毛布の子
のしかかるような寝苦しさに目を開けると、そこには比喩でもなんでもなく、憎らしい程安穏とした顔で眠る男が半ば覆いかぶさっていた。目覚めるのも当然で、力の加減すらない圧迫に無理やり瞼をこじ開けられたようなものだった。
人をただの抱き枕か何かかと勘違いしているのか、腰の辺りに手がだらりと伸びている。密着し、汗ばんだ肌がなんだか気持ち悪い。
「バーン」
重たい、と抗議したところでしっかりと閉じられた瞳が開くことはないのだった。確かめてみなくてもとうにわかっている、バーンの眠りがどれだけ深いかなんてこと。いつも先に目覚めるのはガゼルの方で、壁際の方で眠る彼は狭苦しいベッドの中いつの間にか壁と接近しているのが常だった。横で眠るバーンが無意識の内に押しやっているのか、本能的にガゼルが離れようとしているのかはよくわからない。きっとそのどちらともだろう。
熱いのは好きじゃない。苦手とは違う、ただ熱くなることが理解ができないだけで、しかし巻きつく腕の暑苦しさにはやはり辟易してしまう。眠るたびバーンは腕を伸ばす。健康的な色をした腕はそこが定位置であるような顔をして、ガゼルの腹あたりにいつも存在している。
眠っている内に母親がいなくなってしまわないよう、しっかりと掴んで離さないその姿はまるで子供のようだ。しかしガゼルはバーンの母親でもなければ、ライナスのセキュリティ・ブランケットでもない。
腕力だけで退かすには少し骨が折れる、と心中で言い分けをして、脚でバーンのからだを押しのけた。傍からみればとんだ光景だが、幸いなことにこの部屋はガゼルに与えられているものだし、それに他人の目もないのだ。人目や一般的なマナーを気にする必要はない。相変わらずバーンはぐっすりと眠りに落ちていて起きる気配もない。
ガゼルは上半身を起こすと、少し汗ばんで平素よりしなっている髪の毛を指で梳いた。無意識における彼の癖である。髪の毛を触っていると不思議と落着く気がする。
一呼吸ついてから、服を探した。床の上をざっと眺め、しかし探していたシャツはさっきまで頭があった場所でぺしゃんこになっていた。皺になっているのには少し頭にきたが、どうせすぐ着替えるのだしと割り切ることにする。
眠れるバーンを置いて、着替え終わったガゼルは部屋を出る。少し早いが朝食の時間だ。早く行かなければ食いっぱぐれてしまう。穏やかな寝息を立てるバーンを振り返ってみやる。起こしてやってもいいが、一緒に食堂へ行ったとして、そこで浴びるだろう驚愕の視線を思うとうんざりしてそんな気力もなくなる。後で文句を言われるだろうが、気にするものか。起きなかった方が悪いのだ。
「あ、……いい匂い」
リオーネの声だ。振り向くと、ことりと首を傾げてこちらを窺っている。
「これか?」
確かに朝食のマフィンやカリカリに焼いたベーコンは香ばしい香りを放っている。それのことを指しているのかと思ったのだが、彼女は違います、という風に首を横に振る。
「ガゼル様から石鹸の匂いがしたので」
「……ああ」
あの後朝食が終わってしまう前に、と風呂へ行ってきたばかりだ。説明してみせると、仮面の奥で彼女はくすりと笑った。そして何かを言いかけたのだが、食堂へやってきた何人かの大きな話し声によって遮られてしまった。誘われるように声の方へ視線を投げると、ネッパーとゴッカ、そして寝起きらしいバーンの姿があった。ガゼルは何気ない風を装って視線を外す。
「すまないが、少し聞き取れなかった」
「あ、何でもないんです。対したことじゃなくて……」
困ったように手を振るリオーネは謙虚だと思う。本人がいいと遠慮しているものを無理強いするのはガゼルの性ではなかったし、そこまで知りたいというものでもない。
ガゼルの横を通るプロミネンスたちは、バーンを真ん中にして何やら盛り上がっているようだった。何かを大きな声で話しては盛大に笑っている。少し下品すぎるくらいだ。大口を開けて爆笑する彼らに、雰囲気でもわかるほどリオーネが仮面の下で軽蔑した視線を送っていた。
「野蛮だな。うるさくてたまらない」
「ええ、まったく」
それでも、彼らプロミネンスもれっきとしたエイリア学園の生徒であって、ダイアモンドダストと変わらぬ実力を持っていることも確かなのだ。正反対の位置にいるものの、力は等しくある。意識せずにはいられない。だから余計に気になってしまう。
