オレンジデー
「オレンジデーってね、その、恋人同士が愛を確かめ合う日なんだって」
「愛を確かめ合う?」
バレンタインが告白の日、ホワイトデーが返礼の日であるのは、余りに有名な話である。そして、4月14日のオレンジデーはホワイトデーで両想いになった恋人同士が愛を確かめ合う日であり、オレンジやオレンジに因んだ物を持って、恋人の許を訪問するのだという。
ただし、この日の制定はティエリアの記憶通りで、降誕祭や万聖節やハロウィーンのように世界規模で有名な日ではなかった。元々は日本以外の国々で、オレンジやその花が幸せな花嫁の象徴とされていたのに肖り、日本でオレンジの出荷を産業としていた団体が創った日なのである。
それ故知名度はそれほど高くはなく、アレルヤも偶然知ったのだから、ティエリアと時期的にそう大差ないのかもしれない。
「うん。だから、ティエリアに何か贈りたいなって思ったんだけど、今は地上に降りられないから」
以前なら地上に降りた時に、何か探して購入する事も出来た。プレゼントを探すというのはなかなか大変な作業で時間もかかる。テーマがあるならもっと難しくなるけれど、贈る相手がティエリアだと思うと、アレルヤは何が良いだろうかと考えたり、あれこれ選ぶ時間すら楽しくて至福に感じられた。
けれど、今はそう簡単に地上に降りることは出来ないので、他に自分の出来ることと言ったら料理くらいなもの。
しかし、料理だってどんな簡単なものであっても、材料は必要になってくる。
プレゼント同様地上で購入してくるのが困難なので、プトレマイオスにある材料を使うことになるのだけれど、現在の戦況ではソラグランジュポイントにあるのレスタルビーイングのドッグに立ち寄ることも難しく、補給物資の積み込みもままならない。それ故物資は貴重だから、本来の食事以外の用途に使うのはどうかと思う。
それでもクリスマスやバレンタイン等の時ならフェルトに頼みこんで、若干補給物資の量を上乗せして貰ったりなんだりと手を尽くしただろう。
バレンタインやホワイトデーに至っては、『義理』などという大変有り難い言葉があるお陰で、他のクルーみんなに振る舞う事が出来るからだ。勿論いわゆる『本命』仕様はティエリアにしか作らないけれど。
でも、オレンジデーはそれらのイベントとはちょっと訳が違う、とアレルヤは個人的にだが思っていたりする。少なくともアレルヤとっては、義理や付き合いで不特定多数と楽しむものではなかった。当たり前だ。恋人と思うのはティエリア唯一人で、『愛を確かめ合う』なんて聞きようによってはプロポーズにも取れるような事を、不特定多数と出来よう筈もないではないか。
それでも折角知ったオレンジデー。初めてのバレンタインから何年も経過してしまったし、プロポーズ云々は置いておく――ティエリアが怒るだろうから、この部分は秘密にしておく――としても、アレルヤは何かをしたくて堪らなかったのだ。
だから、他のクルーにみつからないように、キッチンの使用はなるべく短時間に、且つ物資の使用は最小限に。更にオレンジを入れて、最優先事項はティエリアの口にあうもの。
それらの全ての条件を満たすには、どれが一番良いのだろう、とアレルヤはレシピを一から見直していたのだった。
「呆れちゃった…かな。ちょっと女々しいよね」
などと、説明を終えた途端、目尻を下げて照れているような情けないような苦笑をするものだから、ティエリアは呆然としてしまった。
そう。そうだった。アレルヤという人間は何処までもティエリアの事ばかり考えているような人間だった。
スメラギ・李・ノリエガ達に言わせれば以前からだったらしいが、恋人になってからはティエリアでも判るくらい、ミッションやそれに付随すること以外、本当にティエリアを基準に動いてるのではないかと疑ってしまうような人間なのだ。
そんなアレルヤが当のティエリアに気付かないほど何かに夢中だったと言っても、結局はティエリアの事を考えているわけで。
ティエリアは、苛ついた自分が馬鹿らしくなってくる。でも、それを悪くない、寧ろくすぐったいような、ほわりと暖かい感覚も同時に覚える自分がいるのも否定できない事実だった。
「……君は馬鹿か」
「う……だよねぇ」
容赦のないティエリアの一言に、アレルヤは思わずうなだれる。直後にティエリアが微笑を浮かべたのにも気付かずに。
そんな様子に、アレルヤは本当に馬鹿だ、とティエリアは思う。
互いの想いを確かめ合うのに、何か用意する必要なんてこれっぽっちもないというのに。
敢えてイベントに乗りたいならば、自分の許にアレルヤ本人が来ればいいだけだ。
赤のように強すぎず、柔らかい。そしてとても暖かい。アレルヤの持つそんな雰囲気は、彼のややきつい精悍な面立ちや好みの暗い色に反して、暖かな風合いを持つオレンジの色そのものなのだから。
ああ、そういえば。意図的ではなく、本当に偶然だけれどキュリオスやアリオスのカラーリングも、アレルヤの逞しい体躯を包む制服も、生命を守るパイロットスーツもその色だ。ほら、やっぱり特別に何かを用意する必要などないではないか。アレルヤがアレルヤである限り、オレンジは彼の色なのだ。
なんでそんな簡単な事に気が付かないのだろう。そういう所はアレルヤらしいと言えば言えなくもないけれど、全くもって呆れずにはいられない。尤もあまり聡くあられても困るけれど。
しかし、アレルヤがこのまま気落ちして、後ろ向きの思考になられても面白くない。オレンジデーとやらを教えられたにも拘わらず、放置されてもつまらない。
仕方がない、な―――。
「ならば―――君がくればいいだろう」
ティエリアは、叱られた大型犬よろしく見えない耳と尻尾を垂らして、しょんぼりとしているように見えるアレルヤにヒントを与えることにした。
「え?」
全部教えるのは癪に触るので、もっと頭を使えと言わんばかりに単的に答えだけを提示する。それに至る過程は自分で考えればいい。
案の定、意味が取れないのか、アレルヤは顔を上げたもののポカンとした表情をした。まさに鳩が豆鉄砲を食らったという顔だ。
「じゃあな」
アレルヤのそんな顔を久し振りに見たティエリアは微笑すると、上機嫌のままきびすを返して、軽やかな足取りで談話室を後にした。
そうしてティエリアが通路に出た数瞬の後。
「え、え、ええぇ!? ティエ、ティエリア、それって!?」
談話室から一人の残されたアレルヤの慌てふためいた声が響き、それを背中で聞いたティエリアは微笑みを深めた。
きっと彼はばたばたと追いかけてきて、躊躇いながら腕を伸ばして抱きしめて。少し高めの声を掠れさせながら答え合わせを強請るのだろう、と。