Dog_Fight
1.
弦楽器の金属の糸が、いまにもはじかれるのを待つような、そんな緊張感がリュウを迎えた。
深夜の訓練所に足を踏み入れたとき、リュウは、いつものように自分ひとりだと思い込んでいた。
けれども、空気が、そうではないと言っていた。
訓練施設の中でも、この訓練所は、ちょうどワンブロック分の街を模して作られていて、金属の壁に囲まれたコンクリートで作られた建物や金属のジャンクの墓場のようなつくりになっている。
それでも日中、市街戦の演習など行われているときは結構にぎやかにも思えるのだが、深夜の静けさと闇の中にたたずむそれらは、ほとんど廃棄された街、文字通り廃墟のようだった。
その闇の奥に、立ち上るような、紫の光が一閃するのが確かに見えた。
いや、通常ならば見えたはずはない。それはあまりにも一瞬のことで。
そのはじけるような光の小爆発に、照らされた相手の表情まで、リュウが見て取れたのは、ここに来たときからの鍛錬の成果だろうか。
『まず敵の動きを捉えろ。攻めるのも守るのも、それからだ。』
入隊のときに最初に叩き込まれた、その教えを守って、リュウは入隊以来、ひとり、剣の鍛錬をはじめたのだった。
真の暗闇と静寂の中で暗視ゴーグルを使わずに、敵を見抜ければ。
だれもいない訓練所で、普段は明かりをつけて行う模擬戦闘モードをセットし、物陰から現れるホログラムでできたダミーを、丁寧に倒していく我流の稽古を、リュウは繰り返した。
わずかな一閃やかすかな音から、敵の正体や装備、そしてどう動くかを読み取ることができたら。
夜の街に出た同僚たちまでもが寝静まった深夜、そっと部屋を抜け出して、ここへ来るのがいつしか習慣になっていた。
だが、今夜は、違う。
リュウがそっと足を踏み入れた訓練所の奥、通りを模した通路の先で、ぼう、と淡い光を放つ、うすい諸刃のついた鋭い剣が、腰の位置で横一線にぴたりと静止する。
つづいて、斜め上方に動いた白線は、上空で向きを翻し、たちまちその勢いを加速して、地面へと向かう。
剣は金属の床を深々とうがち、そこから深い亀裂が走り、見る間に広がった。
深いところから伝わるずしんとくる衝撃が、リュウの足元まで届く。
ちょうど、衝撃を収める矛先を大地に求めたかのような、技だった。
思わず、リュウの足は、引き寄せられていた。
「いまのは……。」
「リュウか。2−3ヶ月前から誰かが深夜にここを使っているらしいと、耳にしていた。」
あれほどの渾身の技を使っても、ゼノの声には、息の乱れも感じられない。リュウには、驚くべきことだった。
「時間外に勝手に施設を使って、申し訳ありませんでした。」
「ふ、馬鹿なことを口にするな。」
ゼノの口元が、ふと緩んだようにリュウには思えた。といっても、この暗さで、わずかな表情の違いなど見えはしないのだが。
それでも、その機を逃すリュウではなかった。
「隊長、…さっきのを、教えていただけないでしょうか!」
この暗さで見えないとわかっていても、思わずリュウは頭を下げていた。
「お前にできると思うのか、リュウ?」
「いいえ。」
「思わぬのに、言うのか、リュウ1/8192。」
ゼノの声音に少しだけ楽しげな響きが混ざる。
「できると思いません、でも…、」 なおも食い下がろうとするリュウの腕をそっと掴み、ゼノがするりとリュウの背後に回る。
急な動きにとまどうリュウの背後にゼノは立ち、その両腕に、背後から手をそえた。
背中にゼノの体を感じて、リュウの心臓が跳ね上がりそうになる。
リュウよりもはるかに背の高い隊長の静かな声が、耳元に降ってきた。
「いいか。一度だけ、やってみせよう。お前の剣と、腕でだ。」
「…はい!」
喜びに舞い上がりそうになる気持ちを抑えて、リュウは、しっかりと前を向き、使い古した己の剣をかたく握りなおした。
ゼノの細くて力の強い指がその上をつかむ。
緊張で、思わず硬くなったリュウの腰を、ゼノの左手がそっと沈める。右手の剣をそのまま、左方へと振り、横一文字にためた。
リュウの目の奥で、さっきゼノが見せたまっすぐな白い一文字の光が、自分のぼろぼろの剣の位置に重なった。
「行くぞ。」
「はッ!!」
リュウの右手を掴んだゼノの手が高く引き上げられる。精一杯ついていこうとしたけれど、リュウの手が遅れた。
それでもゼノの力を得て、引き上げられた剣は、その大きな力に引きずられ、止まらずに、そのまま地面へと一閃した。
剣の先は、面白いほどにさくりと硬い金属の床に吸い込まれたかと思うと、すぐにガキン、と嫌な音がして中ほどから折れ砕けた。
絶対に離すまいと、あわてて剣のつかに全力でしがみついたリュウは、くだけたその力の勢いのまま、肩口から、めくれあがった金属の裂け目に、無様につっこんだ。
