【腐】まず初めに
切って貼り付けたかのように長い睫。
幾度となく修羅場を潜り抜けたにも関わらず、傷一つない白い頬。
風に靡く茶色の髪、血色のいい唇、若木のようにすらりと伸びた肢体、輝く瞳。
戦場にある時も、目でついつい彼の姿を探してしまう。前方から、敵が迫っているのにも関わらず。視界の端にいた彼の喉に、きらりと汗が光っているのを見つけて。
(舐めたい) と、剣を構える事を忘れ、反射的に思ってしまったことすらあるのだ。
さて、いつからフレイという名の青年神に、このような邪心を抱くようになったのだろうか。
北方の故郷で防衛に加勢してくれた時か。それとも、南へ下っていく道中でか。
シグムンドは短期間で目まぐるしく展開した過去を思い返してみる。だが、きっかけとなった出来事はどうも思い出せない。
ただ、初めてその姿を認めた時。(今までみたどの村娘よりも綺麗だ)と、アスガルド随一の美女との誉れ高いフレイヤ・・・なんて目に入らないぐらい、彼は輝いて見えた記憶があるから。一目惚れなのかもしれない。
時間が経ち、戦況が悪化すればするほど、シグムンドのフレイに対するもやもやした気持ちは加速をたどる一方で。しかし、若い族長は、意中の相手に心の内を告げる気なんてさらさらなかった。
変に疎いシグムンドは、当初この気持ちを「友情の延長上」だと勝手に判断し、片付けてしまったのもある。
そして、彼の周りには常に二人以上の女がいて・・・それは妹のフレイヤだったり、ワルキューレのブリュンヒルデだったり、女兵士のラーンだったり・・・彼女たちは、フレイを巡って水面下で争っており、その諍いの元にはとても気軽に近づける雰囲気ではなかったからだ。
しかし、人間の気持ちに「待った」はきかないらしい。彼のフレイに対する気持ちは、時を経るごとにどんどんねじれてきたようだった。
というのも、昨晩見た夢の内容が、「泣きわめくフレイを無理矢理押さえつけ、鎧に手をかける」というかなりダイレクトな内容で。
己が夢にも関わらず、相手の涙があまりにも生々しくて。一瞬現実かと勘違いし、思わず飛び起きてしまったのだ。(傍らに寝ていたヴェルンドもつられて「敵襲かっ!?」と叫んで飛び起きた。ヘルギは相変わらず眠りこけていたが・・・)
これには鈍感な彼も、フレイが自分にとって盟友でもなく、戦友にも親友にも当てはまらない存在であることを悟ったのである。
心の迷いは一瞬の隙を生み、一瞬の隙は死へとつながる。一流の狩人でもあり、優秀な戦士でもある彼は、幼い頃から父に繰り返し「迷いを作るな」 と教わってきたのであるが。
恋心を自覚してからというもの、シグムンドの心は今、迷いだらけであった。なにをしていても、フレイの事が気がかりで。本当に何も手につかなくて。気づいたら、白鎧の彼を目で追っている、心ここにあらずの酷い有様。
背後から近寄ってきたヘルギの、大きな足音にも気づく事ができないぐらい感覚が鈍った。更にヴェルンドに「最近ぼーっとしているな。風邪か?」 と心配される有様である。
早く、この気持ちをなんとかしなければ。きっと、戦うときに支障を来す。
俺がこのようなていらくでは、きっと周りの志気にも悪影響がでる。
これ以上変になる前に、手を打たなければ。出来れば近いうちに。
その『近いうち』は意外にも早くにやってきたのだった。
女衆はけが人の手当て。
ブルグンドやゴートのお偉い方は集まって緊急会議。
ヴェルンドとヘルギは東を、自分とフレイは西を偵察・・・しているこの最中は、またとこない二人きりの機会。
更に、おあつらえむきにも、周りは鬱蒼と茂る木々に囲まれている。聞いた話によると、この辺り一帯は、昔より魔物が出ると伝えられている角で、滅多に人は近寄らないらしかった。
まさに、人に聞かれる心配も見られる危険も薄い、絶好の場所である。
特定の一人を心より好いた経験の無いシグムンドは、現実のフレイに拒絶されれば自分の恋心も消え、元の状態に戻れると考えた。多少傷つくだろうが、宙ぶらりんの気持ちを引きずったまま、戦場に立つよりはマシであろう。
だから、相手が余所を向いた隙をついて抱きしめて、整った形の耳に向かって「 す き だ 」と囁いたのである。
次の瞬間には、「すまない、シグムンド。私は男は・・・」 との声がすると思ったのだが。
抱きしめた華奢な体は、ぴくりとも動かない。精巧な花飾りのついた頭も、俯いたまま微動だにしない。声もしない。
今聞こえるのは、木の枝をすり抜ける風の音だけである。
あまりの出来事にぽかんとしているのだろか。
いやいや、もしそうだとしたら、自分の背に回されたしなやかな腕はなんなのだ。
「フレ」
「おい、シグムンド。今言ったことは誠か。本心から言ったものか」普段と同じ、淡々とした口調が、耳に響く。
「・・・俺は、冗談ではこんな事を言わない。聞き逃したのなら、もう一度言おうか?俺は、お前のことが」
好きだ。と続くはずだった言葉が、口から出てこなかった。何故なら、フレイが顔を上げたから。端正な顔が、微笑みを浮かべていたものだから。
その思いがけない展開に、言いたいことがすっかり頭の中から抜け落ちてしまった。
豊穣神は、随分としまりのない表情をしていた。張っていた線が緩んだような、緊張の糸がぷっつり切れたような。
ここまで脱力をした無防備な顔のフレイを、シグムンドは見た事がなかった。もしかしたら妹ですらお目にかかったことが無いかもしれない。
「私もだ、シグムンド」
ガツンと、頭を殴られたような衝撃が走る。
目元に涙を浮かべた姿が、実に絵になるこの男。こいつは、今、なんと言ったのだ?
