僕らの時計は止まらないで動くんだ。
僕らの時計は止まらないで動くんだ。
「…三七度八分」
水銀の体温計は無常にも、明らかに平熱ではない体温を示していた。怒られたわけでもないのに、その淡々と事実を告げる音声に、布団に肩まで埋めた健二はさらに肩を竦めるようにする。気弱げな眉が普段の三割増しで下がった。
そんな健二を、じろり、という擬音がぴったりの表情で見下ろすのは彼より年下の少年で、ついでに言えばOZのヒーロー、の中の人、である。
「絶対安静だからね」
「あの、でも、これくらい、大丈夫だよ」
「これくらい? 大丈夫? 誰が? 何を根拠に」
最後は鼻で笑われた。うう、とさらに健二は布団にもぐりこもうとする。外はよい天気だというのに、本当に何たるざまだろうか。
「健二くーん、何度あった?」
ある意味緊迫した客間の空気をぶち破ったのは、廊下を小走りに駆けてくるらしい夏希の声だった。ふう、と少年、佳主馬は肩で溜息をつく。
「え、えっと、あの大したことは」
夏希の登場に今がチャンスとでも思ったか、健二は身を起こそうとする。だがそれを許す佳主馬ではなかった。
「夏希ねえ、大変。健二さん熱あった、七度八分」
「えっ!」
夏希の驚いた声と障子が開くのは殆ど一緒だった。暖かい格好、とはいえ健二から見れば軽装といいたくなるセーターにジーンズ姿の夏希は、目を真ん丸くして布団に追い込まれた健二を見つめる。
「それって大変じゃない! インフルエンザ、…じゃないわよねえ」
うーん、と顎に指を当てて考える仕種は文句なしにかわいい。先輩、らしくはないにしても。
「寒かったんじゃないの、単に」
そんな夏希に、佳主馬はあっさりと断定してくれた。
「この真冬に野外で餅つき。汗もかいただろうし。その上、こっちの冬、お兄さんは初めてだから」
肩を竦める佳主馬に、そうよね、と夏希は頷いた。そして、健二の枕元に膝をつく。
「ごめんね、健二くん。…あたしたちは結構もう慣れちゃってるんだけど…寒かったよね、健二くんには」
「あ、いえそんな、あの、でもちょっと寒かったけどあの、ちょっとだけですからっ」
熱のせいなのか彼女が顔を寄せてきたからか。どちらか判然としないけれども、健二の心臓はどきんと大きく鳴った。…HPの低下している健二にとっては、いっそ致命傷とでも言いたくなるような大きなダメージだった。それを面白くなさそうな、憮然とした顔で見ていた佳主馬が、わざとらしく咳払い。
「とにかく。毛布と布団ありったけ持ってくる。お昼はお粥かうどん。…こんな状態で返せないよ。おうちにも連絡して。なんなら、僕が連絡するけど」
「ええ、いいよ…そんな、」
強引に話題をそらした佳主馬に今度は夏希が口を尖らせたが、健二は慌てたような、恐縮したような態度でまた身を起こそうとする。今度はそれを肩を抑えると言う直接行動で制止して、佳主馬は真面目な顔でじいっと健二を見つめた。
「僕で駄目なら、うちの大人連中の誰かでもいいし。…健二さん。健二さんが皆を心配してくれるのと、同じなんだよ」
「そうよそうよ、あたしたちだって心配だよ!」
佳主馬が膝をついて覗き込む反対側、夏希も元気よく同意する。布団の中から両方をきょろきょろと見比べた後、健二は泣き笑いのような顔を浮かべた。
「…ありがと、ございます」
透き通るような笑い方。それに武家の末裔の二人ははっと目を瞠って、それから、照れくさそうな顔になる。
