珈琲
自分は冬より夏の方が好きだな、と改めて思う。降り積もる白い雪は好きだが、やっぱり冷たいプールや虫の鳴く音の方がわくわくする。何より、自分は寒いのが苦手だ。冷たい風が容赦なく吹きつけ、自分の体温を奪っていくのを感じると、何だか責められているような気がするのだ。でも、二人で歩いているとそれもちょっと、落ち着くかも。
秋から冬へ、季節の変わり目。11月も終盤に差し掛かったある日、俺はそんなことを考えていた。何だかほっとしたような、嬉しいような気分になって、隣を歩く恋人に声を掛ける。
「日吉」
「何ですか?」
「…寒いな」
「寒いですね」
声を掛けたはいいものの、特に話題を用意していた訳ではない。適当に話を振ってみるが、返ってくるのも適当な、何の面白味もない返事。
それでいい。充分。俺はこのやりとりだけで、俺の隣に日吉がいるって確認出来る。俺、幸せだなって思うことが出来る。
ああ、俺、日吉が好きなんだなあ。
…なんて短い間で俺はしみじみと自分の幸せを実感していたのだけれど、日吉の方はまだ話が終わっていなかったらしい。
「良かったら、何か飲み物買っていきませんか?」
日吉がこんな事を言い出すのは珍しかった。
何時もは大体俺が、疲れた喉乾いたなどと駄々をこねて、日吉は、はいはい分かりました本当に世話の焼ける人ですね向日さんはとかなんとか嫌味を言いつつ、結局俺に付き合ってくれる。
だから、今日は俺が日吉に合わせてやる番だ。
「いーぜ!何か奢ってやるよ」
「それは別に結構です」
折角俺が先輩らしいところを見せようとしたのに、日吉は可愛げというものがない。ま、いっか。
「日吉何飲むの?」
いつも学校の帰りに飲み物を買う自販機の前で、小銭を探しながら何気なく俺は日吉に聞いた。
「俺は珈琲にします」
出た。また珈琲。こういう時、いつも日吉は珈琲を飲んでいる。しかも、無糖のすごい苦いやつ。いつだったか俺が、よくそんなもの飲めるよなって言ったら、向日さんの味覚が子供なんですよとか言われた。
それ以来俺は珈琲を飲む日吉を見る度に、自分が日吉より幼いと言われているような気分になる。
「……俺メロンソーダ」
日吉に小銭を渡しながら、ぼそっと呟く。ああそうだよ、俺は十五にもなって、珈琲も飲めない、メロンソーダが大好きな餓鬼だよ。
「この寒いのにまたそれですか?アンタも好きですね」
「うるせーよ、さっさと買え」
はいはい、と日吉は小銭を自販機に入れ、まずメロンソーダのボタンを押す。そして日吉の細長い指はするすると移動し、珈琲のボタンの上で止まる。
ぽちっ
「…本当に、よくこんな甘いもん飲めますね」
がちゃん、と二つのアルミ缶が落下する音に合わせて、日吉が呟いた。
それは俺に言ったというよりも、むしろ独り言に近かったが、でも俺は聞いていた。
黙って日吉からメロンソーダを受け取り、ごくごくと飲む。何だかいつもより甘ったるく、冷たく感じる。なんかさっきよりも寒くなってきた。ホットココアにすれば良かったかな。でもホットココアも、日吉にとっては子供が飲むものなんだろうな。
「…寒い」
「だから言ったでしょう」
日吉は呆れ顔で俺を見る。どうせまた俺のこと餓鬼だと思ってんだろ、くそくそ。
「お前のよこせ」
「アンタ苦いの苦手でしょう」
「うっせーよ!いつまでも餓鬼扱いすんじゃねぇ!」
思っていたことがそのまま口に出てしまった。我ながら子供じみた台詞だと思うが、もう半分やけくそだった。
日吉の手から珈琲を奪って、そのまま口を付ける。苦味が一気に俺の口の中に広がった。
「苦っ!」
思わず叫ぶ。メロンソーダの後だから、余計に苦く感じる。こんなに苦いもん、どこが美味しいんだよ。
涙目になった俺を見て、言わんこっちゃない、と言わんばかりの顔で日吉は俺から珈琲を取り上げた。
そして大して美味くもなさそうに、ゆっくりと珈琲を飲む。
「…美味い?」
「別に美味くはないです」
「じゃあ、何でわざわざ飲むわけ?」
「甘いのは口の中にずっと残るし…頭をすっきりさせるのにも丁度良いんですよ」
「よく分かんねぇ…どうせなら美味いって思うやつ飲めば良いのに」
「向日さんに分かって頂けるとは思っていませんので」
面白くない。
何だかすごく、面白くない。さっきまでの幸せな気分が嘘のようだった。
でも俺は、この面白くない気持ちを認めたくなかった。認めたくなくて、誤魔化すようにメロンソーダを喉に流し込む。
それは一気に俺の口の中の珈琲の苦味を消し去った。けれど、俺の中のむしゃくしゃしたものは、やっぱり喉の奥にこびりつくように残った。
日吉は無表情で珈琲を飲みながら、不機嫌そうにメロンソーダを飲む俺を黙って見ていた。
甘い。冷たい。
普段は一滴も残さず飲み干すメロンソーダ。今日は全然美味しくなくて、まだほんの少し重いアルミ缶を、俺はゴミ箱に投げ入れた。