「お前のことを好いている。それも、他の人間や妹に対するそれとは違った意味でだ」
背後の手に力がこもる。まるで、離すもんかと言うように。
「最初は戸惑った。神が一人の人間、それも男にこれほどまで執着していいのだろうか、と。お前が女なら、私が世話をしてやれるのにと思った。私が女なら、お前の子供を産めるのにとさえ思った。同じ神なら、思いは通じずとも、久遠に近い時をアスガルドで共にすごせるのにと・・・」
冷静で、取り乱すことがほとんどなく、むしろ人間味に欠けた部分(当たり前だ、彼はアスガルドの住人なのだから)のあるフレイが。頬を紅潮させ、目を泳がせて、ひたすら口だけを動かしている。
「お前が死ぬまで、この想いを秘めたままでいようと決めていたのに。何で、ラグナロクが始まるか始まらないかの瀬戸際で、こんな事を言うんだ。ばかばかばか。不謹慎だぞ、こんな非常時に」
乱暴な言葉を口から吐き出すくせに、唇は三日月型の笑みの形になっている。ぎゅうぎゅうと抱きついてくる力は強さを増していた。
「でも、これで、お前を見るたびに、苦しい思いをせずに済むのだな。真っ正面から見据えてもらえるのなら、いっそ、シグムンドの剣で斬り殺されたいと何度思ったことか。このようにして厚い胸板に顔を埋める事ができたら、冥府に堕ちていいと何度考えたことか」
幾度となく修羅場を潜り抜けたにも関わらず、傷一つない白い頬。
風に靡く茶色の髪、血色のいい唇、若木のようにすらりと伸びた肢体、輝く瞳。
戦場にある時も、目でついつい彼の姿を探してしまう。前方から、敵が迫っているのにも関わらず。視界の端にいた彼の喉に、きらりと汗が光っているのを見つけて。
(舐めたい) と、剣を構える事を忘れ、反射的に思ってしまったことすらあるのだ。
さて、いつからフレイという名の青年神に、このような邪心を抱くようになったのだろうか。
北方の故郷で防衛に加勢してくれた時か。それとも、南へ下っていく道中でか。
シグムンドは短期間で目まぐるしく展開した過去を思い返してみる。だが、きっかけとなった出来事はどうも思い出せない。
ただ、初めてその姿を認めた時。(今までみたどの村娘よりも綺麗だ)と、アスガルド随一の美女との誉れ高いフレイヤ・・・なんて目に入らないぐらい、彼は輝いて見えた記憶があるから。一目惚れなのかもしれない。
時間が経ち、戦況が悪化すればするほど、シグムンドのフレイに対するもやもやした気持ちは加速をたどる一方で。しかし、若い族長は、意中の相手に心の内を告げる気なんてさらさらなかった。
変に疎いシグムンドは、当初この気持ちを「友情の延長上」だと勝手に判断し、片付けてしまったのもある。
そして、彼の周りには常に二人以上の女がいて・・・それは妹のフレイヤだったり、ワルキューレのブリュンヒルデだったり、女兵士のラーンだったり・・・彼女たちは、フレイを巡って水面下で争っており、その諍いの元にはとても気軽に近づける雰囲気ではなかったからだ。
しかし、人間の気持ちに「待った」はきかないらしい。彼のフレイに対する気持ちは、時を経るごとにどんどんねじれてきたようだった。
というのも、昨晩見た夢の内容が、「泣きわめくフレイを無理矢理押さえつけ、鎧に手をかける」というかなりダイレクトな内容で。
己が夢にも関わらず、相手の涙があまりにも生々しくて。一瞬現実かと勘違いし、思わず飛び起きてしまったのだ。(傍らに寝ていたヴェルンドもつられて「敵襲かっ!?」と叫んで飛び起きた。ヘルギは相変わらず眠りこけていたが・・・)
これには鈍感な彼も、フレイが自分にとって盟友でもなく、戦友にも親友にも当てはまらない存在であることを悟ったのである。
心の迷いは一瞬の隙を生み、一瞬の隙は死へとつながる。一流の狩人でもあり、優秀な戦士でもある彼は、幼い頃から父に繰り返し「迷いを作るな」 と教わってきたのであるが。
恋心を自覚してからというもの、シグムンドの心は今、迷いだらけであった。なにをしていても、フレイの事が気がかりで。本当に何も手につかなくて。気づいたら、白鎧の彼を目で追っている、心ここにあらずの酷い有様。
