大学の門を潜った。
養護施設の運営に関わる保護者兼友人を傍で見ながら育った三成は、大学では経営と経済を中心に学んでいる。基本的には固定のクラスがなく、個人で単位を取得していくという大学の手法は、集団生活に馴染めなかった三成の性に合っていた。だから勉学の面ではほぼ満足していたが、ただひとつ、キャンパスが無駄に広いことにだけは不満を抱いていた。
なにせこの場所では、あの煩わしくて忌々しい存在が遠すぎる。
三成は、家康が自分と同じ大学を選んだことに疑問を抱いたことはない。互いに、何も生み出さないその選択が当然であると知っていたからだ。だがいくら同じ大学とは言っても、家康の所属する学部は三成の学部からは離れているため、これまでのように意図せず顔を見ることは少なくなった。
見たいわけではない。見れば吐き気を催すほどの憎悪が腹の底でうねるのは変わらない。
だがこの環境に家康が、よもや平穏と幸福のみを感じていたらと思うと、三成はいてもたってもいられなくなるのだ。あの男が心安らかに過ごすことは絶対にゆるさない、三成は今も変わらずその意志を抱えながら生きている。
常に苛々としながら日々を過ごす三成に対して、新しい学友たちも近寄りがたさを感じたため、相変わらず三成は元親以外に親しい相手も増えていない。
たまに元親と会い、たまに出喰わした家康に牙を剥くような変わらぬ日々を送っていた。
意識もせずに、それがずっと続いていくものと受け入れていた。
だが、三成の世界はある日突然に変貌してしまった。
或いは手に入れたのかもしれなかった。
どちらにしろ、家康がそれを知った時、
すべてはとうに終わっていたのだ。
高校三年の秋、元親から三成が選んだ進学先を聞いて、家康はかすかに顔を綻ばせた。
「よかった。……あそこは工学部があるからな」
当然のように自らもそこを選ぼうとする家康が、最後に三成と話したのはもはや相当前だと知っている元親も、もう二人の奇妙な関係に慣れていたので苦笑いするに留めた。その歪さをそのまま認めてやることがこの二人にとって一番楽なのだと悟ってから、あえて口出しをすることはなくしたのだ。
その代わりに、元親は機会があれば互いに互いのことを話して聞かせる。
酔狂な板挟みだ、と己でもたびたび思ったが、それを厭う気持ちは起きなかった。
元親も結局この張り詰めた糸の対極にいるような、放ってはおけない二人を好いているのだ。
「お前らもホント、飽きねえよな」
こんな茶々を入れられる程度には、慣れた付き合いとなっていた。
「言ってくれるな、元親」
家康は渋い口調で言ったが、その顔には安堵が混じっている。施設に負担をかけることを避けて進学ではなく働くことを選ぶのではないか、それではあの頭脳が勿体ない、と家康がたびたび言っていたのを元親は聞いていた。むしろ元親以外にはそんな、あの相手を案じているようなことを伝えられる相手はいないだろう。
「ってェか、アイツ本気で頭良いんだな。条件キツい奨学金もぎ取ったってよ」
「それは当然だぞ。だからいっそう、他の奴らも近づきにくくなってしまうんだがなあ……」
家康は少し誇らしげに、そして惜しむように言う。自分を憎しみ尽くす相手にこんなことを言う奴はこいつ以外にはいないだろうなと元親は思うのだが、それもいまさらの話だ。
「ま、俺も嬉しいがな」
元親は歯を見せてにやりと笑う。
「俺はあそこの建築工学やりてえんだ」
それを聞くと家康は思わず真顔になり、元親を真正面から見つめた。
「――――言ってはなんだが、超難関だぞ?」
「そりゃあお前も同じ立場だろうが!」
思わず言い返した元親に、家康は、はは、と声をあげて笑った。
「そうなんだ。参ったな、一応準備はしているが……三成、あそこ以外を選んではくれんかなあ……」
「そりゃ無理だろうよ」
軽口を交わしながらも、すでに家康は心を決めていた。
そして初めて彼らが逢った日にも似た春に、三人は同じ大学の門を潜った。
養護施設の運営に関わる保護者兼友人を傍で見ながら育った三成は、大学では経営と経済を中心に学んでいる。基本的には固定のクラスがなく、個人で単位を取得していくという大学の手法は、集団生活に馴染めなかった三成の性に合っていた。だから勉学の面ではほぼ満足していたが、ただひとつ、キャンパスが無駄に広いことにだけは不満を抱いていた。
なにせこの場所では、あの煩わしくて忌々しい存在が遠すぎる。
三成は、家康が自分と同じ大学を選んだことに疑問を抱いたことはない。互いに、何も生み出さないその選択が当然であると知っていたからだ。だがいくら同じ大学とは言っても、家康の所属する学部は三成の学部からは離れているため、これまでのように意図せず顔を見ることは少なくなった。
見たいわけではない。見れば吐き気を催すほどの憎悪が腹の底でうねるのは変わらない。
だがこの環境に家康が、よもや平穏と幸福のみを感じていたらと思うと、三成はいてもたってもいられなくなるのだ。あの男が心安らかに過ごすことは絶対にゆるさない、三成は今も変わらずその意志を抱えながら生きている。
常に苛々としながら日々を過ごす三成に対して、新しい学友たちも近寄りがたさを感じたため、相変わらず三成は元親以外に親しい相手も増えていない。
たまに元親と会い、たまに出喰わした家康に牙を剥くような変わらぬ日々を送っていた。
意識もせずに、それがずっと続いていくものと受け入れていた。
だが、三成の世界はある日突然に変貌してしまった。