アニアリ城滞在で非滞在エリオットEND→処刑人DEADEND
昼の時間帯、久々のエリオットの休みに、デートに行こうと連れ立って門を出たアリスの目に、途方にくれて立ち尽くす騎士の姿が入った。
アリスが恋人であるエリオットに城から帽子屋屋敷へと拉致……否、連れて来られてから、何度か城の騎士エースの姿を門前で見かけることがあった。エースがいかに迷う人間かはアリスもよく知るところであったし、こうして敵地に迷い込むのも双子の門番とエリオットの話を聞く限り、別段珍しいことでもないらしい。
ただ、頻度が格段に増えたということであった。
だからアリスはそれをいつものことだと思っていたし、出かけようとした矢先にエースに鉢合わせたのも初めてではなかった。城と帽子屋ファミリーが敵対勢力であることは知っていたが、エリオットも双子も騎士もこの世界では重要な『役付き』である以上、そう簡単に殺されはしないだろうという安心感がどこかにあった。
ウサギ(ただし成人男性、職業はマフィア)と迷子(ただし成人男性、職業は騎士)が口論している姿だけ見れば、微笑ましい笑い話のようなものだ。ブチ切れたウサギが発砲して、騎士が抜き身の剣でそれを防いでも、驚くようなことではない。この世界では人は当たり前に銃を持ち、刃物で人を傷つけるのだから。
赤い騎士の姿を見咎め、門番共またサボってやがるな、とエリオットがぼやき、アリスは苦笑する。
この面倒見の良いにんじん好きのウサギさんは、いつも手のかかる弟分に苦労させられている。苛立たしげにピクリと動いた長い耳を引っ張りたい欲望をこらえ、憤然と門に向かうエリオットにアリスは続いた。空は良く晴れている。この世界では、ルールに引っかからない限り雨は降らない、アリスはふとそんなことを思い出した。あれは誰に聞いた言葉だったろうか。
またお前かとうんざりした声を出すエリオットに、相変わらず爽やかな笑顔を浮かべたエースが道を尋ねる。道を教えても納得のいかない様子で己の主張を繰り返す騎士に、あまり短くないエリオットの堪忍袋の緒が切れた。止める間もなく銃声が響き、それをエースが剣で弾いた。アリスにとってはお馴染みの光景だ。
跳弾が怖いので少し下がり、アリスはひとつ溜息をついた。手に持ったバスケット(中身はにんじんサンドとにんじんマフィン)が重みを増した。エリオットの肩にかかった水筒(もちろん中身はにんじんジュースだ)が大きく揺れる。
せっかくの休みが台無しである。冗談ではなく火花散る攻防は、銃弾が早くなったり遅くなったりで、どこか作り物めいている。銃弾を容赦なく撃ち掛けるエリオットに、本気ではないだろう騎士が後退を始め、帽子屋屋敷から段々と離れていく。エリオットとのデートがあるので、気は進まないもののアリスも続く。
今は、寧ろ森の中だ。正直この騎士に関しては銃でも何でも使って無理やり正しい道に入り込ませたほうが良いのかもしれないという考えがアリスの頭をよぎる。友人である騎士の強さはアリスもよく知っているが、デートを邪魔されたエリオットの不機嫌は最高潮で、本気で騎士を害しかねない。
やめなさいよと声をかけようとしたとき、剣を翳すエースと目が合った気がした。
次の瞬間、アリスの頬に暖かいものが飛んできた。
エリオットが呻く。何のことだかアリスはわからなかったので、問いかけようとした。
一度振られたエースの剣が、今度は反対方向に大きく動き、エリオットが倒れた。
「え」
目の前にあったエリオットの大きな背中がなくなり、真っ赤なコートが視界に飛び込んできた。エースのトレードマークでもある赤いコートは、かつて暮らしていた城の中では見慣れた色でもあったのに、立ち木の緑が美しい森ではひどく目立つ。
「あ」
アリスに劣らず間の抜けた声を出して、騎士がぽかんと口を開けている。
エリオットだけが喋らない。
かつて嗅いだことのある嫌な臭いがしてきて、臭いの元を辿ろうとアリスは下を見た。真っ青なワンピースの上の、真っ白なエプロンに、赤い染みがついている。臭いはそこからしていた。
「あっちゃあ……やっちゃったぜ」
場違いなまでに爽やかな騎士の声が、アリスを引き戻す。
「ごめんなあ、アリス。もう少し迷うのを楽しみたかったのに、我慢できなくなっちゃった」
あんまり君たちが俺に迷うなって言うから、迷わないほうが正しいのかなあなんて思い始めちゃったんだよね、などと騎士が笑い声を立てる。
「エリオット?」
騎士の言葉より、今はエリオットが気にかかった。
「死んでるよ」
切り裂くような明快な答えが返る。嘘だ、とアリスの感情は理解を拒否したが、体中から力が抜けて、バスケットが地面に落ちた。
「これからデートだったんだろ。本当にごめんな」
嘘だ。これは夢だ。いやそもそも、この世界そのものが夢だったはずだ。この夢はひどく長く、そして居心地がよかった。マフィアでウサギで、でも一度懐に入れた人間にはとことん甘い、現実では有り得ない恋人ができて、もう少しだけアリスはこの夢を見続けることにしたのだった。
目が覚めれば、姉の待つ日曜の午後の庭なのだ。
「さて、迷ってた問題は一つ解決したんだけど……困ったな。ペーターさんは怒るだろうし、陛下も怒るかなあ」
騎士の言動には目もくれず、アリスはエリオットを見つめ続けている。
「面倒だから、仲良くここで死んでくれないかな、アリス」
名前を呼ばれてアリスは顔を上げた。騎士が笑顔を浮かべて剣を薙いだ。時間はゆっくりと感じられ、両刃の大剣が、陽光を受けて白く光る。その光を赤いものがつと横切った。
あれはエリオットの血だ、それが最後に閃いた考えだった。
*
夜になり、夕になり、昼になり、……時間帯が数回変わったあたりで、エースは腰を上げた。エリオットの姿がようやく消え、死体が時計に変わったからだ。死体は殺害現場から少し離れた茂みに持ち込み、目立つのでキャンプはせず寝ずに過ごした。
エースにはここの場所などわからないが、何回か帽子屋ファミリーの顔なしを見かけた。見かけた連中はすべて切り捨て、その死体も運び込んだ。彼らの死体はまだ残っているが、いずれ彼らも時計に変わり、残像が回収しに来るだろう。
『三月ウサギ』の時計は重要だからエースが直接『時計屋』であるユリウスに持ち込むが、他の死体は残像に任せても構わない。
問題はアリスの死体だ、とエースは傍らを見遣った。何色とも言い難いエースの仕事着に包まれて、横たわる亡骸は顔だけが覗く。瞼は閉じてある。女の子なのだから顔は重要だろうなあと思ったエースが閉じさせた。
仕事着に付着した血痕はだいぶ薄くなっていたので、エースは無造作に布を剥ぎ取り身に纏う。途端、本能的に安堵し、それに苛立ちを覚える。身分を隠しているわけでもないのに偽ることに安心する、なんて滑稽な。その感情ごと仮面をつけて押し殺して、死体の腹部から胸部を撫で上げる。
鮮やかな青のエプロンドレスからも、血はなくなりつつあった。グイと強めに押してみても滑る感触がない。だが鼓動も感じない。慕わしく疎ましい、規則的なようで不規則なリズムは二度と聞けない。
「よかった」
作品名:アニアリ城滞在で非滞在エリオットEND→処刑人DEADEND 作家名:1001