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前夜

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「新城に籠る逆賊、孟達を討つ」

 魏王として曹丕は、至極冷静にその命を下した。その細い指が示す先、つまりは仕え従う兵卒や将の中にはその命に異を唱える者は誰一人としていない。己が身ばかりを顧みる小人を庇う人間は、曹魏にはいなかった。
 勿論その中には司馬懿も含まれている。




・ ・ ・ ・ ・




「……明日、か」

 戦場への出立は日の出と共に行われる。
 司馬懿は直属の兵卒以下全員に、常にそうするように、僅かばかりの遺漏もないよう準備に当たらせた。既に自身の用意は整っている。あとは地平より太陽が姿を表すのを待つばかりだ。
 しかし未だ紺色の空には少し欠けた月がその存在を主張しており、朝焼けには今暫くの時間を必要としている。

「……」

 戦の前だからという訳ではない。しかしその理由がそれしか見当たらないくらいに気分が昂揚しているのは何故だろうか。寝台へ横たわっても瞼が落ちない程。
 丸窓から覗く月は最後の軍議より解放された後より傾いたかという程度。月明りと燭の火でうすぼんやりとした部屋の中。このままでは時間がまだあるにせよ、ろくろく眠らないままの出立となってしまう。それでも戦の指揮は出来るだろうが、それは自身の矜持が許さなかった。小者相手の戦に慄いているようで。

(……星を見よう)

 不意に司馬懿がそう思ったのは、本当にただの気紛れでしかなかった。
 星など今更見ても仕方のない事である。明日の天候がどうなろうともそれに即した策はいくらでも並べ立てられよう。そんな事をするならば、まだ布陣の確認をした方が有意義であるのは明白。
 しかしそれでも司馬懿はその身を夜空の下へと向かわせた。理由などはなかった。どうせ組んだ陣容に穴がないのは解りきっている、今更見直す必要もないのだ。
 一枚多く衣を羽織り、施錠すらしていなかった扉を開ける。建物の内外での温度差はあまりなかった。
 回廊を抜けて中庭へ。簡単に結い上げただけの髪は、ほつれた部分が僅かな風に煽られる度に首筋をなぞり上げるようでやや気持ちが悪かった。襟元も崩れていたが、それでもいい。気に留める程の事ではない。
作品名:前夜 作家名:タカツキ