静かな対抗心を燃やしているリオーネの横、ガゼルは素早く朝食を食べ終えていた。朝の練習内容はいつもと同じメニューでいいだろう。新しいフォーメーションを試してみるのもいいかもしれない。
口直しのミルクを飲みながら、既に頭の中はサッカー一色になっている。ジェネシスの称号は必ずダイアモンドダストが獲得する。ガイアでもプロミネンスでもない、ダイアモンドダストが。
背中に触れるシーツが熱い。ガゼルの体温をじかに受け止めて、熱を蓄えている。シーツの熱はガゼルのそれがどれほど高まっているかを教えてくれた。
……エイリア学園にはランクが存在する。順にセカンドランク、ファーストランク、そして頂点にマスターランクが当てはまる。ガゼルたちダイアモンドダストはマスターランクで、バーンやグランも同じくマスターランクではあるものの決して仲がいいとはいえない。宇宙最強の称号、ジェネシスを得るためにマスターランクに位置する各チームはそれぞれをライバル視していて、相容れることは滅多にないのである。顔を合わせることはあっても、親しげに話すわけでもない。
グランは性格上ともかくとして、ガゼルとバーンは氷と炎そのものだ。似ても似つかないし、考え方も正反対といってもいいだろう。もちろん意思の疎通がぴったりいくわけもなく、口を開けば争いばかりが生じている。
――そんなことはエイリア学園に所属するものなら誰でも知っている。決められているわけではないが、自分たちのキャプテンをみてか、チームメイトたち同士も意識して距離を取ったりとあまり会話はない。今朝みたリオーネのあの態度。ガゼル率いるダイアモンドダストと対するバーン率いるプロミネンスには絶対的な壁が存在していた。
(それなのに……)
触れた肌は心地よかった。不思議と触れてみればしっくりと肌に馴染む。離れていた自分の一部をようやくみつけたような、郷愁にも似た心地がする。
バーンの体温はガゼルのそれより高いと思う。ためしに首元へ触れてみると、温かさが指先を通じて伝わってくる。バーンはそれを「つめてえな」と言って唇を尖らしていたが、嫌なわけではないようだ。常人よりバーンは体温が高く、逆にガゼルは低かった。触れ合うと溶け合って丁度良くなる。
伸ばした腕の先でバーンの体温をつよく感じ取る。少し熱い。こんなに熱くて、嫌になってしまわないのだろうか。ガゼルは思う。
「おいガゼル」
てのひらの下で喉が震えている。「やめろよ」
人をただの抱き枕か何かかと勘違いしているのか、腰の辺りに手がだらりと伸びている。密着し、汗ばんだ肌がなんだか気持ち悪い。
「バーン」
重たい、と抗議したところでしっかりと閉じられた瞳が開くことはないのだった。確かめてみなくてもとうにわかっている、バーンの眠りがどれだけ深いかなんてこと。いつも先に目覚めるのはガゼルの方で、壁際の方で眠る彼は狭苦しいベッドの中いつの間にか壁と接近しているのが常だった。横で眠るバーンが無意識の内に押しやっているのか、本能的にガゼルが離れようとしているのかはよくわからない。きっとそのどちらともだろう。
熱いのは好きじゃない。苦手とは違う、ただ熱くなることが理解ができないだけで、しかし巻きつく腕の暑苦しさにはやはり辟易してしまう。眠るたびバーンは腕を伸ばす。健康的な色をした腕はそこが定位置であるような顔をして、ガゼルの腹あたりにいつも存在している。
眠っている内に母親がいなくなってしまわないよう、しっかりと掴んで離さないその姿はまるで子供のようだ。しかしガゼルはバーンの母親でもなければ、ライナスのセキュリティ・ブランケットでもない。
腕力だけで退かすには少し骨が折れる、と心中で言い分けをして、脚でバーンのからだを押しのけた。傍からみればとんだ光景だが、幸いなことにこの部屋はガゼルに与えられているものだし、それに他人の目もないのだ。人目や一般的なマナーを気にする必要はない。相変わらずバーンはぐっすりと眠りに落ちていて起きる気配もない。
ガゼルは上半身を起こすと、少し汗ばんで平素よりしなっている髪の毛を指で梳いた。無意識における彼の癖である。髪の毛を触っていると不思議と落着く気がする。
一呼吸ついてから、服を探した。床の上をざっと眺め、しかし探していたシャツはさっきまで頭があった場所でぺしゃんこになっていた。皺になっているのには少し頭にきたが、どうせすぐ着替えるのだしと割り切ることにする。