すんでのところで身をかわしたけれど、はっと気づくと、目の前には地面につきささったままの己の剣の先が鈍く光っている。
「けがはないか。」 上から、ゼノの冷徹な声が降ってくる。
「…だいじょうぶです。」
あわてて立ち上がり、己の手を確かめて、ここがこんなに暗くてよかった、とリュウは心底思う。
この指の震えを、絶対に、隊長に見られたくはなかった。
そう、リュウは、震えていたのだ。
この一瞬のことで、いままで感じたことのなかった力の差、というものを、全身で感じさせられた。
勿論、頭ではわかっていたけれど、こんなにも自分が非力であることを、味わったことはなかった。
口の中に、苦い鉄の味が広がる。
目がくらむ、ようだった。
世界が、ぐるぐると回り、立ちながら自分がかしいでいるような気がした。
せめて自分の声が震えていなければいいのだが、とリュウは強く願った。
「リュウ、己を知るのだな。鍛錬をつづけることだ。」
「はい、隊長。」
「明日も遅れるなよ、おやすみ。」
ぽん、とリュウの右腕を叩いて、ゼノが歩み去る。
「ありがとうございました…!!」 あわてたリュウの声が、その後を追った。
自分の腕が胸が頭のしんが、燃えるように熱く、じんじんとうずいているのを、深く頭を下げながら、リュウは、ただかみしめていた。
「あぁ? なんだよ、その顔。」
「なんでもない。」
一番指摘されたくないコトを、一番指摘されたくない相手に見事につつかれ、リュウがいくぶんすねた表情で、口元へ運んだ覚醒飲料の紙コップを噛んだ。
いつもと変わらず、基地においてあるこいつは、うすくて生ぬるくて、なんだか医者が歯を削るときの薬のような味がする。
それでも、朝から顔を会わすのを避けていた相棒に、顔の片側の傷――とくに口の右端が切れたようになっていた――を見られたくなくて、普段は見向きもしない休憩室の紙コップに手を出したのだった。
「ふーーーん。」
興味ふかげに、細い指が伸びてきて、リュウのあごを捉えようとするので、リュウは思わず声を荒げる。
「あぁ! やめろよ、ボッシュ。こぼれるだろ。」
「誰につけられたんだよ?」
「誰にも。自分ひとりで転んだんだよ。」
「はぁ? ばーか。」
心底楽しげに言うボッシュに腹を立てて、リュウががたんと立ち上がったとき、にぎやかな声が振ってきた。
「ちょっと!? その顔、どうしたのリュウ!?」
弦楽器の金属の糸が、いまにもはじかれるのを待つような、そんな緊張感がリュウを迎えた。
深夜の訓練所に足を踏み入れたとき、リュウは、いつものように自分ひとりだと思い込んでいた。
けれども、空気が、そうではないと言っていた。
訓練施設の中でも、この訓練所は、ちょうどワンブロック分の街を模して作られていて、金属の壁に囲まれたコンクリートで作られた建物や金属のジャンクの墓場のようなつくりになっている。
それでも日中、市街戦の演習など行われているときは結構にぎやかにも思えるのだが、深夜の静けさと闇の中にたたずむそれらは、ほとんど廃棄された街、文字通り廃墟のようだった。
その闇の奥に、立ち上るような、紫の光が一閃するのが確かに見えた。
いや、通常ならば見えたはずはない。それはあまりにも一瞬のことで。
そのはじけるような光の小爆発に、照らされた相手の表情まで、リュウが見て取れたのは、ここに来たときからの鍛錬の成果だろうか。
『まず敵の動きを捉えろ。攻めるのも守るのも、それからだ。』
入隊のときに最初に叩き込まれた、その教えを守って、リュウは入隊以来、ひとり、剣の鍛錬をはじめたのだった。
真の暗闇と静寂の中で暗視ゴーグルを使わずに、敵を見抜ければ。
だれもいない訓練所で、普段は明かりをつけて行う模擬戦闘モードをセットし、物陰から現れるホログラムでできたダミーを、丁寧に倒していく我流の稽古を、リュウは繰り返した。
わずかな一閃やかすかな音から、敵の正体や装備、そしてどう動くかを読み取ることができたら。
夜の街に出た同僚たちまでもが寝静まった深夜、そっと部屋を抜け出して、ここへ来るのがいつしか習慣になっていた。
だが、今夜は、違う。
リュウがそっと足を踏み入れた訓練所の奥、通りを模した通路の先で、ぼう、と淡い光を放つ、うすい諸刃のついた鋭い剣が、腰の位置で横一線にぴたりと静止する。
つづいて、斜め上方に動いた白線は、上空で向きを翻し、たちまちその勢いを加速して、地面へと向かう。
剣は金属の床を深々とうがち、そこから深い亀裂が走り、見る間に広がった。
深いところから伝わるずしんとくる衝撃が、リュウの足元まで届く。
ちょうど、衝撃を収める矛先を大地に求めたかのような、技だった。
思わず、リュウの足は、引き寄せられていた。
「いまのは……。」