背後から近寄ってきたヘルギの、大きな足音にも気づく事ができないぐらい感覚が鈍った。更にヴェルンドに「最近ぼーっとしているな。風邪か?」 と心配される有様である。
早く、この気持ちをなんとかしなければ。きっと、戦うときに支障を来す。
俺がこのようなていらくでは、きっと周りの志気にも悪影響がでる。
これ以上変になる前に、手を打たなければ。出来れば近いうちに。
その『近いうち』は意外にも早くにやってきたのだった。
女衆はけが人の手当て。
ブルグンドやゴートのお偉い方は集まって緊急会議。
ヴェルンドとヘルギは東を、自分とフレイは西を偵察・・・しているこの最中は、またとこない二人きりの機会。
更に、おあつらえむきにも、周りは鬱蒼と茂る木々に囲まれている。聞いた話によると、この辺り一帯は、昔より魔物が出ると伝えられている角で、滅多に人は近寄らないらしかった。
まさに、人に聞かれる心配も見られる危険も薄い、絶好の場所である。
特定の一人を心より好いた経験の無いシグムンドは、現実のフレイに拒絶されれば自分の恋心も消え、元の状態に戻れると考えた。多少傷つくだろうが、宙ぶらりんの気持ちを引きずったまま、戦場に立つよりはマシであろう。
だから、相手が余所を向いた隙をついて抱きしめて、整った形の耳に向かって「 す き だ 」と囁いたのである。
次の瞬間には、「すまない、シグムンド。私は男は・・・」 との声がすると思ったのだが。
抱きしめた華奢な体は、ぴくりとも動かない。精巧な花飾りのついた頭も、俯いたまま微動だにしない。声もしない。
今聞こえるのは、木の枝をすり抜ける風の音だけである。
あまりの出来事にぽかんとしているのだろか。
いやいや、もしそうだとしたら、自分の背に回されたしなやかな腕はなんなのだ。
「フレ」
「おい、シグムンド。今言ったことは誠か。本心から言ったものか」普段と同じ、淡々とした口調が、耳に響く。
「・・・俺は、冗談ではこんな事を言わない。聞き逃したのなら、もう一度言おうか?俺は、お前のことが」
好きだ。と続くはずだった言葉が、口から出てこなかった。何故なら、フレイが顔を上げたから。端正な顔が、微笑みを浮かべていたものだから。
その思いがけない展開に、言いたいことがすっかり頭の中から抜け落ちてしまった。
豊穣神は、随分としまりのない表情をしていた。張っていた線が緩んだような、緊張の糸がぷっつり切れたような。
ここまで脱力をした無防備な顔のフレイを、シグムンドは見た事がなかった。もしかしたら妹ですらお目にかかったことが無いかもしれない。
「私もだ、シグムンド」
ガツンと、頭を殴られたような衝撃が走る。
目元に涙を浮かべた姿が、実に絵になるこの男。こいつは、今、なんと言ったのだ?
「お前のことを好いている。それも、他の人間や妹に対するそれとは違った意味でだ」
背後の手に力がこもる。まるで、離すもんかと言うように。
「最初は戸惑った。神が一人の人間、それも男にこれほどまで執着していいのだろうか、と。お前が女なら、私が世話をしてやれるのにと思った。私が女なら、お前の子供を産めるのにとさえ思った。同じ神なら、思いは通じずとも、久遠に近い時をアスガルドで共にすごせるのにと・・・」
冷静で、取り乱すことがほとんどなく、むしろ人間味に欠けた部分(当たり前だ、彼はアスガルドの住人なのだから)のあるフレイが。頬を紅潮させ、目を泳がせて、ひたすら口だけを動かしている。
「お前が死ぬまで、この想いを秘めたままでいようと決めていたのに。何で、ラグナロクが始まるか始まらないかの瀬戸際で、こんな事を言うんだ。ばかばかばか。不謹慎だぞ、こんな非常時に」
乱暴な言葉を口から吐き出すくせに、唇は三日月型の笑みの形になっている。ぎゅうぎゅうと抱きついてくる力は強さを増していた。
「でも、これで、お前を見るたびに、苦しい思いをせずに済むのだな。真っ正面から見据えてもらえるのなら、いっそ、シグムンドの剣で斬り殺されたいと何度思ったことか。このようにして厚い胸板に顔を埋める事ができたら、冥府に堕ちていいと何度考えたことか」