回帰Ⅱ
久しぶりだなとかさぁ!と訴えつつ頭を上げると、目の前のアルベルトは妙に憮然とした表情をしている。たしかに言われてみれば、シーザーはじゃっかんアルベルトを見下ろす目線だ。
「納得いかないな。おまえ今いくつだ」
「29だよ。あんたの7つ下だ。まさか忘れたんじゃないだろうな」
「かわいい愚弟の年齢を忘れるわけがないだろう」
「おとしめてんのか誉めてんのかわかんねーよそれ。あんたのことだから、俺の年なんか忘れてたっておかしくないし。なんせあんだけ世話になったじいちゃんの葬式に来ないぐらいだからな」
アルベルトは肩をすくめてみせたが、特に言い訳もしなかった。かわりに、片手に提げていた瓶を振ってみせる。よく見れば、年代物のスコッチだ。
「一応詫びは入れにきた。死んでまであのジジイに貸し作っておくのは癪だからな」
シーザーが携帯していた短刀で、スコッチの栓を抜く。アルベルトは小さなグラスを2つ持ってきていた。
「ひとつはジジイにやるつもりだったが、まぁいいだろう。お前にやるんだったら、ジジイも文句はないはずだ」
「天国でものっすごい俺のこと罵倒してそうだけどな…」
アルベルトが、シーザーの持つグラスにスコッチを注ぐ。それから、自分の分も入れて、2人で杯を合わせた。一気にあおって、今度はシーザーが、2人分のスコッチを注ぐ。
「天国でもゆっくりしてなさそうだしな、じいちゃん。どっかから俺らのこと見下ろしてそうだよ」
「戦場で下手な手を打ってみろ。火の矢がそそがれるぞ。上空からなら陣形もよく見えるだろうからな」
「こえぇ〜俺じいちゃんとのチェスに負けて辺境の村の跡目争いをおさめてこさせられた時が一番怖かった。血縁者同士で文字通り骨肉の争いだぜ。まだガキだったのを存分に利用して両方を泣き落としたけどさ…」
「それは軍師の修練となんら関係がないな。おそらく争ってる片方がジジイの知り合いで、どうにかしてくれって頼まれたんだろう。ジジイはめんどくさがって行きたくなかっただけだ」
「ほんとかよ!?」
「と、おまえがいない間に言っていた」
「あンのクソじじい〜〜〜ッ孫に厄介なもん押しつけやがって!」
「レオンはずぼらだったからな。おまえの性格は奴の遺伝だ」
シーザーは横に立つアルベルトを思わず凝視した。意外な発言だ。
「そうなのか?むしろ神経質なぐらいのイメージだけど」
「基本めんどくさがりだったよ。あいつが神経細かにやってたのは軍事に関することだけだ。家では役立たずだってよくおばあ様がおっしゃっていた。飼い犬のルドルフのほうが役に立つ、とな」
「まさかの犬以下…天下のレオン・シルバーバーグが…」
シーザーが生まれた頃には、レオンの奥さん、シーザーにとってのおばあさんはすでに他界していたので、初めて聞くエピソードだ。当人が死んだ後で祖父の知られざる事実を知ってしまった。
風が大きく吹き抜ける。色味の異なる赤毛が揺れる。
視界の端に、横に立つ兄の黒い服がひらめき、シーザーはひとつのイメージを思い起こす。10年前に会った時、光とともに現れアルベルトといっしょに姿を消した、美しい人外の生き物。
「そういえば、アイツはどうしたんだ?金髪にオッドアイの、家ん中で剣振り回した危険人物」
「ユーバーか」
そんな名前だったか。シーザーが鷹揚にうなずくと、アルベルトはシーザーに横顔を向けたまま、口元に微笑を浮かべた。
「さぁ…どこで何をしているのか」
「え?一緒に行動してたんじゃなかったのか?」
「奴は奴だ。いつだって好き勝手に行動している」
「へえ…相棒かなんかかと思ってたけど」
「俺とユーバーが?」
アルベルトは少し見上げる位置にあるシーザーの双眸を見返して、深い翠の目を細めた。視線の高さは逆転したのに、その馬鹿にするような見下ろす態度は相変わらずだ。
シーザーはムカッときて、両腕を組み鼻を鳴らした。
「別にどうだっていいけどさ!どっちにしろあんたは今だって、ウチに帰る気はないんだろ?」
「ああ。悪いが家のことをたのむ」
「…あんたからそんな殊勝な言葉が聞けるとは驚きだな」
「これでも一応、迷惑をかけている自覚はあるのでな」
アルベルトはグラスに残った最後のスコッチを飲みきって、そのグラスをレオンの墓前に置いた。
そしてそのまま、黒衣をひるがえし、シーザーに背中を向けて歩き出してしまう。
「嫌味でも押しつけでもなく、シルバーバーグはおまえが継ぐべきだ。シーザー、おまえこそシルバーバーグの名にふさわしい」
「おまえだってシルバーバーグだろ」
「安心しろ、家名を傷つけるようなことはしない」
「そうゆうことをゆってんじゃねえよ!アルベルト!!」
シーザーが声を張り上げても、アルベルトはコートのポケットに突っ込んだ片手を抜き出し、ひらひら振ってみせるだけだ。足を止める気などさらさらない。
いつだってそうだ。シーザーは両の拳をぎゅっと握りしめた。いつだってアルベルトは立ち止まらない。ただ選びとった道を行く。その途上にシーザーなど、たいした存在ではないのだ。妨害にもならない。いつだってそうだ。
それでもシーザーは声をあげる。この声はまちがいなく兄に届いてると知ってるから。
「おまえが帰る場所はここにあるんだよ!戻ってこいなんて言わないし、好きにすればいい、だけどウチの食卓には、今だっておまえが座る席があるってこと、忘れんな!この馬鹿兄貴!!」
アルベルトは振り返らないまま、丘をくだっていった。やがて赤い髪と黒い服が町並みに溶け込んで、シーザーは力が抜けたように息を吐いた。吐き出した息はかすかに白く曇る。もうすぐ冬が来るのだ。