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蛍の灯おちる頃

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深い深い闇の中、名も分からぬ夏の虫が鳴いている。一般家屋に比べると随分と
長い廊下にぐるっと囲まれるようにしてある庭に現人は立っていた。気がついた
らここにいた。幹孝の部屋は奥の方の、他の部屋よりも翳りのあるところにあっ
て、襖を開けるとこのただっぴろい庭が見えた。飽きるほど身体を重ねた後に見
ることしかなかったから、あまり細部までは記憶になかったが、今見渡した限り
だと現人が最後に大江邸を訪れた時とあまり変わっていない気がする。ぐるっと
庭の周りを見渡してから、すとんと縁側に座った。夏の蒸し暑い時、この庭が雪
で一面白くなった時。一人で暮らすようになるまで、裏口から通い続けた幹孝の
部屋を襖越しに見つめる。襖を開けた先に幹孝はいるだろうか。この手で殺めた
男は。でも、厳しく鋭い眼差しをたたえていた生前の姿で、目の前に現れたとこ
ろで一体どうすればいいかも分からないし、どうすべきかも分からなかった。
「・・・・おかあさん?」
一瞬身が硬直する。誰もいないと思っていたところにいきなり人の声がしたのに
驚く。でもそれ以上に驚いたのは、声の主が明らかに子供だったことだ。現人の
腰の高さくらいの背丈で、顎よりも少し上くらいで切り揃えられた銀髪が微かに
吹いた夜風に揺れる。
「は、はあ?」
潤んだ赤目がこちらをじっと見つめる。自分の知る幹孝は視線を向ければそれだ
けで何人をも閉口させてしまうほどだったのに、今視線を向けている、おそらく
は幼少時の幹孝には全くそれがない。ただ、泣き腫らした赤目が痛々しいだけで。
「・・・おかあさんじゃない・・・・」
「そ、そうだよ、俺がボクの母親なわけないわけない。ぜんっぜん似てないでし
ょ」
暫く見つめた後、母親じゃないと分かるとぽつりと残念そうに呟いて、視線を落
とす。どこか共通点でもあったのだろうか、と幹孝の様子を見て思う。互いの内
情には干渉することがなかったので、全く分からなかった。事実を何の配慮も躊
躇いもなく吐いた現人の言葉がショックだったのか、俯いてじっとしていた少年
の肩が小さく震え出す。薄い唇をきつく噛んで、嗚咽こそ殺していたものの涙は
止まらなくて、木造の襖の通る溝の部分にぽたぽたの滴が滲む。泣いていると気
づいて、現人は慌てる。自分の言うことは正しい。けれども時として正論は現実
を否定する人にとって反論となりうるのだ。違うと否定したくなる。元から子供
など扱いにくいことこの上なくて大嫌いだったが、一様ここは大人として斟酌を
しなかった自分に否があると飲み込んで対処することにする。はあ、とため息を
つきながら頭を掻いて、履いていたものを脱ぎ、何ヶ月ぶりかの大江邸内に足を
踏み入れた。
「分かった分かった、ごめん、お兄ちゃんが悪かった。酷いこと言っちまってご
めん」
健気に嗚咽を殺し続けて泣く幹孝をそっと抱きしめて、頭を撫でてやる。まだ頼
りない身体をした幹孝はすっぽりと腕の中に収まった。おかしいな、自分はかつ
て腕の中の子供に掻き抱かれていたのに。肩越しに息を飲むのが伝わる。少しし
てから、まるで他人の体温が恋しかったかのようにぎゅっと小さな腕を回して、
現人の服に沢山涙の痕を残しながらほんのすこし嗚咽まじりに泣き出した。不思
議と慰めるだけ慰めたらほっておけばいいと考えることもなく、幹孝が泣き止む
まで頼りない背中を撫でてやっていた。






