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群青

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彼の部屋は薄暗く、しかし風が通り抜けていた。どうやら縁台に通じる天幕が開け放たれたままだったのだと気が付いた。気の利かぬ事をしたと思いながら燭台に火を灯す。床にはまだ例の紐が転がっていた。違和感を感じた事を思い出す。あの人はこうしたものを放置するような性格ではない。
あのささやかな便りはどこにしまわれたのだったか。そう、寝台脇の小棚。備え付けの引き出し、上から三番目のやや大きなそれ。人の部屋を勝手に触ることは後ろめたかったが、状況が状況なので内心謝罪しつつそっと引き出しを開ける。
そこには手紙が詰まっていた。
ほとんどが古いものだ。分厚いものばかりで、差出人は全て同じ人物。ラズリルから発送されている。そっとそのうちの一つをめくってみると、中に書いてある事は実に他愛ない内容で、しかし親密さが滲み出ている内容だった。手ずれの跡もある。この部屋の主は何度もこの手紙を読み返したのだろう。
差出人の名前にも心当たりはあった。確か昔ラズリルがガイエン公国の一部であった頃領主であった人物の息子だ。レザーラの交友関係を、祖母も本人もあまり語った事は無かった。だが彼はラズリルの育ちだ、恐らくは親しい間柄だったのだろう。
そっと手紙を元に戻す。たくさんの手紙。どうやら文通をしていたらしい。レザーラはどれだけの返事を手紙の送り主に返したのだろうか。そんな事を思いながら、ようやく目当ての油紙を発見した。それは大量の手紙の隙間に、まるで隠すかのようにそっと押し込まれていた。

夜が明ける。
この場所は東に面しているから朝焼けと日の出が一番綺麗に見える、そう教えてくれた姉はもうこの昇る太陽に輝く海の果てに還ってしまった。空が漆黒から藍、そして薄い紫から鮮やかな朱に染まっていく。海の色もまた同じだった。沈んだ濃紺から徐々に明度を取り戻し、やがて朱を反射して鮮やかな赤と光、連なる波頭。明け方に一瞬だけ見る事のできる風景。
最後にこの風景を見たのはいつだったろうか。
父であった人の弔いの朝だったか。フレアと二人、こっそり夜明け前に抜け出して、二人で明ける空と海を眺めていた。
オベル周辺の海流は複雑なものだったが、しきたりにのっとって水葬に付される小舟が乗せられるのは東に向かう流れだった。添えるのは愛用品と白い花。姉が海の果てに持って行ったのは、今レザーラが懐にしまい込んでいるのと同じような歯車と母が好きだったという白い花、ただそれだけだったと聞いた。
──ラズリルは
ラズリルはどうだったろうか。
ラズリルは遠い。東ではなく北、モルドやミドルポートを経由してさらにその先。どれだけ時間がかかるだろう。どうせ今から出向いても間に合わない。ああ、そうだ。
彼ももうこの海の果てに行ってしまったのだ。……彼はどこまで送られてくる手紙を読んでいたのだろうか。彼の愛用品は何だったのだろう。好む白い花をレザーラは知らなかった。記憶にあるのは幼い日々に手にした小さな野の花で、だがあれは少し違うように思った。
だいたいあれはオベルでは見かけない花だ。この土地はラズリルと比較してもかなり暑い。
どこか茫洋としていた。気付けば明け方の一瞬の光は納まり、太陽はいつも通りの明るい光を投げかけていた。青い空、群青の海、連なる波頭は白く、群島の海は変わらず美しかった。
白い花が波にさらわれていくのを目の端に留めて、ああいつの間にか花を取り落としていたんだなと思った。感覚がおかしかった。そもそもどうやってここに来たのだろう。いつ?どうして?
波がざぷりと膝に当たった。身に纏っている朱地の装束が海水を吸って足にまとわりついていた。そのまま足を進める。素足の下で砂地が寄せては引く波の動きに合わせて蠢いていた。
どうしてそのまま流してくれないのだろう。……お願いだから。

叶わない事は知っている。でも願う事ぐらいは自由だろう。
お願いだから、その引く波と一緒に、海の彼方へと漂い沈み還っていく白い花と一緒に、
……そこまで連れていってください。もう何もいらないから。

背後で誰かが叫んでいた。よく分からなかった。あと誰が残っているのだろう。残ったのは悔恨と死ねない命、ただそれだけで、腕を掴まれひきずられて、いつの間にやら腰まで海の中へはまり込んでいる己に気が付いた。
「レザーラ、レー兄、もうお願いだから帰ってきてよ!お願いだから」
必死で羽交い締めにして止めようとしている声はどこか聞き覚えがある。誰だったろうか。彼も大事な人物のはずだった。
「お祖母様もレー兄の友達もいなくなってしまったけど、僕達はまだここにいるから。お願いだから、まだここにいてよ、……海の果てじゃなくて」

がくん、と唐突にレザーラの体から力が抜けた事を悟って、必死になってその体をずるずると波の届かぬ砂地まで引きずる。いつから海の中にはまり込んでいたのか、彼の体は冷え切っていた。まだそんな水温が下がる季節でもないというのに。
レー兄、という呼び方はつい叫んでしまったが懐かしい呼び方だった。まだ幼く祖母も若かった頃、そう呼んでは彼の後をついて歩いたものだ。まるで自分の子か孫のように可愛がってくれたが、その理由を知ったのはずいぶんと成長してからの事だった。
二人してびしょ濡れのまま海を眺めていた。今ではレザーラよりも己の方が外見だけなら年上になってしまった。本当は祖母と二歳しか違わないというのに。
そして彼は微かに苦笑したようだった。
「懐かしい呼び方だな」
「……たとえ僕が年取っても、レザーラは……レー兄のままだと思う。僕の中で」
「そう、か。そうやって命は循環していくんだろうな」
生まれる。育つ。やがて新たな命がさらに産み落とされ、そして老いて死んでいく。その頃には産み落とされた命がまた成長し次の世代として生きていくのだ。そうやって世界は循環していく。
「……あまり意識した事はなかったんだよ」
「え?」
「考えていなかった。……考えたくなかったのかも。分かっていたのに、いつかこうなるって。俺だけが残ってしまう。お前もだよ、あと五十年かそこらもすればきっといなくなってしまうだろう」
「……そう、だけど。でも」
「きっとその頃にはお前の子供や孫が俺を迎えてくれるんだろうな」
はは、と微かに声を立てて笑うと、そのままレザーラはがっくりと首を落とした。
「聞かなかった事にしてくれるか」
「……今の会話を」
「そうだな、それからこれから言う言葉も。その後帰ろう、……帰る場所へ。今俺が帰る場所へ」

さすがに二人して風呂に放り込まれた。丁重に。まあ国王陛下と先代の弟君という事だからだろうが、濡れた衣装を見て周囲が酷く心配そうな顔をした事は仕方のない事だろう。ある程度は彼らにも伝えるしかない。彼が聞かなかった事にしてくれと頼んだその部分は省いて。

用意された簡素な平服をのろのろと身につけた「兄」を見ながら、現在このオベルを任されている男はそっと声をかけた。
「あまり寝てないのでしょう」
「……まあね」
「部屋に戻って休んでください。……お願いだから」
「もうどこにも行かない。分かってる」
もう彼はどこにも行けない。海に還る事もできない。
作品名:群青 作家名:滝井ルト