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甘く溶ける毒

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臨時休業、と綺麗でも汚くもない手書きの文字で書いた張り紙が閉め切られた戸
に張ってあった。今自分にしては珍しく、呆けた顔になっているかもしれない。
予想外だった。そりゃあ臨時なんだからそうなって当たり前ではあるのだが。土
産に持って行こうと思った真綿餅は持っていけなくなった。幹孝は大変偏食家だ。
適当に見繕った和菓子を持って行ったところで食べてもらえるかどうか分から
ない。というか食べてもらえない気がする。だからといって手ぶらでいくのも、
申し訳ないというよりかは幹孝の所に行っても非常にやりづらかった。何かしら
食べ物があった方が気が紛らわせてやりやすい。甘いものは全般的に好きなよう
なので、とりあえず甘くて、真綿餅の代わりになって、いざ食べないと拒まれて
も自分で処理出来るもの、と考えてあるものが現人の頭に浮かんだ。あれだった
ら予定よりも土産代にかけなくても済む。ただ幹孝が食べるには少しばかり庶民
的だった。でもそれ以外に思い浮かばなかったし、持って行ってみないことには
始まらない。現人はさっそく行動に移った。







スーパーのビニール袋を携えて、庭先からひょっこり顔を出すと、秋になり出し
て少しばかり肌寒くなってきたにも関わらず律儀に縁側で待っていたらしい幹孝
と目が合う。
「遅いぞ」
「遅いったってちょっとじゃないッスかー、ねえ」
袋を提げていない方の手をひらひらとふざけるようにしてやると、元から鋭い眼
光がさらに鋭利になる。感情を表すことを人を利用するのにしか使わないような
男が、自分相手だと計算抜きで機嫌を悪くしている気がしてちょっと気分がいい
。まあ、そういう自分も完璧に仮面を被って接する必要のない相手は幹孝しかい
ないような状態がここ数年続いているのだが。
「遅れたのには変わりないだろう」
「はいはい、すいやせんでしたぁー。まあこれでも食って機嫌直してちょーだい
 よ」
幹孝の隣に僅かばかり距離を置いて座って、袋に手を突っ込んで床の上に出して
みせる。置かれた物を見て、幹孝が訝しげな目をするのが分かった。まさか、見
たことすらないのか。大江家のご当主様は。
「・・・何だこれは」
「何って、ほらここに丁寧に書いてあるでしょ、雪見だいふくって」
「こんなもの見たことがない」
予想的中だ。餅に包まれたバニラアイスの断面図が描かれた、赤がバックになっ
ているパッケージをじっと見つめる幹孝を見ていたら何だか可笑しくなって、笑
いが零れた。
「何がおかしい」
「あははは、いやそんな危険物見るような目しなくてもと思って。うーん何つっ
 たらいいかな、アイス入り饅頭?そんなとこかな」
ますます幹孝の視線が欺瞞に満ちてくる。自分より12も歳食ってても知らないこ
とがあるもんなんだなと思いつつ、見せてしまった方が早そうなのでパッケージ
をビリっと開けてやった。大抵の人なら見たことがあるだろう、白くて丸いアイ
ス饅頭が二つきちんと並ぶ。表面にちらちら霜が降っているのを見たのか、ただ
の饅頭ではないということは分かってもらえたはずだ。
「冷凍饅頭か」
「あー、中身が餡子じゃないんでそれもちょっと違う。もう少ししたら食べ頃な
 んでちょっと待っててくださいねー」
「・・・・まだ私を待たせるとは、いい度胸だ」
と言いつつも現人から手渡された雪見だいふくを膝の上に乗せて幹孝は待つ。花
一つ咲かない庭と初めてみた氷菓子を交互に眺めて。現人も自分の分に買った雪