ひとしきり泣いて、大分落ち着いた幹孝に、蛍を見に行かないかと言ってみた。
泣き止むのを待っている間、幼い頃似たようなことがあったのを思い出したのだ
。祭りの夜に、家から出ることを禁じられていた尊也をこっそり連れ出して、蛍
を見せた。泣いてはいなかったが、とても寂しそうな目をしている彼をほってお
けなかった。この村の子供が当たり前に見ているものすら見ることなく、実験用
のネズミのように箱詰めにされて、息苦しい日々を送らなければいけないなんて
不公平な気がした。尊也だって普通の子供なのに。こんな随分と前のことを思い
出したのは、きっと目の前でぽかんとした顔で自分の言葉を聞く子供が、幼い頃
の尊也にそっくりだったからだ。生まれついての赤目以外は、とても似ている。
声までそっくりだったものだから、かつてよく幹孝に尊也を重ねたり、その逆を
したりしていた。結局どっちが多かったのだろう。彼がまだいた時は頻度を数え
直すのが怖くて、グレーのままにしておいたのだった。そのまま投げ棄ててきて
しまったけれど。
「・・・・いく」
縁側で小さな足をぷらぷらさせながら呟く。後になって断られてもしょうがない
かと思っていたが、気が向いてくれたのだったらそれはそれでいい。少しだけ子
供の頃の、窮屈で、決して幸せとは言い難い中で尊也と笑い合った時に戻ったよ
うな気がしていた。こっそり蛍を見に行ったあの夏の夜と同じように、小さな手
を引いて屋敷を抜け出す。
「よし、じゃ、行くとしますか」






幹孝が子供だということは、現人が知らない茂狩村があるということだった。で
も大江邸が何も変わっていないのと同様に、茂狩村も不思議なくらい変わらぬ姿
だった。下足が玄関にあって取りに行きづらかったため、裸足のままの幹孝をお
ぶりながら過去も今も変わらぬ川沿いのあぜ道を歩く。同年代の子供の平均体重
よりもやや幹孝は軽かった。食が細いのかもしれない。もしくは泣き疲れてやつ
れてしまったのかもしれない。
「・・・・おかあさんが」
「ん?」
時折吹く夏風が頬を撫でる。山を通り抜ける時にざざあっと無数の木の葉を揺ら
した。まだ山に生息する鬼の呼吸と連動しているようだった。今その鬼を支配し
ているのは他ならぬ自分だけれども、ここにはまだ居るような気がする。「おか
あさんが、連れてってくれた。ほたる見に行こうって」
「・・・うん」
優しい母の手に引かれて歩いたこの道。思い出の一つ一つを丁寧になぞってゆく。
「きれいだったからつかまえようとしたら、おかあさんがつかまえたらきれいに
光らなくなるからだめって。動かなくなっちゃうよって言ったの」
「・・・・そうだなぁ、蛍はただでさえ寿命短いしなぁ」
「じゅみょう?」
背後から尋ねる声に、どう答えていいか考えあぐねる。本来ならはっきりと言っ
てしまいたいところだが、また泣かれてしまうのは面倒だし、妙に悪いことをし
た気分になるので避けたい。
「・・・蛍が、光り続けていられる時間のこと。ずっとは無理なんだ」
間接的に言ってみたものの、背中に身体を預けている少年は気がついたらしい。
現人が何を言わんとしているのか。
「まあ、でも案外、すぐにまた会えるかもしんないよ。ずっとは無理だけどさ、
何度でも出会うことはできるんじゃねぇかな」
何となくまた幹孝が泣き出してしまいそうな気がして、慰めの言葉をかける。ほ
んの一時、悲しみを紛らわせるものでしかなかったけど、気がついたらそうして
いた。自分でも随分と綺麗事を言っているなと苦笑する。本当はそんなこと考え
てない、と全て否定できたらよかった。でもなぜかできなかった。脳裏に浮かぶ、
現像した後のフィルムのように刻まれた、幹孝の姿。初めて視線を交わした時、
作品名:蛍の灯おちる頃 作家名:豚なすび