二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

あじさいロード

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
 あるとき、もう遙か昔のことだったが、一人の君主に尋ねられた事があった。

 「お前が見えるようになってから俺は随分時を経たが、お前は死ぬこともなければ老いることもないようだな」
 
 あの伝説をもじって、羨望と好奇心で問ったのであろうが、問いかけられたアーサーにとっては意図も分からないまま、ぼんやりと皺でたるんだ手の甲と、しっかりとした力で握られた錫杖を眺めていた記憶しかない。
 「不老ではありますが、不死ではありません、陛下」
 陛下、と自分が呼んだ男の顔も名前も覚えてはいない。それで男は満足し、それきり自分に対してこの問いかけをすることはなかった。

 長く生きて、権力者の傍らでずっと時の流れと人々の生活を目に焼き付けてきた。
 国は死もある。
 忘却され灰に埋まった国もある。蹂躙され尽くして名を失い、静かに朽ちていった国もある。革命に息の根を止められることも、珍しいことではない。
 それに手を下した事も、間接的に謀略にはめて途を辿らせたことも、自分の胃袋の中に詰め込んでしまったものもある。珍しくはないのだ。
 その対象に自分がなり得なかったのは、死に物狂いで生き続ける根性と、その術に長けるために這い続けてきたからだ。
 この家にはおそらくどこかの国の押しつけである、アップライトピアノが居間の隣の部屋に置いてある。
 畳の敷いた部屋の中に鎮座するそれは、本田という人柄らしく、丁寧にベルベット生地のカバーが掛けられ、手入れはされていたが、音を響かせている事はあまりないようだ。
 よほど大事にしている物でもなければ、触れても彼の怒りを買うことはないだろう。何度かの接近と戦いを経て、あの黒い瞳が何に傷つき震えるかのボーダーラインを知っている。

 奏でたいと思って指は鍵盤を押した。いくつか音を鳴らし一つメロディを作ったところで、この家の主である本田が盆を手に静々と入り込んだ。盆の上には二人分の湯飲みと、それと何かの花に似せた薄い色の和菓子が乗っていた。彩がある菓子といっても、こちらは随分慎ましやかだ。

 「意外です、」
 「音楽はローデリヒんとこだけの専売特許じゃないからな」
 二人分の茶を運んでいる友人がそれを眺めていたらしく、率直な驚きを口にした。
 アーサーはそう強がってみるが、話題に出した彼とは指使いがまるで違う。あの流麗な音楽に比べれば、随分と辿々しい指使いで、強がって見せたのが去勢に似せた冗談であることに彼もすぐ気付き、笑った。
 招き入れられた彼の家は、石と土で塗り固められた自らの屋敷や街並みとも違う。水と風の動きを全て受け入れ、それを生かす。すべての気候に順応し共に生きていこうと、この国の人間は知識としてそう心得ている。
 
 「私の国の作家が、その歌がこの世で一番美しい歌だといっていました」
 本田はそういって、口元の笑みを濁さず滑らかな口上でアーサーの奏でた曲を評した。小さな表情の造作で、己の心の内を表現する彼に頷いた。はじめは彼がなにを感じているのかもよく分からず、嬉しさや悲しさをもっと引き出そうと奔走したものだ。
 今は、心の内で彼が喜怒哀楽全ての感情に、他の人間と違わず震えていることを知っているから、むやみに感情を覗き込むような真似はしない。
 
 「本田、知ってるか?」
 陰気な空気をはらんで、言葉は唇から滑り落ちていく。弟が生まれる遥か昔のことを思い返していたせいだろうか、それとも伝えられる情報が日を追って酷薄さを増していっていることに疲れていたのだろうか。

 本来ならば、国の象徴としての存在である自分たちが、戯れに感情を零してはいけないのだ。そこから伝播して、それは本物の現象になってしまうことだってよくある。
 自らの言葉や行動には責任を持て、それをいつもは言い聞かせている立場であるのに、自らに当てはめるときになるとどうも気が抜けてしまう。今回もそんな一瞬の気の緩みであった。

 「この歌は、戦地に行った家族を思った歌なんだ」
 自分がどんな表情をして、彼にこんな事を伝えているかはわからない。おそらく、口角の筋肉を上げていたから笑っていたとは思うのだが、依然堅いままの彼の表情に強張ってしまう。
 思い出すのはレンズの向こうで傷ついたことを隠し気丈に振る舞い戦いを鼓舞する青い目であった。
 あんなに背は伸びて、振るう力も大きくなったというのに、彼はあの青い瞳の色はそのままで、そんなアンバランスさが痛々しく、アーサーの心をひどく揺さぶる。
 「母から子だとか、同じ兄弟に対してとかそういうのの…」
 アーサー自身が想定していたより、その声は感情の揺らめきを表したものになってしまった。
 自分のセンチメンタルは思ったより深く根付いていて、いつもそれに振り回されるときがある。帝国面の過ぎた家督として座っていればいいものを、と兄弟に馬鹿にされたこともあったが、悲しみに落ちていくことを自らでブレーキをかけられることなど、「普通の人間」でも難しいのに…。

 「それで、私はなんと答えればよいのでしょうか?」

 本田の低く凛とした声はアーサーのたゆんでいた頬と心持ちを射抜いた。
 答えにアーサーは窮して日本の眼にいつもの穏和な光を探す。
 弟とは違う、大陸では珍しい黒く深い色の瞳だ。だがアーサーはこの色を嫌うことはなく、彼のひとつのエレメントとして気に入っていた。そんな黒色の瞳が、今己を貫いている。先ほどとは違った意味で、胸をざわめかせた。

 「出過ぎたことを言いました。」

 すぐに本田はその非礼を詫び、目線を下へと逃れさせた。そして元の穏やかな空気に戻すことに勤め始める。要らぬ波風を立てず治めようとする、彼らしい所作だ。
 しかしアーサーは彼の一瞬だけ響いた彼の鋭い声に、自らの甘えを叱責されたと感じた。

 現状に対してもう自分が、つまり自国が出す結論など迷いもせず決まりきっている。
 この状態に少しナーバスになっているのは自分一人である。そして一度自国に戻れば、その決定を自分の意志として飲み込んで、国民達に説く覚悟も決まっている。
 それを、決まった結論を誰かに押してもらいたいなんて、ひどいエゴだ。

 「いや、俺こそ、悪かった」
 一度の謝罪で距離をまた測りあって、もとの場所に二人の心持が戻っていく。二人は互いにとる位置をよく知っていて、いつもそこに収まって言葉や笑顔を交わしあう。
 それが互いの友愛を受け取りあう一番いいポジションなのだ。本田はこんなときにこそ、こぼれた少し心情を拾い上げてくれる、大切な友人であった。心の緩みは彼の優しさに甘えてしまったことからだろう。自制を強く心に刻み付けて、二人は色違いの茶碗を違った手つきで取り合った。

 短いティータイムを過ごしたあと、アーサーは決まって彼の家の縁側に進む。
 彼の庭は、自分の家の造りとは全く違っていたが、四季の移ろいが全ての五感で感じることが出来る、よく手入れされた場所だ。来るたびに違った色の花がほころび、その芳香を漂わせている。
作品名:あじさいロード 作家名:あやせ