今日は寒い。だから、メロンソーダが美味しくないんだ。きっとそうだ。次はホットココアを飲もう。
どうせ俺は、珈琲を飲めないんだから。
秋から冬へ、季節の変わり目。11月も終盤に差し掛かったある日、俺はそんなことを考えていた。何だかほっとしたような、嬉しいような気分になって、隣を歩く恋人に声を掛ける。
「日吉」
「何ですか?」
「…寒いな」
「寒いですね」
声を掛けたはいいものの、特に話題を用意していた訳ではない。適当に話を振ってみるが、返ってくるのも適当な、何の面白味もない返事。
それでいい。充分。俺はこのやりとりだけで、俺の隣に日吉がいるって確認出来る。俺、幸せだなって思うことが出来る。
ああ、俺、日吉が好きなんだなあ。
…なんて短い間で俺はしみじみと自分の幸せを実感していたのだけれど、日吉の方はまだ話が終わっていなかったらしい。
「良かったら、何か飲み物買っていきませんか?」
日吉がこんな事を言い出すのは珍しかった。
何時もは大体俺が、疲れた喉乾いたなどと駄々をこねて、日吉は、はいはい分かりました本当に世話の焼ける人ですね向日さんはとかなんとか嫌味を言いつつ、結局俺に付き合ってくれる。
だから、今日は俺が日吉に合わせてやる番だ。
「いーぜ!何か奢ってやるよ」
「それは別に結構です」
折角俺が先輩らしいところを見せようとしたのに、日吉は可愛げというものがない。ま、いっか。
「日吉何飲むの?」
いつも学校の帰りに飲み物を買う自販機の前で、小銭を探しながら何気なく俺は日吉に聞いた。
「俺は珈琲にします」
出た。また珈琲。こういう時、いつも日吉は珈琲を飲んでいる。しかも、無糖のすごい苦いやつ。いつだったか俺が、よくそんなもの飲めるよなって言ったら、向日さんの味覚が子供なんですよとか言われた。
それ以来俺は珈琲を飲む日吉を見る度に、自分が日吉より幼いと言われているような気分になる。
「……俺メロンソーダ」
日吉に小銭を渡しながら、ぼそっと呟く。ああそうだよ、俺は十五にもなって、珈琲も飲めない、メロンソーダが大好きな餓鬼だよ。
「この寒いのにまたそれですか?アンタも好きですね」
「うるせーよ、さっさと買え」
はいはい、と日吉は小銭を自販機に入れ、まずメロンソーダのボタンを押す。そして日吉の細長い指はするすると移動し、珈琲のボタンの上で止まる。
ぽちっ
「…本当に、よくこんな甘いもん飲めますね」
がちゃん、と二つのアルミ缶が落下する音に合わせて、日吉が呟いた。
それは俺に言ったというよりも、むしろ独り言に近かったが、でも俺は聞いていた。
黙って日吉からメロンソーダを受け取り、ごくごくと飲む。何だかいつもより甘ったるく、冷たく感じる。なんかさっきよりも寒くなってきた。ホットココアにすれば良かったかな。でもホットココアも、日吉にとっては子供が飲むものなんだろうな。
「…寒い」
「だから言ったでしょう」
日吉は呆れ顔で俺を見る。どうせまた俺のこと餓鬼だと思ってんだろ、くそくそ。
「お前のよこせ」
「アンタ苦いの苦手でしょう」
「うっせーよ!いつまでも餓鬼扱いすんじゃねぇ!」
思っていたことがそのまま口に出てしまった。我ながら子供じみた台詞だと思うが、もう半分やけくそだった。
日吉の手から珈琲を奪って、そのまま口を付ける。苦味が一気に俺の口の中に広がった。
「苦っ!」
思わず叫ぶ。メロンソーダの後だから、余計に苦く感じる。こんなに苦いもん、どこが美味しいんだよ。
涙目になった俺を見て、言わんこっちゃない、と言わんばかりの顔で日吉は俺から珈琲を取り上げた。
そして大して美味くもなさそうに、ゆっくりと珈琲を飲む。
「…美味い?」
「別に美味くはないです」
「じゃあ、何でわざわざ飲むわけ?」
「甘いのは口の中にずっと残るし…頭をすっきりさせるのにも丁度良いんですよ」
「よく分かんねぇ…どうせなら美味いって思うやつ飲めば良いのに」
「向日さんに分かって頂けるとは思っていませんので」
面白くない。
何だかすごく、面白くない。さっきまでの幸せな気分が嘘のようだった。
でも俺は、この面白くない気持ちを認めたくなかった。認めたくなくて、誤魔化すようにメロンソーダを喉に流し込む。
それは一気に俺の口の中の珈琲の苦味を消し去った。けれど、俺の中のむしゃくしゃしたものは、やっぱり喉の奥にこびりつくように残った。
日吉は無表情で珈琲を飲みながら、不機嫌そうにメロンソーダを飲む俺を黙って見ていた。
甘い。冷たい。
普段は一滴も残さず飲み干すメロンソーダ。今日は全然美味しくなくて、まだほんの少し重いアルミ缶を、俺はゴミ箱に投げ入れた。
今日は寒い。だから、メロンソーダが美味しくないんだ。きっとそうだ。次はホットココアを飲もう。
どうせ俺は、珈琲を飲めないんだから。