春の嵐
「オーストリアさん!」
階段を駆け上る音が近づくと同時に、ばたんと激しくドアが開き、ハンガリーが駆け寄ってくる。
先ほどの喧嘩の名残か、エプロンドレスの袖は破け髪はぐしゃぐしゃに乱れている。
薔薇色に高潮した頬、翠の瞳は怒りでキラキラと輝いて、ギクリとするほどいきいきと、なまめかしい。
――はてこの娘はこんなに美しかったろうか。
一瞬ローデリヒは場違いな感慨にふける。
「あの!あの…大丈夫ですかオーストリアさん!?プロイセンの野郎に王号をって、なんか脅されたんじゃ、てかなにもされてませんかご無事ですか!?ああ何ですかその青ざめたお顔、普段より色香三倍増しでご馳走様ですハァハァくっそ貴方にその顔をさせるのは俺の予定だったのに…!!」
「……ハンガリー」
言っていることは半分理解できなかったが、とにかくお下品であると判断したローデリヒは咎める響きをこめて睨む。途端にハンガリーはぴた、と口をつぐんで目を白黒させ、口調を改めた。
「…えと、御身はご無事、でありま、しょうか?」
「…なにも心配されるようなことはありません。フランスとの戦いの為に今は少しでも兵隊が欲しい。北方の小さな公国に王号を認めてやるくらい些細なことですから」
実をいうと気が進まなかったのだ、とは言えなかった。
こんな実体のない怖気を、少女の前で口にするのは、なぜか少し悔しい気がしたのだ。
「~~~~~~っ」
なおもなにか言いたそうに、ぱくぱくと口を動かしてから押し黙るハンガリー。
畳み掛けるようにローデリヒは彼女の汚れた額に指を突き付けた。
「それよりもハンガリー。なんという格好です。はしたない。早く泥を落として着替えてきなさい」
「あの!そういう無防備なところも萌えなんですけど、どうか気をつけてください!あの野郎、オーストリアさんのことを狙っています…!!」
「…………はい?」
「妙だと思ってたんです。公国になったあたりから用も無いのにこのお屋敷をうろついて。毎日ちょっかいかけてきてたのはきっと偵察だったんだわ。くっそあの野郎油断も隙もねえ…よりにもよって『“オーストリアさんを”ぶっつぶして俺のものに』だなんて。でもいつかはこんな日が来ると思ってたんです何故なら貴方は美しく被虐を誘う色気むんむんで、存在自体がエロスすぎるから…っ」
例によって半分以上理解できないハンガリーの呟きを聞き流しながら、ローデリヒは自分が酢でも飲んだような顔になるのがわかった。
「…ご忠告感謝しますが、貴方はまずご自分の心配をなさい」
「え?」
きょとんと首を傾げるハンガリー。
あれほどわかりやすく向けられた想いに、彼女はてんで気づいていないようだった。
――ああ。やっかいなことになりそうだ。
無自覚すぎる彼女と。不器用な恋を燃やす狂犬のような男と。
これから訪れるであろう波乱を思い浮かべ、ローデリヒは大きくため息をついた。