俺とあなたの日々
柳さんは俺の特訓に付き合っていた。俺は柳さんの特訓に付き合っていた。両立すると思う。俺は強くなりたかったし、柳さんも強くなりたかった。
入部と同時に三強と言われるメンバーに負けた俺は、それからまたすぐに三人に挑みかかろうとして「その資格もない」と両断された。
何の成長も見られない人間相手に、そうそう時間をくれてはやれないよ。そう幸村部長は言って(ものすごく当たり前のような口調で!)、真田副部長も頷いた。そしてそんな会話をした時間さえもったいないというように二人はそれぞれに練習をはじめて、呆然としたまま残された俺の肩を叩いたのが柳さんだった。
練習をするなら付き合うぞ、と見下ろされ、俺は逆光でまぶしかったけれど目を閉じないようにしながら突っぱねた。
同情ならいらねっス。
そうかとあっさり柳さんは手を引いた。俺も時間は惜しい。お前と組めば弦一郎を倒す日が近づくかと思ったが。
そう言って背を向けた柳さんのジャージの裾を俺は掴んで引き止めた。
倒す?
あんたはあいつらの仲間じゃないのか、と、言わなくても顔に出ていたのだと思う。柳さんは少し面白そうに笑った。
男なら誰だって、自分より上の相手に挑んで、勝ちたいと思うだろう?
俺は黙って頷いた。
俺は弦一郎に勝ちたい。そのための練習は、一人より二人のほうがいいと思ったから声をかけた。しかし、お前が一人でやりたいというなら、こっちも無理にとは言わない。
そして話は終わったとばかりに、裾を離せ、伸びるなんて言ってくるものだから、俺はますますぎゅっとジャージを握る手に力をこめた。
やります。俺、何でもします。そんで・・・・・
わかった、わかったから裾を離せ。柳さんは俺の話を最後まで聞きもせず困った顔で繰り返した。
それから俺たちは、部活が終わったあとに場所を移ってまた練習をすることにした。部活と特訓で二回分の着替えが必要な俺のバッグはいつもぱんぱんで、でも着替えの回数が同じはずの柳さんのバッグは明らかに俺のよりすっきりしていた。
なんですか、それめちゃくちゃ収納いいとか?
並んでの駅までの道のりでなんとなく聞いたら、柳さんは少し考えるように黙ったあと俺を見下ろして一言「畳め」と呟いた。
俺だってできる限り小さく畳んでますと思わず言い返したら、冗談だ冗談だとなだめる手つきまでして抑えられた。
「じゃあ、ほんとになんでスか? 布地が薄いからかさばらないとか?」
「ほう。お前は自分の先輩が、着ると肌の色が透けるような薄地のシャツでテニスをしていると思うのか」
「怖い言い方やめてください! 想像する!」
「まあ、アレだ。強いて言えば、俺のバッグには昨日洗濯機に入れ忘れたシャツだとか、放課後まで待ちきれないで行き道にコンビニで買った漫画本が入っていないからかもしれないな」
「そういうさりげない皮肉ウゼー・・・・・」
「何か言ったか」
「いえ!」
「そうか、さりげない皮肉がうざいというのは気のせいか」
「マジ気のせいっす」
「いい度胸だな、赤也」
「痛い痛い痛いほっぺ伸びる伸びる、くそっ本当に聞こえてないほうに賭けたのに・・・・・!」
「残念ながら外したな」
俺の頬を掴んで伸ばしながら柳さんはニヤリと笑った。俺は柳さんのそういう顔を、悪くないなと思っている。
先輩後輩を超えた友情、友情ではなくてもそういう方向の親しさ。そういう感じの気持ちはお互いにあったと思う。俺は柳さんを「いつか倒すべき相手の一人」というよりは「『打倒真田副部長』を掲げる仲間」のような気持ちで見ていた。
なぜ俺なのか、と聞いたことがあった。
小学生ころ無敗だった俺は、立海に入れば「一年生の中では強い」程度だった。それはそうだ。つい先週はじめてラケットを握ったようなやつだっているテニスクラブと、関東常勝の学校とじゃ、在籍しているやつらのレベルが違う。たとえ俺が一年の中で一番強いとしても、部員全員を実力で並べたら良くて中の上といったところだったろう。バケモノに挑むより先に、することは多かった。倒す相手は多かった。俺と組むことがレベルアップに役立つとはいえ、その道は柳さんにとって遠回りではないだろうか。
柳さんは俺の質問に答えなかった。重ねて聞けば、そうだなあと迷う素振りをして、けれど結局まだ早いと教えてくれなかった。俺は納得できなかったけれど、頷いた。納得はいかないけど、この人がそういうならそうなんだろう。そのくらいの信頼はあった。つまり、ある方向で俺は、俺自身より彼を信じていた。
関東最強の立海大附属。それでも俺より強いやつは少なかった。けれど、俺より上手いやつはたくさんいた。俺は嬉しかった。俺は悔しかった。俺はナンバーワンになりたかった。どこよりも強い学校で、誰よりも強くなりたかった。
道のりははるか険しい。そして、目の前の邪魔なやつらを全員倒したとしても、バケモノと肩を並べる力はつかないだろう。
それほど圧倒的だったのだ。戦車とか爆撃とか、ああいうものに近い。相手は人間じゃない。そう思いたかった。けれどそんなことはなかった。幸村部長も真田副部長も、骨の数も指の数も目の数も、全て俺と同じだった。何も変わらなかった。じゃあ何が違うのだろう。筋肉か。経験か。努力か。それとも、才能か。
才能だと思いたくはなかった。そう思えば終わってしまう。俺が誰よりも強くなるためには、バケモノを人間だと思うしかなかった。俺と同じだ。何も変わらない。でなければ超えられない。なのにこの圧倒的な強さは何だ!