佳主馬と夏希からの報告で、餅つきの後同様に泊り込んでいた直美、聖美、元々住んでいる理香の女性陣が中心になってあっという間に寝床から食事から何から揃えてくれた。気恥ずかしいと思う間もなかった。そしてどうせだったらとお昼には近所に住んでいる産兄弟の奥さん、そして子供達まで結局は揃った。冬休みの間、子供達は一緒にしておけば面倒を見る負担は軽減されるという次第で、最終的に本家に皆が集まりやすい状況だった。
そうして今はお昼の時間。
こたつにセットされた座椅子、パジャマの上にどてらを着せられ、こたつと椅子の隙間には毛布まで敷き詰められた重装備の健二の前には土鍋の鍋焼きうどん。ニンジンや椎茸が彩りよくトッピングされ、風邪によいという葱が山ほど盛られていた。中央には当然のように玉子。風邪がうつったら困る、と思うのに、元気の良い陣内の子供達が同じこたつに入ってミカンを食べたりゲームをしたりと忙しい。
だが本当に忙しいのは、健二の隣に座り込もうと先ほどから目で牽制しあっている夏希と佳主馬に違いない。やや離れた場所でその様子を観察する侘助は、これも青春なのかねえ、と内心で呟く。
「あっ、夏希ねえ…、柚子があった方がいいと思う。ねえ、健二さん、柚子切ったの入れるよね」
拙速を尊んでか、佳主馬が口を開いた。厨房は女性のテリトリー。健二を思いやる姿勢で夏希にそこへ行くことを促すという、なかなかに高等なテクニックを彼は用いてきた。だが夏希はそんな絡め手に負ける少女ではない。
「これからは男子も包丁くらい握れないと。佳主馬もおにいちゃんになったんだしね」
あっさり打ち落として、じり、と健二に近づく。
「健二くん、お茶碗に小分けにしようか?」
「えっ、そんな…大丈夫です」
この後はフーフーしてアーン、だろうか、と侘助は観察しながら思う。実はその隣にいる理一は、ああ、楽しんでいるんだろうなあ、と同い年の叔父をちらりと見やるが、侘助もそれには気づかない。
「お兄さん、僕、食べさせてあげようか」
佳主馬は侘助の予想と常識をあっさり覆した。それは夏希が使う手かと思っていたのだが。
「えっ…あの、気にしないで、本当に。こんなにしてもらって申し訳ないのに、」
そこで語尾に咳が重なったものだから、夏希も佳主馬も慌てて健二の背中に手を伸ばし、同時に「大丈夫?」といたわりの声を発する。ここまで来るとコントだな、と侘助はみかんを口に放り投げながら二、三度頷いた。理一は、そろそろ皆昼食に呼ばれるのではないかなあ、と思いながら、その場合誰がこたつに残って世話というか婿殿の相手をすることになるんだろうか、とぼんやり考えた。ここで二人とも呼ばれたらさぞかし面白いことになるんじゃないだろうか、と。
「チビたちこっち来てお昼にしなさーい」
と、そんな理一の予想を裏付けるように、真悟や真緒たちが呼ばれた。後が怖いのか、はーい、と子供達は案外元気よく昼が並べられたテーブルへと走っていく。そちらはこたつではないけれど、ストーブがたかれていて暖かい。まず子供達を片付けて、それから大人。佳主馬と夏希はどちらの範疇だろうか。考えながら、理一もまたみかんを手に取った。
「夏希、ほら、あんたもそろそろこっち手伝いなさい!」
「えーっ」
佳主馬が子供扱いで呼び戻されるより、夏希が働き手扱いで呼び戻される方が早かったらしい。佳主馬はどことなく勝ち誇った様子で夏希を振り仰ぐ。ちゃっかりと健二の隣に陣取って。
「あー! なっによ佳主馬! ちゃっかりと!」
「何が? 向こう、呼んでるみたいだけど?」
しれっと返すその豪胆さは、実に子供らしくない。
…健二の隣にもぐりこむ姿は、子供らしいというか年相応なものなのだけれど。
が。
作品名:僕らの時計は止まらないで動くんだ。 作家名:スサ