薮蘭の優しさ
罰の継承者リクリとテッドが、ファレナ奪還軍に力を貸すようになって、数十日が過ぎた。
新女王の戴冠式という大行事を、セラス湖の中央に建つ本拠地で送り過ごしたファレナの王子リトーヤ達。
そんな中、奪還軍の軍師はとんでもない策を打ち立てた。
新女王の奪還。
それが、軍師ルクレティアが立てた策だった。
新女王の奪還が決まると、リトーヤとリオンは、リクリとテッドを自室に招き、立てられた策を彼らに伝えた。
「まったく、とんでもない策を考えるな。あの人」
軽い溜息とともに、テッドは両手を後頭部で組んだ。
「うん…」
テッドの言葉に、リクリは小さく頷いた。
その声には勢いが無く、テッドは怪訝に思って友の顔を見る。
「どうした？」
「え…うん……」
そう呟く様に答えると、リクリの視線が泳いだ。
何か考え事をしている…。
そう見抜いたテッドは、そのまま無言でリクリを見た。
ルクレティアの立てた策に何か引っ掛かる事でもあるのか…。
それとも、別の何かが引っ掛かるのか…。
呼吸数回の時が過ぎ、リクリはやっとぽつりと言葉を口にした。
「本当に…それで終わるのかな？」
「！」
そのリクリの言葉に、リトーヤとリオンが思わず息を飲んだ。
「あ、ごめん。別に策に不満があるんじゃないんだ」
微かに表情が強張ったふたりに、リクリは慌てて言い足した。
が、リオンが首を横に振って答えた。
「違うんです。その…リクリさんが同じ様な事を言ったから、驚いてしまったんです」
「同じ様な事？」
リクリが問うと、今度はリトーヤが答えた。
「さっき、大広間で策を聞いていた時、叔母上が君と同じ様な事を言ったんだ」
そう言ってリトーヤはリオンを見る。
リオンはこくりと頷いた。
新女王奪還の策が立った時、その場で策を聞いていた者たちは誰もが胸中に希望を抱いて勢い付いた。
だが、そんな中で、新女王の叔母に当たるサイアリーズだけが、ふっと顔を伏せたのだった。
そして、呟く様に小声でこう言った。
――それで…ホントにいいのかい…？――
それが、何に対しての言葉だったのかは分からない。
その言葉に対して、サイアリーズが答えを求めていた感じも無かった。
ただ…伏せられたその顔と、呟かれた言葉だけが、リトーヤとリオンの記憶に、はっきりと残っていた。
「そうか…サイアリーズさんが…」
リクリは、ぽつりとサイアリーズの名を口にした。
彼女が何を思ってそう言ったのか、詳しい事情など分からないが、何故か悲しい程の優しさが隠されているような、そんな気がした。
「それじゃあ、あの軍師もサイアリーズさんが呟いたのを知ってる筈だよな。
あの人はその事、どう思ってるんだろうな」
テッドが、ふっと頭に浮かんだ疑問をそのまま口にした。
それを聞いたリクリは、静かに首を横に振った。
「多分…ルクレティアさんはその事に関しては、気付いていないか、知らないふりをしていると思うよ」
リクリがそう答えると、その場にいる全員が驚いてリクリを見た。
「まさか…」
そう言葉を漏らしたテッドに、リクリは寂しそうに微笑んだ。
「意外と思うけど、そういうものだよ。位置が微妙過ぎるんだ」
「微妙…？」
リトーヤがそう問うと、リクリはゆっくりと頷いた。
「同じ軍で、同じ目的の為に戦っていても、片や軍師で片や王族。
軍師は軍にとってその時に最も最善とされる策を打ち立てる。
だけど、地位や身分のある者はそれなりに個人だけの望みを持っていたりするものだ。
策によっては、その内なる願いが叶わなくなる場合だってある。
その時、その者が自分の意志で好き勝手な事をしてしまえば、軍の士気にも影響を及ぼし兼ねない。
だから、その者に分別があれば意志を押し殺すし、押し殺すから策はそのまま進んでいく」
言い終えると、リクリはゆっくりと息をついた。
「それで…位置が微妙なのか」
「うん」
リトーヤの言葉に、リクリは頷いた。
「それじゃあ、叔母上には何か抑え込んでいる事があると…」
「そういう事になるね」
「叔母上…」
突然の事実に、リトーヤはただサイアリーズの事を呟くしか出来ない。
そんなリトーヤに、リクリはやさしく微笑んだ。
「大丈夫だよ。君の事をあんなに大切にしてくれている人なんだし。
きっと、君や祖国の為に何か強い望みがあるんだよ。
そして、それが今回の策にたまたま合わなかっただけだと思う」
「そうですよ！ サイアリーズ様はきっと王子の為に何か考えて下さってるんです！」
リオンが、声に勢いを付けてリトーヤを励ます様にそう言った。
「そうだね、ありがとう」
リトーヤはそう言うと顔に笑みを浮かべた。
「…で、お前は何を考えてんだよ」
今まで静かに聞いていたテッドが、ふいにリクリにそう問うた。
「え？」
「ファレナの人間じゃないお前が、そこまで策を気にかける理由は何だって、聞いてんの」