俺は嫉妬した。幸村部長に、真田副部長に。俺のどんな努力も練習も特訓も、まるで無駄じゃないかと思うほど絶対的な力に。その強さに。
限度を超えて走った。マメがつぶれてもラケットを振った。水さえ飲めなくなるほど疲れ果てるまで、家に帰るための一歩を踏み出すことさえ億劫でたまらなくなるまで、あまりの苦痛に体が勝手にしゃがみこみ、胃の中のものを吐き散らすまで。
それでも届かなかった。あの二人に勝てるんじゃないかという淡い夢さえ見ることはなかった。俺は惨めなくらい弱かった。いくら強くなっても弱いままだった。俺はさらに走った。さらに練習を重ねた。なりふりかまわず柳さんに食らいついた。欠点を聞いた。弱点を聞いた。克服のための努力を重ねた。柳さんは俺を褒めなかった。柳さんは俺を責めなかった。馬鹿にもせず、呆れず、許さず、見捨てなかった。俺がそうするのが当たり前のように、そうするしかないように、ひたすら俺に付き合い、俺を鍛え、そうすることで自分を鍛えていた。
なんで俺なんすか。
俺は聞いた。あたりには誰もいなかった。柳さんは笑った。苦笑だった。俺と、たぶん自分への。
赤也。俺は、強くなりたい。弦一郎を超えたい。精市にすら勝ちたいと思う。
柳さんは言った。あのときは聞けなかった答えだった。
丸一年経っていた。俺が三人に負けてから、柳さんが俺に声をかけてから、俺たちが特訓をはじめてから。
入部と同時に三強と言われるメンバーに負けた俺は、それからまたすぐに三人に挑みかかろうとして「その資格もない」と両断された。
何の成長も見られない人間相手に、そうそう時間をくれてはやれないよ。そう幸村部長は言って(ものすごく当たり前のような口調で!)、真田副部長も頷いた。そしてそんな会話をした時間さえもったいないというように二人はそれぞれに練習をはじめて、呆然としたまま残された俺の肩を叩いたのが柳さんだった。
練習をするなら付き合うぞ、と見下ろされ、俺は逆光でまぶしかったけれど目を閉じないようにしながら突っぱねた。
同情ならいらねっス。
そうかとあっさり柳さんは手を引いた。俺も時間は惜しい。お前と組めば弦一郎を倒す日が近づくかと思ったが。
そう言って背を向けた柳さんのジャージの裾を俺は掴んで引き止めた。
倒す?
あんたはあいつらの仲間じゃないのか、と、言わなくても顔に出ていたのだと思う。柳さんは少し面白そうに笑った。
男なら誰だって、自分より上の相手に挑んで、勝ちたいと思うだろう?
俺は黙って頷いた。
俺は弦一郎に勝ちたい。そのための練習は、一人より二人のほうがいいと思ったから声をかけた。しかし、お前が一人でやりたいというなら、こっちも無理にとは言わない。
そして話は終わったとばかりに、裾を離せ、伸びるなんて言ってくるものだから、俺はますますぎゅっとジャージを握る手に力をこめた。
やります。俺、何でもします。そんで・・・・・
わかった、わかったから裾を離せ。柳さんは俺の話を最後まで聞きもせず困った顔で繰り返した。
それから俺たちは、部活が終わったあとに場所を移ってまた練習をすることにした。部活と特訓で二回分の着替えが必要な俺のバッグはいつもぱんぱんで、でも着替えの回数が同じはずの柳さんのバッグは明らかに俺のよりすっきりしていた。
なんですか、それめちゃくちゃ収納いいとか?