見だいふくを開けて、食べ頃を待っていた。暫くして少し表面が柔らかそうにな
ってきたところで、備え付けの薄緑の楊子をだいふくに刺す。中のアイスが溶け
てきたらしく、いい手応えを残して刺さった。
「旦那ぁ、もう食べ頃なんてそこについてる楊子で刺して食べてみて」
楊子を刺したままのだいふくを容器から掬い上げて、かじりついてみせる。買っ
てきた本人が先に食べるところを見せれば、要領もいいし、害のあるものを買っ
たわけではないことも分かるだろう。口の中にほどよい甘さのバニラアイスの風
味が広がる。絡みついてくる餅とのバランス具合は子供の頃に食べたのと変わり
なかったせいか、懐かしい味がする。大好物というわけではなかったが、それな
りに美味しく食べていた。現人がだいふくを食べる様子を見て、訝しげな様子の
まま幹孝は行動をなぞるように楊子でだいふくを刺して、掬い上げる。けれど現
人のように丸ごと一個綺麗に掬い切れず、中身を中途半端に抉ったような形で掬
い上げてしまっていた。中身を晒し出されたまま残されただいふくは、まるで狩
りの時の腹を切り開かれ、臓物を根こそぎくり貫いた獲物を彷彿とさせ、楊子に
刺さったままの残り半分のだいふくを口にしながら現人はかすかに笑った。こん
なに穏やかな時間を過ごしているのに、そんな今を裏付けているのは血生臭い、
欲望のみで繋がれた関係だなんて、この光景を見た第三者は思いもしないだろう
。上辺だけじゃ人間関係何があるか分かりゃしないものだ。ただ、ふと、計画の
過程でずっと足踏みしているような思いになることがある。これが所謂平和ボケ
というのか、平常という名の毒にかかったようになった。中身がどんなにえげつ
なかろうと、平凡だろうと、ローテーションに組み込んで均されてしまえば平常
と化す。そうして作り出された現人の平常と、幹孝の平常とが重なっている、今
のような時間の中でずっと足踏みしているような感覚に陥る。進みたいと思って
いるのに何かの障害で進めないのか、わざと自分で好きで足踏みしているのか答
えるのは、放棄だ。放棄が駄目なら、無理にでも封印してやるさ。
「っははは、だーんなぁ、上手く掬えなかったんスねえ。あーあ、中途半端に残ってら」
「黙れ」
無事に掬えた分のだいふくを咀嚼しつつ言い放つ。口調はいつも通り厳しかった
が、甘いものが口に入っているせいか言葉の切っ先が多少丸くなっている気がす
る。もそもそと口を動かして飲み込んだのち、幹孝は中途半端に残っただいふく
をじっと見つめた。その様子を隣で眺める。やはり口に合わなかったか、と内心
苦笑していると、楊子をおもむろに手にして残りのだいふくを今度は綺麗に掬い
上げて口に入れた。とりあえず口に出来るレベルではあったらしい。少し安堵す
る。気に入られて良かったという意味ではなく、また何か新しいものを買いに行
くハメにならなくてよかったという意味で、だ。
「どう?美味しい?幹孝さん」
ふと、少しちょっかいを出してやろうと思い、唯一幹孝が愛を捧げている幹孝の
母親を若干意識して聞いてやる。表情だけは慈愛に満ちた笑みなど出来るわけな
いので、意地の悪い、自身の身分相応の下衆じみた笑みだったが。幹孝が一瞬呆
気に取られて表情になる。だが次の瞬間には丹念に研いだ刀のように鋭い眼で睨
み付けられた。溢れんばかりの憎悪が空間に立ちこめる。
「気安く私の名を呼ぶな」
「えぇえー、んな本気で怒んなくたって減るもんでもないのに、」
「分かったな」
まるで一度打ち込んだら二度と抜けない太い釘で刺されたようだった。こうやっ
て互いに触れられたくないところをほじくり返してやり取りするのも平常に組み
作品名:甘く溶ける毒 作家名:豚なすび