静かなる…
見事に綺麗に背中から落とされたプロイセンは、地べたに寝ころんだまま呆然となっていた。
「もう、私も何が何やら分かりませんよ! なんでいつも私だけが一歩遅いんですか! 欧州はあまりに遠くて…。本当に腹の立つ!」
両手で顔を覆い、日本は大粒の涙を零す。
「いや、あの…、泣きたいの、俺なんだけど…」
プロイセンの情けない言葉に、フランスが手を差し伸べてやっていた。
「なんや、よう分からんのやけど、少し落ち着かん? どうせこのお祭り騒ぎは夜明けまで終わらへんやろ」
「そうだね。このまま、飲みに行くっていうのはどう? ドイツ、この辺で良い店ない?」
「良い店も何も、この状況下ではまともに営業されてないと思うんだが」
「だよねぇ…」
興奮した東西のベルリン市民たちが暴れ回り、街は破壊されまくっていた。
何とも居たたまれない沈黙が落ちる。
「と、とりあえず、こんな状況だし、探せば一件くらいまともに営業してくれてる店もあるんじゃない?」
「あー、それなら、俺の家が近いぜ。東側だけどな」
「お。それ、ええやん。俺ら「外国人」が入るのは元々問題無いんやし。プロイセンの家に行こうや! 俺、プロイセンの家に行ったことないで」
「ただし、酒が無ぇ」
「……駄目じゃん」
「物資不足なんだよ!」
「じゃあ、俺、買ってくるー!」
イタリアが手を挙げて買い出しを申し出るが速攻でフランスに却下される。
「だから、こんな夜中に店開いてないって」
「っつうか、お前ら、全員手ぶらかよ。土産は無ぇのかよ!?」
「騒ぎを聞きつけて慌てて来たんだから、土産なんて持ってるわけないでしょ」
「ったく…。何だよ、てめぇらの使えなさ。バナナくらい持ってこいよなぁ。バナナがこっちじゃ高けぇの知ってんだろうが」
「何や、バナナなんかでええん?」
「バナナ! バナナ食いてぇ! 後、コーヒー!」
「そんなもんでええんか…」
「そんなもんっていうな! 手に入れるのも大変なんだぞ」
「ドイツ?」
何故かぼんやりと破壊されていく街を見詰めていたドイツの背中を、イタリアは軽く叩いた。
「どうしたの、ドイツ?」
「…ああ、すまない。大丈夫だ。……そうだな、飲むなら西ベルリンにある俺の家に来るか。ビールもワインも置いてる」
「なんだ、ドイツもここに家持ってるんじゃない」
「元々、ベルリンに住んでいたんだ。昔のままだけどな…」
薄く笑いドイツは顔を上げる。
その目に映るのは、壁の上によじ登り歓声を上げる者、ツルハシやハンマーを持ち出して壁を壊して欠片を持って行く者、好き放題に騒ぐベルリン市民の姿。
「だが、その前に…」
「ん?」
「俺も参加してくるか」
そう言うなり、ドイツは破壊されていく壁へと向かって歩き始めた。
ドイツの思惑に気付いたイタリアが面白そうとばかりに後を追う。それに日本が便乗して共に歩き出す。
「壁の欠片、私も記念に貰って帰りましょうかね。売れそうですし、これ」
日本の言葉にプロイセンは「お前ら…。この壁作り続けるのにどんだけ予算使ったと思ってんだよ…」とぼやきつつも、
「確かに、これは売れるな…」
と愉快そうに笑った。
市民たちに混じって、一緒に頑強に作られた西側の壁によじ登りハンマーで叩き壊していく。
奏でられる音楽は途絶えない。チェロだけだった音が、気が付けば、幾つもの楽器によって共にベートーヴェンのメロディを奏でている。
一つの街を分断した壁。そのまま世界を二つに分けることになった見えない壁。
時代が、大きく動き出していた。