「……」
テッドに言われ、リクリは口を閉ざした。
気のせいか、体が微かに震えている様な感じをテッドは見て取った。
しばしの沈黙。
皆がリクリの言葉を待った。
呼吸数回の時を置き、リクリは意を決したかの様に口を開いた。
「僕が気になってるのは策じゃない。
策が成功した先にある紋章が心配なんだ」
「紋章？」
テッドが問うと、リクリは頷く代わりに言葉を続けた。
「ドラート戦で、ゴドウィン軍の１人が宿していたあの紋章。
テッドも見ただろう？」
「ああ。確か、黄昏の紋章って言ってたな」
テッドは確認する様にリトーヤを見る。
リトーヤはこくりと頷いた。
「黎明の紋章とともに、太陽の紋章に付き従う紋章だよ。
太陽の紋章を正しい道に導く、いわば道標の役割を持っているとされている紋章なんだ。
太陽を中央に、黎明と黄昏がそれぞれ東西に安置されていたんだ。
でも、今は黎明は僕が宿してしまっているし、黄昏はあんな状態になってしまって…」
リトーヤは悔しそうに両手をきゅっと握りしめた。
そんなリトーヤを、リクリは静かに見つめた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「黄昏は勿論だけど、太陽の紋章もゴドウィン軍の手の中にある。
仮に新女王を奪還出来たとしたら、ゴドウィン軍はきっと紋章を前面に出して軍を推し進めると思う。
黄昏の紋章の宿主は何らかの方法で紋章を強引に宿していた様だけど、もしも黎明の紋章が君を選んだ様に、黄昏の紋章に選ばれた者が出現したら…太陽の紋章を操る術を見つけ出してしまったら…。
真の紋章やそれに近い紋章は、そうそう簡単に操れるものじゃない。
ちょっと脅すつもりがとんでもない事になってしまったら、痛いだけじゃ済まされない事態にだってなり得る。
紋章の力で、大地や民が脅かされる。
……多くの命が………危険にさらされる………」
やっとの思いでそこまで言うと、リクリはぎゅっと両目を閉じて俯いた。
先ほどは気のせいかと思った程度の体の震えは、今や簡単に目認出来る程に大きくなっていた。
「リクリ…」
テッドは、友の名を呟くと、その背中をそっと撫でてやった。
「お前、あの時の事を思い出したな」
悲しげな声でそう言うと、リクリはただ黙って頷いた。
震えの止まらない友の背中に触れたまま、テッドはリトーヤとリオンを見る。
そんなテッドの瞳も、悲しい色を帯びていた。
新女王の戴冠式という大行事を、セラス湖の中央に建つ本拠地で送り過ごしたファレナの王子リトーヤ達。
そんな中、奪還軍の軍師はとんでもない策を打ち立てた。
新女王の奪還。
それが、軍師ルクレティアが立てた策だった。
新女王の奪還が決まると、リトーヤとリオンは、リクリとテッドを自室に招き、立てられた策を彼らに伝えた。
「まったく、とんでもない策を考えるな。あの人」
軽い溜息とともに、テッドは両手を後頭部で組んだ。
「うん…」
テッドの言葉に、リクリは小さく頷いた。
その声には勢いが無く、テッドは怪訝に思って友の顔を見る。
「どうした？」
「え…うん……」
そう呟く様に答えると、リクリの視線が泳いだ。
何か考え事をしている…。
そう見抜いたテッドは、そのまま無言でリクリを見た。
ルクレティアの立てた策に何か引っ掛かる事でもあるのか…。
それとも、別の何かが引っ掛かるのか…。
呼吸数回の時が過ぎ、リクリはやっとぽつりと言葉を口にした。
「本当に…それで終わるのかな？」
「！」
そのリクリの言葉に、リトーヤとリオンが思わず息を飲んだ。
「あ、ごめん。別に策に不満があるんじゃないんだ」
微かに表情が強張ったふたりに、リクリは慌てて言い足した。
が、リオンが首を横に振って答えた。
「違うんです。その…リクリさんが同じ様な事を言ったから、驚いてしまったんです」
「同じ様な事？」
リクリが問うと、今度はリトーヤが答えた。
「さっき、大広間で策を聞いていた時、叔母上が君と同じ様な事を言ったんだ」
そう言ってリトーヤはリオンを見る。
リオンはこくりと頷いた。
新女王奪還の策が立った時、その場で策を聞いていた者たちは誰もが胸中に希望を抱いて勢い付いた。
だが、そんな中で、新女王の叔母に当たるサイアリーズだけが、ふっと顔を伏せたのだった。
そして、呟く様に小声でこう言った。
――それで…ホントにいいのかい…？――
それが、何に対しての言葉だったのかは分からない。
その言葉に対して、サイアリーズが答えを求めていた感じも無かった。
ただ…伏せられたその顔と、呟かれた言葉だけが、リトーヤとリオンの記憶に、はっきりと残っていた。
「そうか…サイアリーズさんが…」
リクリは、ぽつりとサイアリーズの名を口にした。
