イトシゴよ
しかし結局、光は少しも翳らぬままに、己を囲っていた籠を打ち毀して飛び出した。
あとに残されたのは総てが瓦解した残骸でしかなかった。
雨が激しさを増した。
「……三成よ」
濡れそぼつ男へ、大谷は声をかける。だが男はぴくりとも動かぬまま、眼前に倒れた神を凝視し、瞬きすら忘れて狂ったように口を動かし絶叫し続けていた。
秀吉様申し訳ありませんお赦しをお赦しを秀吉様秀吉様ひでよしさま家康いえやす家康貴様赦さない赦しをどうか赦さない絶対に家康首を斬る捧げなければ斬るお赦しを秀吉様ひでよしさま赦さない!
否、すでに狂っていたかもしれない。
大谷は眼を細めてその姿を見遣る。不幸を、絶望を愛する大谷にとって、それはなんとも見ごたえのある様子であった。
そのはずなのに大谷の頭に浮かぶのは、一陣の風に眼を緩め、仄かに笑みを浮かべた三成の姿である。
―――そうか、アレは、芽吹いた途端に喪われたか。
そうと認識した大谷が感じたのは、おそらく初めての、愉悦をまじえぬ純粋な哀れみであった。
これは途方もない不幸の申し子、人ならざるものの愛し子よ。
大谷は、傍観を止めた。
「……三成、なァ、徳川が憎かろ?」
闇が這い寄るような陰鬱な、うっそりとした声音で、大谷が尋ねる。
徳川、と口にした途端に、ぎょろりと血走った眼が大谷を見た。その反応に薄らと口元を歪める。
「我もなァ、彼奴が憎いのよ」
それは毒が滴り落ちるような囁きだった。
三成の眼が異様な輝きを増した。大谷は自分の言葉が相手に与えた影響に慄然としつつ、その眼に魅入られるようにして手を伸ばした。
つ、と目元に指を這わす。三成は瞬きもせず、己と同じ怨嗟を吐いた相手を見つめる。
なんと煌々しくもうつくしい憎悪の焔か。
背筋が震えるような思いを抱きながら、大谷は触れた親指でその眼の縁を愛撫するようになぞった。
指先に、ぱたりと雫が落ちる。降りしきる雨の中で、その一滴が異物であると知っていた。
瞬く間に布に染みた雫を眺めながら、大谷はそっと告げる。
この男の危うい正気を引き寄せるために。
「三成よ。狂うにはまだ早かろう。ぬしにはなさねばならぬことがある。ぬしも言っておったな。そうよ、彼奴をあのままにしてはおけぬ。……首を斬らねば。なア、彼奴の首をな、真っ赤に染め上げて太閤に捧げようぞ……」
まだ、ぬしを喪うわけにはいかぬのよ。
それは大谷の本心であった。その本心が何にきざしたものか、大谷はあえて眼を逸らした。
己が境界線を踏み越えたことに、大谷は気づかぬままだった。病を発症してより、大谷が自ら他人に触れたのは、この時が初めてであった。