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切崎(キリサキ)
切崎(キリサキ)
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胸のうち

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「……あれ?」
「!!!」

呼びかけられた瞬間、本当に心臓が飛び出すかと思った。
胸を突き破るのではないか、というくらい大きく跳ねた心臓は、今もその役割をうまくこなせずに高速の変拍子を刻んでいる。
なんで、なんでここに。

「……なんだ、イギリスかぁ。なにぼーっとしてんだ、こんなとこで。皆もう帰っちまっただろ」

背後から、突っ立ったまま反応できずにいる俺の様子をいぶかしむような隣国の声が飛んできては突き刺さる。会議が終わってから一体どれくらい時間が経っているのだろう。5分かそこらにも思えるが、フランスの言葉の調子から察すれば30分くらい経っているのかもしれなかった。考え事に耽っていた自分には、それすら定かでない。

「……イギリス?」

長時間の会議でこもった熱も霧散し、シンと静まり返った小さな部屋に、嫌というほど聞きなれたその声が鈍く反響する。イギリスは黙ってゆっくりと後ろを振り向いた。あちこちが凍りついたままの体はどこかぎくしゃくとして、不自然な動きになってしまっただろう。背筋を冷たいものが走り抜ける。ともすれば膝が小さく震え出しそうだった。

答えられない。何も、答えられないのだ。
ここで何をしていたのかという問いに対して、口に出せるような回答を持たないし、それだけではなく物理的にも。
噛み締めた歯の裏側で、氷のように冷たいガラスボタンがカチリ、と硬い音を立てた。



    

今回の会議はロンドンで行われている。現在形なのは、明日も明後日も、今日の続きがあるからだ。国家間の問題はいつだって山積みされている。議題なんて尽きるわけがないので、今日もいつもどおり朝から晩まで椅子にへばりつく羽目になった。
もはや慣れたことではあるが、柔らかな椅子をもってしても、それは決して楽ではない。今回の会議は、会議の中でも比較的ラフな形をとっているので、それをいいことにテーブルの下でせわしなく足を組み替えたり、聞くに値しないような発表が行われている最中はよそごとに頭をめぐらせたりすることによって、積もりゆく不快感に耐えていた。
これが、あと二日続くかと思うと憂鬱さも増すというものだ。

増す、と言ったが、その実、イギリスの憂鬱の大きな一因は会議とまったく別の所にあった。
例えば会議の最中、時折隣からふわりと香ってくる甘い香水とか、書類の上で遊ばせているペンの軸をすりすりと撫で回す、フランスのいやらしい指先とか。場をわきまえず品のない妄想にイギリスを引きずり込もうとするその香りにも、視界に入り込んでイギリスを誘惑するその動きにも、身勝手な怒りがこみ上げてくる。一度意識を奪われてしまうと、紙の上の大切な文章ですらただの文字列と化し、まったく頭に入らなくなってしまうからだ。そのたびにイギリスは色が変わるほど唇を噛み締めては、その痛みに縋って気を紛らわす。
――ああ畜生、これだから嫌なんだ。大嫌いだ、この匂いも、視界に入るその姿も!
香りが鼻先を掠めるたび、そのなんてことない動作を目に止めてしまうたび、そう、心の中で唱え続けなければならない自分を、イギリスは憂鬱な気持ちで呪い続けていた。

わかりやすく言い換えるなら、腐れ縁へ向かう片思いの毒が、今日もイギリスを苦しめているのだった。

だが、イギリスも国である。他国に知られるわけにはいかない重大な秘密を容易く顔に出してしまうほど、歴史と経験の浅い国でもない。“それ”をはっきりと自覚してしまってから、もう何年になるだろうか。人間からしたら気が遠くなるような時間、イギリスはずっと変わらずフランスと殴り合い、皮肉の応酬をし、時には酒を飲み交わしながら、その体の内側で激情を育ててきたのだった。
傍目には喧嘩の耐えない腐れ縁、という関係を保ったまま。

そんなイギリスの想いを知る由もないフランスは、このところいやに足繁くドーヴァー海峡を越えてきていた。イギリスへ通っている、といっても、イギリス本人に会いに来ているわけではない。はっきり聞いたわけではないけれど、イギリスがその様子から察するには、どうやらこの国にフランスの新たな“お目当て”がいるようだった。
“恋愛的な意味での人付き合い”が活発なフランスは、フランス国民はもちろん、他国の人間と深い仲になることも珍しくはなかった。しかし、その相手がイギリスの人間というのは極めて稀なことだ、とイギリスは過去を振り返る。長い長い歴史の中でも、イギリスが知る限り今回で2回目だ。
たった、2人。
フランスと自分の間にある、埋められない価値観の違いが恋の障害になるのだろう。
とにかく珍しいことに、フランスは今、イギリス女性の元に通っているらしかった。

昨日まではあくまでぼんやりと感じていただけだったそのことを、イギリスがはっきりと意識したのは今日だった。
今日、フランスが着ていたシャツ。
相変わらず派手なジャケットや、いつもどおり大きくあけられた胸元は変わらなかったが、今日フランスが着ているそのシャツは、明らかに英国製のものだった。その襟のラインや、デザインからイギリスが察するに、ほぼ間違いなく。いつものど派手な色ではなく、羽織っているジャケットの色味を引き立てるような控えめの色合いのそのシャツを見た瞬間、イギリスには、フランスの傍らに立つイギリス女性の姿が見えた気がしたのだ。


今日のフランスの服装は、日頃見慣れているような派手同士のコーディネートではない。しかし、いつもとは趣きの違うそのシャツは、フランスがしばしば着ているジャケットにとてもよく映えていた。
なにより、すっきりとまとめられたその取り合わせは、イギリスの好みだったのだ、正直言って。普段のド派手なシャツのほうがお似合いだ、浮かれてらしくない格好しやがって、と内心皮肉ってみたものの、結局イギリスはそのらしからぬ雰囲気にうっかり胸を鳴らしてしまった。

さて、今日フランスが着ているそのシャツは、全体的に控えめなデザインの中で唯一、その小さなボタンが目を引いた。
南仏の太陽にきらめく波打ち際を思い出させるような透き通った青いガラスボタンは、シャツに品のある彩りを添えていた。その青はとてもとても美しく、会議中フランスの目を盗んでちらちらと覗き見てしまったほどである。
だからこそ、すぐにわかったのだ。
会議が閉会し、他の参加各国が退出した後の会場をざっと点検していたイギリスの足元に光ったそれが何であるのか。光に気付いて足を止めたイギリスの靴の先で、フランスのシャツから転がり落ちたその小さなガラスボタンが一つ、きらり、と輝いていたのだった。

落ちているそれを拾う、ただそれだけのことで、別にやましいことでもなんでもないのに、イギリスはなんとなく人目がないのを確認してしまう。

腰をかがめて指先で触れたその表面は、うっとりするほど滑らかだった。ひやり、と伝わってくる温度にどきりとしながらも、つまみあげたそれを電球にかざしてみる。
透き通ったガラスの青は、光に当たるとまるでとろりと溶け落ちてきそうにすら見える。
それを眺めながらイギリスはふと、この青は自国の青ではない、これはフランスの青だ、と思った。
作品名:胸のうち 作家名:切崎(キリサキ)