眠れるバーンを置いて、着替え終わったガゼルは部屋を出る。少し早いが朝食の時間だ。早く行かなければ食いっぱぐれてしまう。穏やかな寝息を立てるバーンを振り返ってみやる。起こしてやってもいいが、一緒に食堂へ行ったとして、そこで浴びるだろう驚愕の視線を思うとうんざりしてそんな気力もなくなる。後で文句を言われるだろうが、気にするものか。起きなかった方が悪いのだ。
「あ、……いい匂い」
リオーネの声だ。振り向くと、ことりと首を傾げてこちらを窺っている。
「これか?」
確かに朝食のマフィンやカリカリに焼いたベーコンは香ばしい香りを放っている。それのことを指しているのかと思ったのだが、彼女は違います、という風に首を横に振る。
「ガゼル様から石鹸の匂いがしたので」
「……ああ」
あの後朝食が終わってしまう前に、と風呂へ行ってきたばかりだ。説明してみせると、仮面の奥で彼女はくすりと笑った。そして何かを言いかけたのだが、食堂へやってきた何人かの大きな話し声によって遮られてしまった。誘われるように声の方へ視線を投げると、ネッパーとゴッカ、そして寝起きらしいバーンの姿があった。ガゼルは何気ない風を装って視線を外す。
「すまないが、少し聞き取れなかった」
「あ、何でもないんです。対したことじゃなくて……」
困ったように手を振るリオーネは謙虚だと思う。本人がいいと遠慮しているものを無理強いするのはガゼルの性ではなかったし、そこまで知りたいというものでもない。
ガゼルの横を通るプロミネンスたちは、バーンを真ん中にして何やら盛り上がっているようだった。何かを大きな声で話しては盛大に笑っている。少し下品すぎるくらいだ。大口を開けて爆笑する彼らに、雰囲気でもわかるほどリオーネが仮面の下で軽蔑した視線を送っていた。
「野蛮だな。うるさくてたまらない」
「ええ、まったく」
それでも、彼らプロミネンスもれっきとしたエイリア学園の生徒であって、ダイアモンドダストと変わらぬ実力を持っていることも確かなのだ。正反対の位置にいるものの、力は等しくある。意識せずにはいられない。だから余計に気になってしまう。
静かな対抗心を燃やしているリオーネの横、ガゼルは素早く朝食を食べ終えていた。朝の練習内容はいつもと同じメニューでいいだろう。新しいフォーメーションを試してみるのもいいかもしれない。
口直しのミルクを飲みながら、既に頭の中はサッカー一色になっている。ジェネシスの称号は必ずダイアモンドダストが獲得する。ガイアでもプロミネンスでもない、ダイアモンドダストが。
背中に触れるシーツが熱い。ガゼルの体温をじかに受け止めて、熱を蓄えている。シーツの熱はガゼルのそれがどれほど高まっているかを教えてくれた。
……エイリア学園にはランクが存在する。順にセカンドランク、ファーストランク、そして頂点にマスターランクが当てはまる。ガゼルたちダイアモンドダストはマスターランクで、バーンやグランも同じくマスターランクではあるものの決して仲がいいとはいえない。宇宙最強の称号、ジェネシスを得るためにマスターランクに位置する各チームはそれぞれをライバル視していて、相容れることは滅多にないのである。顔を合わせることはあっても、親しげに話すわけでもない。
グランは性格上ともかくとして、ガゼルとバーンは氷と炎そのものだ。似ても似つかないし、考え方も正反対といってもいいだろう。もちろん意思の疎通がぴったりいくわけもなく、口を開けば争いばかりが生じている。
――そんなことはエイリア学園に所属するものなら誰でも知っている。決められているわけではないが、自分たちのキャプテンをみてか、チームメイトたち同士も意識して距離を取ったりとあまり会話はない。今朝みたリオーネのあの態度。ガゼル率いるダイアモンドダストと対するバーン率いるプロミネンスには絶対的な壁が存在していた。
(それなのに……)
触れた肌は心地よかった。不思議と触れてみればしっくりと肌に馴染む。離れていた自分の一部をようやくみつけたような、郷愁にも似た心地がする。
バーンの体温はガゼルのそれより高いと思う。ためしに首元へ触れてみると、温かさが指先を通じて伝わってくる。バーンはそれを「つめてえな」と言って唇を尖らしていたが、嫌なわけではないようだ。常人よりバーンは体温が高く、逆にガゼルは低かった。触れ合うと溶け合って丁度良くなる。
伸ばした腕の先でバーンの体温をつよく感じ取る。少し熱い。こんなに熱くて、嫌になってしまわないのだろうか。ガゼルは思う。
「おいガゼル」
てのひらの下で喉が震えている。「やめろよ」