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ふうりっち
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■独逸さんの倉庫掃除

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ドイツは、朝から気合いが入っていた。
 毎度毎度、何かといい訳を付けては掃除をしようとしない兄。その兄が不在の本日、本人の許可は取っていないが大量の日記の収まるあの書斎を掃除しようと決めていたからだ。
 ドイツは、兄が出かけるとすぐにエプロンに着替え、用意しておいた掃除用具を手に書斎へ赴いた。

「相変わらず、量だけは褒められるな…」

 これまでの歴史を彩る古びた木製の扉を両側から挟むようにして、壁全体を覆う書棚。そこには何百冊、いや何千冊にも及ぶ日記が整然と並べられている。
 兄であるプロイセンがいつから付け始めているかは定かではない。しかし、一日も欠かすことなく綴られた日記は、彼が歩んできた歴史を伺い知るにはうってつけの代物ともいえる。
 今は、携帯電話からも更新ができるとのことでブログに移行してはいるものの、これまで一日も絶やさず書き続けてきたこれらの日記を見ると、勤勉な兄の性分を褒めたいと思う一方で、それだけの持続力があるならば、是非、家事もやってほしいと願ってしまうのは、弟の性だろうか。

「とりあえず、奥から順にやるか」

 マニュアル道は決して崩さない謹厳実直な性格であるドイツは、まず奥まった箇所から始めることにした。
 気合いをいれ、ホウキと塵取りを持ち奥へと進んでいく。すると、これまで見た事のない扉が目に留まる。
 書架の扉よりも年代を刻んだ、古めかしい樫の扉。その前に立つと、ドイツは小首をかしげる。

「……こんなの、あったか?」

 兄と暮らすこの家で、滅多に訪れない場所とはいえ、この存在を今まで気付かなかったことが不思議で仕方が無い。
 見れば、扉の周辺に目立った塵も埃もなく、常に手入れされている気配は伺える。そして、そこは扉の近くに置かれた小さなソファーとローテーブルによって、ちょっとした憩いの空間が築かれていた。
 ここで寛ぎながら過去(むかし)の記憶へ思いを馳せる―――そう考えられれば良かったかもしれないが、テーブルセットの奥にその存在を隠すかのように佇む扉を見つけてしまった以上、あれが単なる扉とは到底思えない。
 何かを隠そうとしている。
 そう、あれは兄が用意した隠し扉だと思えば、納得がいく。
 昔から秘密主義者の一面を持つ兄の事だ。ドイツが推測するに、ここには――ドイツにとって――不要な物が隠されているはず。
 それらが見つかれば、また怒られる。そう考えた兄が扉を隠したに違いない。
 わざわざ書庫の奥。それもテーブルセットで隠すようにするくらいだ。恐らくこの勘は当たっている。

「全く、あれほど無駄使いはするなと言ってあるのに…」

 その無駄遣いの代表例が、未だリビングに鎮座するパンダのぬいぐるみ。二体。
 早く片付けろと言っても、兄は片付けない。そんな頑なな態度に苛立ち、パンダが目に付くたびドイツが小言を口にするのは、すでに日常と化している。
 そんな兄を思いだし、ドイツは呆れたように溜息を零すと、ドアノブを回した。
 これだけ清潔に保たれているのだから簡単に開くと予想していたが、扉は予想を裏切り簡単には開かない。
 立て付けのせいだろうか。そう思うとドイツは何度かノブを廻し、開錠を試みた。
 この程度の工作なら、さほど時間も労力もかけずに済む。あの時代、小手先が器用でなければ廃屋に身を隠すこともままならなかった。だから、これくらの開錠ならば慣れている。

『それは鍛錬の賜物ですね。日本では、そのような器用さを昔とった杵柄というのですよ』

 手先の器用さを日本が称賛してくれたが、それと同時に嫌な時代を思いだし、ドイツは強くかぶりを振る。
 器用に越したことはないが、時代がそれを求めたのであって、ドイツ自身が求めたわけではない。何より大戦の後に待ち受けていた――悪夢。それを思い出し、胸の奥が酷く痛んだ。
 苦痛。苦悶。苦闘。呻吟。そして、疑念が脳裡で渦巻く。
 あの事例は兄の望んだわけではないはずだ。彼の上司が決断しただけ、決してロシアの言い成りに……。

「馬鹿馬鹿しい!」

 胸の奥で燻る疑念を立ち切るように、荒ぶる声を上げ、ドイツは大きくかぶりを振った。
 このまま悶々と意識を後退させいては、どつぼにはまりかねない。気持ちを切り替えるように目の前の扉を押し開けた。すると鍵の外れた扉からは書物とは違い、独特のカビ臭さが漂い鼻をつく。
 室内は締め切られたまま、長らく使われていなかったようだ。ここを塞いでいた扉と室内の様子が大きく異なる事に、ドイツは訝しげに眉をひそめた。
 直接、床へ鎮座する品々は埃避けのシーツで覆われ、それは長い年月を物語るように色褪せている。さらに扉を開けた事で舞い上がる埃に咳き込み、思わず涙目になった。咄嗟に両目を閉じ、涙が落ち着くのを待ってからドイツは内部へ踏み込んだ。
 できるだけ埃を吸わないよう袖口で口と鼻を押さえ、内部を見渡すと、思ったよりも狭い上に、脚の踏み場も無いほど荷物が詰め込まれている。
 扉を正面にする奥の壁には古びたカーテンらしきものが下がり、窓があることは分かるがそこまで行くのが先が、足場を確保するための掃除が先か、ドイツを悩ませる。
 やや重い溜息をつき、そっと埃避けのシーツの中を覗いてみると、骨董品の類なのか歴史を感じさせる品々が納められていた。

「ただの隠し部屋では、ないのか…?」

 兄の隠し部屋には違いないが、しかし、最近使われた形跡はない。
 何よりここの品物はドイツが思っていたよりも、ずっと大切な年代品なのかもしれない。それならば、無闇に触れてはならないように思えてきた。

「せめてあの窓が開けば、空気の入れ替えくらい出来るのだが…」

 奥まった倉庫のような一室と、日記が保管されている書架の扉はあまりにも離れすぎている。書斎の扉を開けたぐらいでは空気の循環は望めない。
 まして、これだけの埃をかぶる品々だ。空気の循環によって書斎まで汚しては掃除の意味が無い。

「やはり、この部屋の掃除は諦めたほうがいいのかもしれん…」

 すっかりやる気がそげ、意気消沈に陥ったドイツの視界に映りこむドイツ語。シーツに覆われた木箱の下方に書き残された文字は、やや癖のある。
 その文字はプロイセンの筆跡で間違いない。
 薄れたインクで『Eine heldenhafte Episode von mir』と明記されている。

「私の英雄的エピソード…『俺様武勇伝』ってところか」

 ドイツ語で表記された言葉を訳し、ドイツは小さく唸る。
 プロイセンが語る俺様武勇伝。ドイツが幼少の頃、眠りに着く前に聴かされたその語り草を、毎夜愉しみしていた記憶はある。
 戦場を駆ける駿馬に跨り、幾多の戦場を勝ち抜いてきた兄。その勇姿を褒め称えろとばかりにドイツへ語り聞かせてくれた。
 一度、大戦が始まれば長期間、離れて暮らすことは避けられないため、帰還した兄が聞かせてくれる戦場での武勇伝を楽しみに聴いていた。例え血生ぐさい話だとしても、兄と交流がもてる唯一の手段と幼心に分かっていたため、ドイツも夢中になって話を聞いていた。
 そんな幼少の記憶が甦ったためか、木箱に興味が湧いた。