「リュウか。2−3ヶ月前から誰かが深夜にここを使っているらしいと、耳にしていた。」
あれほどの渾身の技を使っても、ゼノの声には、息の乱れも感じられない。リュウには、驚くべきことだった。
「時間外に勝手に施設を使って、申し訳ありませんでした。」
「ふ、馬鹿なことを口にするな。」
ゼノの口元が、ふと緩んだようにリュウには思えた。といっても、この暗さで、わずかな表情の違いなど見えはしないのだが。
それでも、その機を逃すリュウではなかった。
「隊長、…さっきのを、教えていただけないでしょうか!」
この暗さで見えないとわかっていても、思わずリュウは頭を下げていた。
「お前にできると思うのか、リュウ?」
「いいえ。」
「思わぬのに、言うのか、リュウ1/8192。」
ゼノの声音に少しだけ楽しげな響きが混ざる。
「できると思いません、でも…、」 なおも食い下がろうとするリュウの腕をそっと掴み、ゼノがするりとリュウの背後に回る。
急な動きにとまどうリュウの背後にゼノは立ち、その両腕に、背後から手をそえた。
背中にゼノの体を感じて、リュウの心臓が跳ね上がりそうになる。
リュウよりもはるかに背の高い隊長の静かな声が、耳元に降ってきた。
「いいか。一度だけ、やってみせよう。お前の剣と、腕でだ。」
「…はい!」
喜びに舞い上がりそうになる気持ちを抑えて、リュウは、しっかりと前を向き、使い古した己の剣をかたく握りなおした。
ゼノの細くて力の強い指がその上をつかむ。
緊張で、思わず硬くなったリュウの腰を、ゼノの左手がそっと沈める。右手の剣をそのまま、左方へと振り、横一文字にためた。
リュウの目の奥で、さっきゼノが見せたまっすぐな白い一文字の光が、自分のぼろぼろの剣の位置に重なった。
「行くぞ。」
「はッ!!」
リュウの右手を掴んだゼノの手が高く引き上げられる。精一杯ついていこうとしたけれど、リュウの手が遅れた。
それでもゼノの力を得て、引き上げられた剣は、その大きな力に引きずられ、止まらずに、そのまま地面へと一閃した。
剣の先は、面白いほどにさくりと硬い金属の床に吸い込まれたかと思うと、すぐにガキン、と嫌な音がして中ほどから折れ砕けた。
絶対に離すまいと、あわてて剣のつかに全力でしがみついたリュウは、くだけたその力の勢いのまま、肩口から、めくれあがった金属の裂け目に、無様につっこんだ。
すんでのところで身をかわしたけれど、はっと気づくと、目の前には地面につきささったままの己の剣の先が鈍く光っている。
「けがはないか。」 上から、ゼノの冷徹な声が降ってくる。
「…だいじょうぶです。」
あわてて立ち上がり、己の手を確かめて、ここがこんなに暗くてよかった、とリュウは心底思う。
この指の震えを、絶対に、隊長に見られたくはなかった。
そう、リュウは、震えていたのだ。
この一瞬のことで、いままで感じたことのなかった力の差、というものを、全身で感じさせられた。
勿論、頭ではわかっていたけれど、こんなにも自分が非力であることを、味わったことはなかった。
口の中に、苦い鉄の味が広がる。
目がくらむ、ようだった。
世界が、ぐるぐると回り、立ちながら自分がかしいでいるような気がした。
せめて自分の声が震えていなければいいのだが、とリュウは強く願った。
「リュウ、己を知るのだな。鍛錬をつづけることだ。」
「はい、隊長。」
「明日も遅れるなよ、おやすみ。」
ぽん、とリュウの右腕を叩いて、ゼノが歩み去る。
「ありがとうございました…!!」 あわてたリュウの声が、その後を追った。
自分の腕が胸が頭のしんが、燃えるように熱く、じんじんとうずいているのを、深く頭を下げながら、リュウは、ただかみしめていた。
「あぁ? なんだよ、その顔。」
「なんでもない。」
一番指摘されたくないコトを、一番指摘されたくない相手に見事につつかれ、リュウがいくぶんすねた表情で、口元へ運んだ覚醒飲料の紙コップを噛んだ。
いつもと変わらず、基地においてあるこいつは、うすくて生ぬるくて、なんだか医者が歯を削るときの薬のような味がする。
それでも、朝から顔を会わすのを避けていた相棒に、顔の片側の傷――とくに口の右端が切れたようになっていた――を見られたくなくて、普段は見向きもしない休憩室の紙コップに手を出したのだった。
「ふーーーん。」
興味ふかげに、細い指が伸びてきて、リュウのあごを捉えようとするので、リュウは思わず声を荒げる。
「あぁ! やめろよ、ボッシュ。こぼれるだろ。」
「誰につけられたんだよ?」
「誰にも。自分ひとりで転んだんだよ。」
「はぁ? ばーか。」
心底楽しげに言うボッシュに腹を立てて、リュウががたんと立ち上がったとき、にぎやかな声が振ってきた。
「ちょっと!? その顔、どうしたのリュウ!?」