さよなら、神様。
シャワーを浴びて濡れた髪をタオルでがしがしと拭いた。姉さんはもう家にはいなかった。リビングの机の上に置き手紙が置いてある。
『時間になったので先に出ます。ちゃんと朝御飯食べてね。それじゃあ、また後で。』
俺は朝御飯を済ませ、スーツを着る。髪はもうほとんど乾いていた。汗をかくからドライヤーはあんまり使いたくない。支度をしていたらインターフォンが鳴った。誰だろう。
「はーい?」
玄関の扉を開けると立っていたのはギルベルトだった。いつも以上にめかしこんでいる。
「よお!もう支度終わったか?」
本当は憂鬱な気分のくせにわざとらしくにやっと笑った。こいつも俺と同じ。きっとまだぐちゃぐちゃしているのだ。姉さんの幸せか、自分の欲求か。
「まだ。姉さんならいないよ?」
入りなよ、と勧めた。まだ支度は終わりそうにないし、一緒に行くならもう少し待ってもらうことになる。おう、と笑ってギルベルトは中に入った。何を考えているのだろう。何も考えていないのかもしれない。自分用に作ってあったアイスコーヒーを出す。
「それ飲んでもうちょっと待ってて。」
ギルベルトは黙ってコーヒーを飲んでいた。俺は持っていくものを鞄に詰めて、ネクタイを締めた。ギルベルトはコーヒーの入ったグラスを眺めている。
「ねえ。」
「・・・なんだよ。」
「攫ったりしないの?」
にや、と笑う俺を見てギルベルトはきょとんとする。
「なにを・・・」
「花嫁を」
俺はギルベルトの紅い瞳を見つめた。透き通るような、血の色。姉さんの翠の瞳には敵わないけど、俺はこいつの瞳が好きだった。その色は、残酷なほど優しい。ギルベルトは口の端をわなわなと震わせた。そんなこと、考えもしなかったみたいだ。
「おまえ・・・何言ってんの・・・」
「やー。最後くらい足掻いてみればいいのになーと思って。ま、お前にはそんな度胸ないと思うけど。」
「そんなこと・・・できるわけねえだろ・・・。」
ギルベルトは下を向いてぼそぼそと言った。わかってるさ。お前がそんなことを望まないことなんて。知ってるよ。俺もお前も、自分よりも姉さんの幸せを祈っていることを。
「ばーか、冗談だよ。姉さんがお前ごときに攫われてたまるか。」
にかっと笑うとギルベルトはほっと息をついた。俺が、姉さんを攫うことができたらいいのに。