待つのは安寧ばかりではないことは分かっていたが、今は時代の変換期に立ち会うことを楽しもうか。
「兄さん」
まともに上層部からの命令が来ないまま、独自の判断で動いてしまったことに疲れと憂鬱な顔色を見せている警備兵たちの様子を見に戻ったプロイセンの後を、ドイツは追った。
「バカやりすぎる連中が出ないように見てやっておけよ」
そう声を掛ければ、苦笑と共に敬礼する警備兵たち。
明日には、クビだろうか。そんな不安もあるのだろう、皆、陰鬱な表情だった。
「ゲートを勝手に開いたって? 大丈夫なのか? 明日にはクビになんじゃねぇの?」
皮肉めいた言葉にぎょっとして振り返れば、イギリスの姿があった。各国のメディアがテレビ中継をしている現在、イギリスがいてもおかしくはないが、このタイミングでその発言をしてくれるのは、実にイギリスらしい。
透かさず、プロイセンが容赦なく蹴りを入れていたが。
「安心しろ。俺が責任取ってやっから。他のゲートの連中にも伝えておけ」
「俺の方からも、ゲートの警備兵に責任は無いと伝えておく」
プロイセンの言葉に続いてドイツもそう付け加える。
敬礼し、数人が監視小屋に駆け戻って行く。それを見届けてから、プロイセンはイギリスに向き直った。
「てめぇ! 何しに来やがった!?」
「壁壊してるっつうから見に来てやったんだよ、バァカ!」
「とっとと帰れ!」
「べ、別に、ゲート開放を祝いに来てなんかいないんだからな!」
「祝ってねぇだろ、てめぇ!」
取っ組み合いの喧嘩でも始めそうな二人の間に入り、ドイツは咳払いを一つ。
「あー、その、今から俺のところで飲もうという話になっているんだが、イギリスもどうだろ…」
「ああらら、坊ちゃんまで来たんだ」
「げ、フランス!」
ドイツの言葉を遮って来たのはフランスで、当然のようにイギリスが過剰反応を見せる。
「なんで、俺がお前らなんかと飲まないといけないん…」
「坊ちゃんはもう帰るってさ。さあ、そろそろみんなで落ち着かない?」
「か、帰るなんて言ってないだろ、バカァ!」
「めんどくさい奴だな…」
「分かった分かった。イギリス、お前も一緒に飲むぜ! 俺様が特別に許可してやる。有り難く思え!」
「誰が、クソクラウツの家で――」
「ほら、坊ちゃんは帰るってさ」
「帰るとは言ってないだろ!」
「本当に面倒臭い奴だな…」
今尚、壁に沿っての騒ぎは続いている。
その喧噪を聞きながら、ドイツは庭先へと出てきていた。
プロイセンの無事が確認出来ただけでも、本当に良かった。そう思い込む。家の中ではフランスたちがビールにワインに好き勝手に飲みまくってくれている。
ドイツは泥酔するまで飲む気分にもなれず、こうして一人で庭先に出てきてしまっていた。
「お兄様を置いてどこに行く気だよ」
「兄さん…」
バナナをもしゃもしゃ食べながらドイツの側にやってくるプロイセン。
「朝が来たら、色々と対応に追われそうだな…」
「そうだな。こんな大騒ぎだ。後片付けが大変そうだ」
「掃除の心配かよ」
面白がるような口調で言うが、ドイツの返事はなかった。
そのまま沈黙が落ちた。
「お前がいてほしいっつうなら、俺様はもうちょっと居座ってやるぜ?」
「…!?」
ぎょっとした顔でドイツがプロイセンを見る。愉快そうな顔つきのまま、プロイセンはドイツの頭をわしわしと撫でまくり、そのまま強引に自分の方へと引き寄せて抱き抱えてやった。
そうすると、縋り付くようにドイツの手がプロイセンの背に回る。その肩が微かに震える。