胸のうち
いつも自分の舌はどうやって皮肉を紡いでいただろうか。思いっきり嫌味っぽく吐きすててやろうと思ったのに、掠れたみっともない声が出てしまった。そっと視線を戻してフランスの反応を窺う。
フランスはイギリスをじっと見て、何かを逡巡しているようだった。
――大丈夫、もうずっとこうやってきたんだ。気付かれるわけ、ない。
そう、自分に言い聞かせ続けなければ叫びだしてしまいそうだった。
こっちを見るな。腹の中のものを、見透かされそうだ!
体の中を探られているような気になって、イギリスは思わず胃を押さえた。
「……ふーん、このシャツ、いかにも“イギリスが好きそう”って思ったんだけどねー」
イギリスのそんな緊張に気付いていたのかいないのか、相手の息使いさえ聞こえてしまいそうだった長い静寂の時間を、冗談めかした声があっさりと打ち破った。細められたフランスの青い目が笑って、おまけのように大げさな溜息を一つ。
あの青いボタンを仕舞い込んだ腹の底がまた、ツキン、と痛んで重たくなる。
どういうわけか、口の中までほろ苦くなった。
胃の中の罪悪感で。
「まぁいいや、イギリス、この後予定ないなら、久しぶりに飲みにでも行こうぜ」
フランスは最後にもう一度だけ膝を折って床の上を見渡した後、スーツをはたきながらそんな誘いを口にした。
「えっ……、おまえのほうこそ、その、なんか用事があるんじゃねぇの?」
思ってもみなかった誘いに不意をつかれ、イギリスはその驚きを隠し損ねた。昼間は一日中仕事とはいえ、せっかくこちらに来ているのだ。てっきりこの後フランスは、デートか何かだと思っていた。
「んー……それはもういいや」
「はぁ?なんだよそれ。いいのか、そんなんで」
「まぁまぁ、いいじゃないの、たまには、さ」
椅子の上に乗せられていた書類鞄を、フランスがゆっくりと手に取った。それにつられてイギリスも、自分の鞄を脇に抱える。
会議場の掃除や細かい後片付け自体は専門のスタッフがやってくれるので、イギリスもこのままここを離れることができるのだが、どこかすっきりしないものが残っている。なんだ?これからフランスと飲むというのに、気が重い。
先を行くフランスの背中を追うようにして、イギリスものろのろと部屋の外に出る。
“ドクン”
まただ。
電気を消そうと誰もいない部屋を振り返ると、また、小さく心臓が鳴った。
飲み下した小さなボタンのせいで、感情がひどく揺れているのが自分でもわかった。
もう長年ひっそりとしまってきた感情なのに、たったこれしきのことでまた、揺さぶられる。
駄目だ。こんなことではいけない。
苦しくなった胸から息を無理やり押し出しながら、部屋に勢いよく鍵を掛けた。
ガチャン、と派手な金属音が廊下に響く。
――同時に、自分の胸にも。
「……ん、行くか」
確かめるように二度ほどドアノブを引いて後ろにむき直る瞬間、イギリスは壁にもたれて待っているフランスのシャツの、その足りない一つを横目で確認し、鞄の持ち手をぎゅう、ときつく握り締めた。