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遭難

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 向かいの彼は少し目を丸くしているだろうか、どちらにしろ細かい判別は付かない。寝転がる雲雀から伸ばした腕では寸が足らず彼がわざわざ前に体を倒す羽目になってしまった。彼は自分の差し出した手を絡めとり、ぎゅっと力を込めた。痛みは感じないが体温は十二分に伝わるぎりぎりの力だ。
 この人はそういった力加減のうまい人間であることを思い出す。その力に意識が覚醒しかけたが、また目を閉じることでそれをどこかに隠してしまう。

「ちがう、本」

 雲雀は絡めとられた片手を軽く振って、彼にそう言う。本当は動機など何も無かったのに、間に合わせのもっともらしい理由を口に出してしまった。見惚れて手を伸ばしたくなったとはとても言えない。
 「ああそっか、わりぃ」

 相変わらず互いにスローな動きで握った手を離して、彼は雲雀の掌に本を乗せ両手で丁寧に指を追って持たせる。この力の根源はなんだろう。固く瞑った目のままでは当然彼の動向など探れない。気付かないようにしてしまおう。
 目を開けたらきっとこの人は居ないだろうから、すべて幻にしてしまえる。それまでの辛抱だと、根拠のない暗示を繰り返し唱えて平静を取り戻そうとする。律することなどできずに重いからだの中心にある心臓を打ち鳴らしていた。
 力を入れて強張らせた目元に触れるものがあった。涙のあとをなぞった彼の指である。感触はすこしかさついていて、丁寧な動きだった。彼の長身は突き刺さる蛍光灯の光からひと時だけ雲雀を庇い、痛みのある光を優しい影に変えた。



「おれもこれ読んだことあるよ、英語版でだけど」
 甘い匂いは一瞬強くなりそれはまた離れていく。距離を感じる体のよいセンサーだ。立ち上がったであろう彼はかつかつと靴の踵が鳴る音させ去っていく。
 元いた場所、居るべきに場所に戻るという当たり前のことで、今日の出来事も彼が別の用事の隙間に雲雀と会うことを選んだ彼の気遣いからのものだろう。その優しさは中途半端で酷だ、と雲雀が彼を恨もうとしても純粋な憎悪にはなりえない。

 おそらくあの淡い笑みをまた口元に湛えている、家庭教師と言う名の見知らぬ他人。素性もろくに知らない来訪者。
 肉体的な触れ合いも戦う以外は何もなく、言葉だって少しの実感と経験が篭っているだけでありふれたものだったのに、どうしてこんなに、と雲雀は歯噛みする。

 だが確実に雲雀の頭に何処かを占拠して揺り動かすのだ。
 彼は雲雀の内面に渦巻くものなど知りもしないだろう、だから簡単に境界を越え雲雀に触れ、言葉を残す。知られたくは無いと雲雀は思う。この気持ちを知られて、腫れ物のように扱われたり哀れまれるのは嫌だと思った。それに由来するものが単なる感傷を撥ね退ける意地と拙さだとしてもだ。

 もったりとした動きと足りない酸素と際のぼけた像。まるで温い水の中にいるみたいだ。
 たぶん今日感じているこの停滞からの苦しさも初めて感じるものではなくいつものものなんだろう、そういうことに雲雀はしておいた。彼も自分と同じように心象の中で雪の国と人々を作り上げていたのか、彼が居る内に彼が思ったことを聞き出せばよかったのか、無言のまま約束のない来訪者を見送ることが正解であったのか。
 どの疑問も空想の答も的を得ない。幼い雲雀は何が二人にとっての最善の選択であるかどうかの区別が付かず、震える自分を隠す。

 彼の手から取り返したはずの本は適当に胸の上に乗せるだけで、何度目かの大きな呼吸のせいで滑り落ちてしまう。タイルの上に落ちた紙の束がばさりと鳴るが、拾う力も無い。シャツのボタンを数段はずして酸素を取り入れやすいようにするが根本的な解決にはならない。

 内蔵がきゅう、と圧をかけられて体が内面から痛む。頭の痛さも、先程彼が訪れる前に感じていたものとは違う。胸の辺りの痛みもきっとそのせいだ。すべてを一緒くたにして無理やり目を閉じると、余計に頭痛が精神と肉薄して激しくなっていくようだった。

 いつ来るかわからぬ、手に入らない人を思うということは、それ自体が何かの責め苦になりうるのだろうか。

 忘れろ、忘れろ、と念じて呪いのように頭の中で繰り返すと、心象で作り上げた白い雪に埋もれる里とその寒さはもうなく、かわりに彼のしっかりとした手の力とぼやけた笑顔だけが脳内に残って、雲雀は仰向けのまま掌で瞼を覆った。

 この手は彼を覚えている。
作品名:遭難 作家名:あやせ