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ふうりっち
ふうりっち
novelistID. 16162
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■独逸さんの倉庫掃除

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「何がだ?」

 問いかけにドイツは首を傾げると、プロイセンは目を細め弟を凝視する。

「なんか…疲れてるみてぇだからよ」

 顔色が冴えない。
 それが第一印象。いつもならプロイセンが帰宅すると同時にやかましいまでに口煩く帰宅後の行動を指す図してくるはずのドイツが、らしくない。

「俺が…?」
「おうよ、すっげぇ疲れてま~すッ! って貌してるぜ。顔色もよくねぇしよ……」

 心配しながらも、ドイツを和ませようと笑ってみせるが、ドイツは浮かない表情のまま顎に指を添え、考えるような素振りを見せた。

「……ヴェスト?」
「あのな、兄さん」

 突如、意を決したように双眸を真っ直ぐプロイセンへ向けてきた。途端、プロイセンは身構える。
 何を問うつもりなのか知らないが、こういう時のドイツは、たいてい予想外の事を聞いてくる。せめて兄らしい振る舞いをしようと、先を促す。
 

 プロイセンの言葉が呼び水となったことで、ドイツはゆっくり呼吸をしたのち、唇を開いた。

「兄さんは……その…、クロスを外した事は無いだろうか?」

 無粋な問い掛けだと思っていても、言葉を止めることはできない。確かめずにはいられない。
 大戦中でも、自分は決して外さなかった紋章を兄は、あの絵画の中で外していた。

―――何故?

 一時的だったのかもしれないが、それにはどんな理由があるのか知りたい。

「んな事あるわけ……あ、そういや、あるな。一度だけ」

 瞬間、ドイツは自分でも表情が青ざめていくのが分かった。

(まさか、兄さんは自分から……)

 頭では否定したいのに、感情が先走る。
 何より信じている相手だからこそ、些細な言葉に動揺してしまう。

「……けど、あれはロシアがムカついたからだしよ、自分の意思じゃねぇぜ」

 ニッと笑う兄はいつもの彼であるが、ドイツは言い知れない不安に胸が押し潰されそうになっていた。

「1961年8月13日0時。ホラ、あの日だけは、俺――東ドイツは、西ドイツを捨てた裏切り者だったからな」

 プロイセンはどこか遠い目をしていた。
 記憶が後退しているのか、表情もどこか若かりし日の兄にみえる。

「けどヴェストを裏切ったわけじゃねぇし、せめてもの足掻き…っつぅの? これ外してやったんだぜ」

 その日以降は元に戻したけどな。
 首元から下がるアイアンクロを指先に引っ掛けながら、そう告げる兄の言葉にドイツは目を瞠る。

『ヴェストを裏切ったわけじゃねぇし』

 そう兄は語った。

(裏切ってない…だと?)

 国家間の情勢や、国的な意思が農民や技術者の流出を防ぐため、やむを得ず造られたという―――壁。
 しかし、何の連絡もなしに開始された有刺鉄線による東西間の封鎖。
 それはドイツばかりでなくアメリカやフランスも、度肝を抜かれたの事は未だに覚えている。だが強国ロシアが後方に控えているのであれば、いつかは起こりえた事態だとアメリカは想定していたようだったが、その頃のドイツには衝撃が大きすぎて、兄の裏切り行為が赦せずにいた。
 しかし、今の兄の言葉はどうだ。
 裏切り者としてのレッテルを貼られたとしても、自分には最初から西ドイツを裏切り意思はなかったと。だから、あの日だけは二人の象徴でもあるクロスを外したとプロイセンは告げてきた。

「なんかロシアがよ~『今日は記念日だね~』とか言いやがって、あんまりにもムカついたから。クロス無しであの日は過ごしたんだぜ」

 小鳥のようにカッコイイ俺様が。
 そう強調する兄は清々しく笑っている。しかし、何の記念日なのか口にしないあたり、ロシアの行為が未だ納得できていないからだろう。それとも詳細そのものを忘れているのか。
 いや、秘密主義者の彼のことだから、話すつもりはないのだろう。
 どちらにせよロシアが言っていた『記念日』とは、あの絵画を描いた日のことで、それは兄にとって良い思い出ではなかったという事は確か。
 だからクロスを外したあの姿を絵に残した。
 それは自分は『東ドイツ』であって、ロシア領でも、西ドイツを裏切っていないという反発心の表れ。
 しかし、これはドイツの勝手な解釈に過ぎない。あの絵画についてを直接問わず、ただクロスありきだけを問う自分は卑怯なのかもしれない。
 まだ聴けない。いくら二十年は過ぎようとも、まだ蟠りがすべて消えたわけじゃない。そのせいか、当時の事を直裁な言葉に置きかえられずにいた。 
 弱い。
 こういう自分は弱いと思えるが、兄を相手にしてしまうと、やはり弱腰になってしまう。

「で、なんでそんな事聴くんだ?」
「いや、なんとなく……だ」
「何だよ~、俺はてっきりヴェストが疲れてんのが関係してんのかと思ってたぜ~。けど、あんまし面白れぇ話じゃねぇよな?」

 ドイツの現状を理解し、欲しい言葉は言ってやったんだ。これ以上は追及しないから、何も聴くな。
 兄なりの防衛線を匂わせる言葉に、ドイツは小さく頷く。

「んな事より腹減った~。ヴェスト、飯はまだなのか?」

 その時、ぐーっと空腹を知らせるようにプロイセンの腹が鳴る。

「夕飯まで、まだ時間があるな…。ホットケーキでよければ作るが?」
「俺様、いま丁度ヴェストのホットケーキが食いたかったんだぜ!」

 ケセセセと笑い、ガッツポーズのように両腕を振り上げるプロイセンがソファーの上ではしゃぐ。
 その姿に、かつての軍事大国としての威厳は失せていた。けれど、それでいいとドイツは思えた。
 この和平を未来永劫続けるためにも、もう戦争は起こしても、起きてもならない。自分達のような悲劇を二度と繰り返してはならないのだから。

「兄さん、ホットケーキにイチゴジャムとストロベリーアイス、どっちがいい?」
「そんなの両方に決まってるだろう!」

 機嫌よく答えるプロイセンに、ドイツは「どちらかだ!」と言葉を継ぐ。
 こんなやり取りを繰り返してきた。再会を果たしたあの日からずっと。そして、『自分を(西ドイツ)裏切ってはいない、兄(東ドイツ)』。
 今日は、それを知る事ができただけで充分であった。

「ヴェスト~?」

 いつしか立ち止まっていたせいで、再び名前を呼ばれた。

「すまない、ちょっとトッピングを考えていたんだ」
「もしかして、イチゴジャムとストロベリーのアイスを混ぜたりするのか?」
「いやだから、どちらか一方だと言ってるだろう。それに、どちらもだいたい同じ味ではないか、兄さん」

 愛情を込め『兄さん』と口にするだけで、胸の奥が温かくなる。 

『兄さんッ! 兄さんッ!』

 ベルリンの壁に向かい、何度呼びかけても答えてくれることの無かったあの悪夢の時代は、もう過ぎ去った。
 このまま前を向き、ひたすら前進しよう。つまずいても、転んでも、先を進む兄は今のように振り返り、自分を呼んでくれる。
 大丈夫だ。自分は一人じゃない。

「でも、まぁ…今日くらいは特別仕様でもいい」
「オッ、なんだ、なんだ! なんか良い事でもあったのか?」

 歓喜を体中で表現するプロイセンに当てられたのか、ドイツは自然と笑みを零した。

「きょ、今日だけは特別なんだ…」