並んでの駅までの道のりでなんとなく聞いたら、柳さんは少し考えるように黙ったあと俺を見下ろして一言「畳め」と呟いた。
俺だってできる限り小さく畳んでますと思わず言い返したら、冗談だ冗談だとなだめる手つきまでして抑えられた。
「じゃあ、ほんとになんでスか? 布地が薄いからかさばらないとか?」
「ほう。お前は自分の先輩が、着ると肌の色が透けるような薄地のシャツでテニスをしていると思うのか」
「怖い言い方やめてください! 想像する!」
「まあ、アレだ。強いて言えば、俺のバッグには昨日洗濯機に入れ忘れたシャツだとか、放課後まで待ちきれないで行き道にコンビニで買った漫画本が入っていないからかもしれないな」
「そういうさりげない皮肉ウゼー・・・・・」
「何か言ったか」
「いえ!」
「そうか、さりげない皮肉がうざいというのは気のせいか」
「マジ気のせいっす」
「いい度胸だな、赤也」
「痛い痛い痛いほっぺ伸びる伸びる、くそっ本当に聞こえてないほうに賭けたのに・・・・・!」
「残念ながら外したな」
俺の頬を掴んで伸ばしながら柳さんはニヤリと笑った。俺は柳さんのそういう顔を、悪くないなと思っている。
先輩後輩を超えた友情、友情ではなくてもそういう方向の親しさ。そういう感じの気持ちはお互いにあったと思う。俺は柳さんを「いつか倒すべき相手の一人」というよりは「『打倒真田副部長』を掲げる仲間」のような気持ちで見ていた。
なぜ俺なのか、と聞いたことがあった。
小学生ころ無敗だった俺は、立海に入れば「一年生の中では強い」程度だった。それはそうだ。つい先週はじめてラケットを握ったようなやつだっているテニスクラブと、関東常勝の学校とじゃ、在籍しているやつらのレベルが違う。たとえ俺が一年の中で一番強いとしても、部員全員を実力で並べたら良くて中の上といったところだったろう。バケモノに挑むより先に、することは多かった。倒す相手は多かった。俺と組むことがレベルアップに役立つとはいえ、その道は柳さんにとって遠回りではないだろうか。
柳さんは俺の質問に答えなかった。重ねて聞けば、そうだなあと迷う素振りをして、けれど結局まだ早いと教えてくれなかった。俺は納得できなかったけれど、頷いた。納得はいかないけど、この人がそういうならそうなんだろう。そのくらいの信頼はあった。つまり、ある方向で俺は、俺自身より彼を信じていた。
関東最強の立海大附属。それでも俺より強いやつは少なかった。けれど、俺より上手いやつはたくさんいた。俺は嬉しかった。俺は悔しかった。俺はナンバーワンになりたかった。どこよりも強い学校で、誰よりも強くなりたかった。
道のりははるか険しい。そして、目の前の邪魔なやつらを全員倒したとしても、バケモノと肩を並べる力はつかないだろう。
それほど圧倒的だったのだ。戦車とか爆撃とか、ああいうものに近い。相手は人間じゃない。そう思いたかった。けれどそんなことはなかった。幸村部長も真田副部長も、骨の数も指の数も目の数も、全て俺と同じだった。何も変わらなかった。じゃあ何が違うのだろう。筋肉か。経験か。努力か。それとも、才能か。
才能だと思いたくはなかった。そう思えば終わってしまう。俺が誰よりも強くなるためには、バケモノを人間だと思うしかなかった。俺と同じだ。何も変わらない。でなければ超えられない。なのにこの圧倒的な強さは何だ!
俺は嫉妬した。幸村部長に、真田副部長に。俺のどんな努力も練習も特訓も、まるで無駄じゃないかと思うほど絶対的な力に。その強さに。
限度を超えて走った。マメがつぶれてもラケットを振った。水さえ飲めなくなるほど疲れ果てるまで、家に帰るための一歩を踏み出すことさえ億劫でたまらなくなるまで、あまりの苦痛に体が勝手にしゃがみこみ、胃の中のものを吐き散らすまで。
それでも届かなかった。あの二人に勝てるんじゃないかという淡い夢さえ見ることはなかった。俺は惨めなくらい弱かった。いくら強くなっても弱いままだった。俺はさらに走った。さらに練習を重ねた。なりふりかまわず柳さんに食らいついた。欠点を聞いた。弱点を聞いた。克服のための努力を重ねた。柳さんは俺を褒めなかった。柳さんは俺を責めなかった。馬鹿にもせず、呆れず、許さず、見捨てなかった。俺がそうするのが当たり前のように、そうするしかないように、ひたすら俺に付き合い、俺を鍛え、そうすることで自分を鍛えていた。
なんで俺なんすか。
俺は聞いた。あたりには誰もいなかった。柳さんは笑った。苦笑だった。俺と、たぶん自分への。
赤也。俺は、強くなりたい。弦一郎を超えたい。精市にすら勝ちたいと思う。
柳さんは言った。あのときは聞けなかった答えだった。
丸一年経っていた。俺が三人に負けてから、柳さんが俺に声をかけてから、俺たちが特訓をはじめてから。