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くらたななうみ
くらたななうみ
novelistID. 18113
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疑似天使たちが辿る顛末について

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思っている。「お前が俺に付けた傷が、消えなければいいのに」それは、言わないけれど。
そんな些細な願いは死後の世界の摂理に従順な僕には叶わなくて、日向に与えられた痛みは、ものの数時間でなくなってしまう。

「何、してるんだよ」

扉を開ける。傍らにうずくまっている日向に、俺は言った。
力なく日向はその顔を上げて、そして、何も言わぬまま、また顔を伏せる。
顔に浮かんでいるのは罪悪感だ。罪の意識。
俺が黙っているから。
毎晩のように日向がもたらす仕打ちについて。
俺が。何も言わないから。
だから日向ばかりが罪悪感を募らせる。

「最悪だ」

この言葉は俺自身に向けたもので、でも日向はきっとそうはとらない。罪悪感、また一つ、積み上がる。
毎夜のこと繰り返す、ひととき与えられた痛みすら、僅かな時間にかき消されてしまう何も生まない行為。彼がこの行為に罪悪感を抱いているうちは、心かr満たされるなんて瞬間は訪れず、必然消えることはないだろう。
だから、俺は何も言ってやらないんだ。僕の核心、本心、
心のなかを。





疑似天使たちが辿る顛末について





「満足して消えるためだけのこの世界だけど、傷つかないことなんて、ないのよ」

奏が言った。
なんだ、知っていたのか、と一瞬身構えたが、どうこうしようだとか、ましてや不純な行為だからやめさせよう、というつもりではないらしい。

「知ってる」

俺は答える。

「傷つけているのを知っている。傷つけると分かっていてそうしている」

突きつけられたさりげない二択に、「両方だ」と回答した。誤魔化すように小さく笑ったが、無意味なことと分かっている。
自分の身体が強ばっているのが分かった。今のこの何一つ生み出さないループを、取り上げられるのを恐れているのだ。自分で自分が愚かでならない。

「貴方の口から論理的じゃない台詞が出るのは珍しいこと。感嘆する」

ちっとも感嘆している風ではない。しかし、奏は言った。俺のことをそうも評価していてくれたなんて、こっちが感嘆したいところだ。

「あのまま、彼を縛るの。ずっと? 永久に?」
「ずっとじゃない、全部終わったらちゃんと言うさ」

小さい吐息、それは、ため息なのか、それともただの呼吸なのか。

「傷がどんどん重なって」

奏の唇が、紡ぐのは、無意味に繰り返したループの辿る顛末について。

「かさぶたになる前に、その上にどんどん新しい傷ができて、痛いのに、痛いかどうかも分からないまま、消えられなくなる。消える為だけの世界だけど、傷つかないことなんて、ない。雁字搦めになって、永遠にこの世界をさまようことになってしまうかもしれない」

「そうなってしまった人間が、いるのか」と、訊きかけて、それを口に出すことはできなかった。聞けなかった。
俺の脳裏には既に、佇むだけの彼のイメージ――俺自身が全てを終えて消えた後、癒せない傷を抱えたままいつまでもさまよい続ける日向がいて、彼は自分のグラブへボールが飛び込んでくるのを待っている。
彼にボールを打ち飛ばすはずのものは皆消えてしまった、誰もいない世界で。
日向の人生の終わってからの一片にしか携わっていない俺が、彼の次の未来を、侵食してめちゃくちゃにしようとしている。
俺は生きていたとき、こんな感情はついぞ経験したことがなかった。それを避けてもいた。
一瞬、心中が歓喜に湧いたのは、彼を支配し、永遠に独占することを想像したことによる醜い悦楽。
しかしこれは毒であり、甘くて、哀しい幻想だと、知っている。

「日向が、好きなんだ」

黙って奏が頷いた。知っているわ、とでも言うように。
俺は死刑宣告を待った。「次は彼にしましょう」と、奏が言い出すのを。しかし彼女は何も言わなかった。
俺自身がそれを言うのを待っている、というわけでもないようだった。





休息している世界の中、夜の空気より少しだけ温かい日向の手が、身体の上を這う。

「どうした、なんか今日、変だ」

日向が訊いた。
口づけは身体中に落とされた。それこそ唇以外全部と言っていいほど。あまりに顕著なのは不器用な彼所以。

「日向は、どうして、」

今まで口にしなかった言葉を、僕は唇にのせる。「俺を抱きたがるんだ」疑問符と共に。
日向の顔が強ばった。動きが、ぴたり、止んで。
コチリ、コチリ、無限に巡り続ける時の中で、その抑揚だけを俺たちに報せ続ける時計が、沈黙を拒んでいた。

「訊かないで、欲しかった」

その音に紛れ込ませるように、日向は小さく吐き出す。

「け、ど、訊いて、欲しくもあった、かな」

は、と笑って。日向がまたひとつ罪悪感を、頂上に積んだ。

「キスしてもいいか……口に、唇、に」

突っ伏したままの彼が、上に、もう一つ積む。ここまで追い詰めたのは、俺だった。

「ごめん」

日向がうず高く積み上げた罪悪感の頂上に、俺はそれを載せた。
震えていた日向の身体が一際大きく、びくりと震え、そして動かなくなる。

「違う、意図的に、黙っていたのが。ごめん」

動かない日向の髪を撫でた。彼の髪は、見かけ以上に柔らかくてふわふわなのを、知っている者が少ないと良い。
決定的な一打を、唇にのせる。
罪悪感とごめんが互い違いに積み重なった塔の上、最後に積んだのは、俺の罪の象徴だった。

「好き、だよ」

動かないままの日向の髪は、やっぱりふわふわで、輪郭だけが次第にぼやけていく。早いな、もう消えてしまうのか、と思ったのは勘違いで、俺が泣いているからだった。

「好きだ」

消えないで。

「もう、消えて、いいよ」

消えないで。消えないで、消えないで、消えないで。消えないで、消えないで。涙が止まらない。
消えないで、なんて、

「俺が、そんなことを考える資格は、もう――ないから」

次の世界に生まれたら、俺は、日向を探そう。絶対に、見つけだそう。
何十億人いる世界中の人間たちの中から、生まれ変わって、名前も、姿形も変わってしまったかもしれない君を捜そう。
一生掛かっても。
出会うための一生になっても。君とまた出会うために。つまらないことを言いあって、笑うために。
君が俺を忘れていても、俺が、君を、忘れてしまっていたとしても。

「どうしよう、音無、これとまんない」

ようやく顔を上げた日向の顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。それを掌でちょっと拭ってやってから、頭ごと引き寄せて口づける。
日向の顔がふにゃりと歪んだ。笑っているのか、泣いているのか。俺は少し固い唇に、必死で自分のそれを押し当てる。

「お前も、泣いてる」

肩を押されて唇がはなされる、広い掌で優しく頬を拭われた。





無限ループを繰り返した後。
翌朝、扉を開けると、そこには誰もいなかった。
うなだれる日向も、誰もいない、ぽっかりと、無でしかない空間。
しかし日常は始まる。戦線の皆に、日向の顛末について、話さなければならない。そして、謝らなければ。

「なんで……いるんだよ」

俺が言った言葉に、「ひどいな、昨日のことが嘘のようだ」とちっとも悲しそうではないのに、悲しげな表情をし、悲しそうに装っている彼の様相といったらなかった。