彼女が何を思ってそう言ったのか、詳しい事情など分からないが、何故か悲しい程の優しさが隠されているような、そんな気がした。
「それじゃあ、あの軍師もサイアリーズさんが呟いたのを知ってる筈だよな。
あの人はその事、どう思ってるんだろうな」
テッドが、ふっと頭に浮かんだ疑問をそのまま口にした。
それを聞いたリクリは、静かに首を横に振った。
「多分…ルクレティアさんはその事に関しては、気付いていないか、知らないふりをしていると思うよ」
リクリがそう答えると、その場にいる全員が驚いてリクリを見た。
「まさか…」
そう言葉を漏らしたテッドに、リクリは寂しそうに微笑んだ。
「意外と思うけど、そういうものだよ。位置が微妙過ぎるんだ」
「微妙…？」
リトーヤがそう問うと、リクリはゆっくりと頷いた。
「同じ軍で、同じ目的の為に戦っていても、片や軍師で片や王族。
軍師は軍にとってその時に最も最善とされる策を打ち立てる。
だけど、地位や身分のある者はそれなりに個人だけの望みを持っていたりするものだ。
策によっては、その内なる願いが叶わなくなる場合だってある。
その時、その者が自分の意志で好き勝手な事をしてしまえば、軍の士気にも影響を及ぼし兼ねない。
だから、その者に分別があれば意志を押し殺すし、押し殺すから策はそのまま進んでいく」
言い終えると、リクリはゆっくりと息をついた。
「それで…位置が微妙なのか」
「うん」
リトーヤの言葉に、リクリは頷いた。
「それじゃあ、叔母上には何か抑え込んでいる事があると…」
「そういう事になるね」
「叔母上…」
突然の事実に、リトーヤはただサイアリーズの事を呟くしか出来ない。
そんなリトーヤに、リクリはやさしく微笑んだ。
「大丈夫だよ。君の事をあんなに大切にしてくれている人なんだし。
きっと、君や祖国の為に何か強い望みがあるんだよ。
そして、それが今回の策にたまたま合わなかっただけだと思う」
「そうですよ！ サイアリーズ様はきっと王子の為に何か考えて下さってるんです！」
リオンが、声に勢いを付けてリトーヤを励ます様にそう言った。
「そうだね、ありがとう」
リトーヤはそう言うと顔に笑みを浮かべた。
「…で、お前は何を考えてんだよ」
今まで静かに聞いていたテッドが、ふいにリクリにそう問うた。
「え？」
「ファレナの人間じゃないお前が、そこまで策を気にかける理由は何だって、聞いてんの」
「……」
テッドに言われ、リクリは口を閉ざした。
気のせいか、体が微かに震えている様な感じをテッドは見て取った。
しばしの沈黙。
皆がリクリの言葉を待った。
呼吸数回の時を置き、リクリは意を決したかの様に口を開いた。
「僕が気になってるのは策じゃない。
策が成功した先にある紋章が心配なんだ」
「紋章？」
テッドが問うと、リクリは頷く代わりに言葉を続けた。
「ドラート戦で、ゴドウィン軍の１人が宿していたあの紋章。
テッドも見ただろう？」
「ああ。確か、黄昏の紋章って言ってたな」
テッドは確認する様にリトーヤを見る。
リトーヤはこくりと頷いた。
「黎明の紋章とともに、太陽の紋章に付き従う紋章だよ。
太陽の紋章を正しい道に導く、いわば道標の役割を持っているとされている紋章なんだ。
太陽を中央に、黎明と黄昏がそれぞれ東西に安置されていたんだ。
でも、今は黎明は僕が宿してしまっているし、黄昏はあんな状態になってしまって…」
リトーヤは悔しそうに両手をきゅっと握りしめた。
そんなリトーヤを、リクリは静かに見つめた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「黄昏は勿論だけど、太陽の紋章もゴドウィン軍の手の中にある。
仮に新女王を奪還出来たとしたら、ゴドウィン軍はきっと紋章を前面に出して軍を推し進めると思う。
黄昏の紋章の宿主は何らかの方法で紋章を強引に宿していた様だけど、もしも黎明の紋章が君を選んだ様に、黄昏の紋章に選ばれた者が出現したら…太陽の紋章を操る術を見つけ出してしまったら…。
真の紋章やそれに近い紋章は、そうそう簡単に操れるものじゃない。
ちょっと脅すつもりがとんでもない事になってしまったら、痛いだけじゃ済まされない事態にだってなり得る。
紋章の力で、大地や民が脅かされる。
……多くの命が………危険にさらされる………」
やっとの思いでそこまで言うと、リクリはぎゅっと両目を閉じて俯いた。
先ほどは気のせいかと思った程度の体の震えは、今や簡単に目認出来る程に大きくなっていた。
「リクリ…」
テッドは、友の名を呟くと、その背中をそっと撫でてやった。
「お前、あの時の事を思い出したな」
悲しげな声でそう言うと、リクリはただ黙って頷いた。
震えの止まらない友の背中に触れたまま、テッドはリトーヤとリオンを見る。
そんなテッドの瞳も、悲しい色を帯びていた。