初恋
「ねぇ、ティエリアの初恋って、いつ?」
時を遡る事ほんの数分。
ティエリアがスケジュールの合間をぬって訪れた食堂は無人だった。
誰もが忙しいプトレマイオスだ。食事の時間がまちまちな事など多々あるし、以前の自分であれば無人を幸いと思ったに違いない。
以前とは違うとはいえ、一人では食事が出来ないような子供ではない。それでも同席する率が他のクルーよりも格段に高いアレルヤもいないのには、恋人という関係も相まって若干の寂しさを覚えてしまうけれど。
しかし、アレルヤにはアレルヤのスケジュールがある。マイスターは戦闘時にガンダムを駆れば良いだけではない。より完璧に近い状態の愛機に搭乗するために、メンテナンスや調整は勿論のこと、己の鍛錬などしなければならない事柄は数多い。
それを誰よりも知るティエリアなので、別段気にすることもなく、比較的好ましいと思えるメニューを選んで口に運んでいた。
数口食べた頃だろうか。ドアの開く軽いエアー音が一人しかいない食堂に響き、クルーの訪れをティエリアに知らせる。時間の出来た誰かが食事か休息にきたのだろう。そう思いティエリアが顔を上げると、オレンジ色の制服に身を包んだ、先程居ないと寂しいと感じたアレルヤ・ハプティズムが丁度入ってくるところだった。
「あれ、ティエリア、一人?」
「君こそ一人か?」
アレルヤの姿に僅かな喜色が浮かびそうになるが、そこは習い性。相変わらずのぶっきらぼうで――それでも以前からすれば格段に柔らかいけれど――、ティエリアは問い返す。
「うん。あ、ちょうど良かった」
「?」
何がちょうど良かったのだろうか。アレルヤは大柄の見掛けによらずおっとりとした性格であるのに加えて、ティエリアの考えもしないような突拍子の無いことをいきなり言い出す傾向がある。今度は何を思いつき、何を言い出すのだろうと、ティエリアは思わず食事をする手が止めた。
そんなティエリアの様子に気付いているのかいないのか。ティエリアの横に腰を下ろすと、アレルヤは金と銀の瞳を細めて穏やかに微笑んで言った。
「ねぇ、ティエリアの初恋っていつ?」
*****
そして冒頭の一言である。
「初恋?」
「うん、そう。初恋」
初恋。ティエリアの記憶が正しければ、初恋とは生まれて初めて恋愛感情を持つ事に他ならない筈だが、突然何を言い出すかと思えば…。恐らく他のクルー―内容的にはミレイナあたりか――と話題になったのかもしれないが、やはり突拍子もない。思わず呆れてしまうけれど、見ればアレルヤは穏やかだが何故か楽しそうにしている。
一蹴するのは簡単だ。恐らくそうすればアレルヤは大人しく引き下がるだろう。けれど、彼の楽しそうな様子にそうするのが憚れて、ティエリアは仕方なく己の過去の記憶を探り始めた。
しかし考えてみれば、自分はイノベイター。ヴェーダの生体端末として生を受けた。同じ塩基配列をもつリジェネに逢うまで全く気にしていなかったが、ソレスタルビーイングに入る前の過去はないに等しい。
過去が無いというのは語弊があるかもしれないが、記憶にない、いや、あったとしても本当に体験してのものか、情報を植え付けられたものか判断しかねるのだ。
そして、そんな境界のあやふやな記憶の中を探ってみても、初恋の定義に一致するものは一つしか見つからなかった。熟考に熟考を重ねてもやはりそれしか見当たらない。
当然だろう。記憶だけではなく、以前のティエリアはヴェーダの計画を忠実に遂行するためだけに生きていたと言っても過言ではないのだから。
「ティエリア?」
「アレルヤ・ハプティズム」
「え、はい。なぁに?」
思考の海に沈み込んだように微動だにせず考え込むティエリアを訝しみ、アレルヤが覗き込みながら声をかければ、逆に冷静な声に名前を呼ばれた。
久し振りのフルネーム呼びだ。想いを通じ合わせてからはプライベートや二人きりの時、そして再会後はティエリアもファーストネームで呼んでくれていたので、久方ぶりの呼び方を少しだけ懐かしく思う。
けれど、こんな時は大抵小言を食らう時でもあったので、下らないことを聞くなと怒られるかもしくは機嫌を損ねたかと、アレルヤはついいつも通りに返事をしたもののギクリと身体を強ばらせてしまった。
それをどう受け止めたのか、ティエリアは「違う」と首を横に振る。
「君は初恋がいつかと聞いた。僕の記憶では初恋と断定出来るのが…」
君なんだ。
けれど、それがCBでマイスターと紹介されてからすぐではないだろうし、告白されてからだと思うが違うようにも思うので、いつと言われてもはっきりしない。だから、手っとり早く相手の名前を告げた。どうせ本人だし、現在の相手でもあるので隠す必要はないだろう。
それはティエリアの至極当然だと言わんばかりの言い分だが、アレルヤからすれば想定外の大告白だ。ティエリアは冗談は言うようになったようだが、基本的に嘘は言わないから真実なのだろう。けれどやはり俄には信じられなくて、アレルヤは金銀の双眸を瞬かせた。
「ほんとに!?」
「ああ」
「うわぁ! 嬉しいよ、ティエリア!」
アレルヤはティエリアが頷くのを確認すると、パアァと満面の笑みを浮かべ、場所が公共の場・食堂である事も綺麗に忘れ去ってティエリアを抱き締めた。
無理もない。アレルヤが初恋でしかも現在進行形の恋人なのだから、ティエリアはアレルヤ以外を見ていない、受け入れていないのという事になる。勿論それは仲間とか友人などとは全く別の意味で、である。
恋人の中に存在するのが現在過去――勿論未来も、自分だけだなんてこんな嬉しいことはない。
アレルヤは嬉しさの余り力加減すら忘れて、ぎゅうぎゅうと恋人の身体を抱き締めた。
そんなアレルヤのあまりな喜びように、ティエリアは驚くと同時に笑みを浮かべた。アレルヤにもし尻尾があったなら、今のそれは盛大に振られているだろうと思い、自然笑みが深まる。
(邪険にしなくて良かった…。)
まだ人間として欠けている部分が多い自分だけれど、アレルヤがこんなに喜ぶなら正しいことなのだと思ったのだ。
が、ティエリアはハタと気付く。
ティエリアの初恋はアレルヤである。これは紛れもない事実だ。けれど、アレルヤは?
アレルヤはティエリアと違って、年齢の分だけ確かに時間を経ている筈だ。超兵の改造を施されるより以前の記憶はないから、その時間をマイナスするとしても、少なくともティエリアより人としての人生経験値はあるに決まっている。
超兵機関を脱出してからの人生が過酷だったという話はデータで見ている――あまり話したくないようなので、本人から聞いた事はない――けれど、だからといって色恋沙汰が皆無とは言えない。それにアレルヤには―――…。
「アレルヤ、君はどうなんだ。君の初恋は…」
抱き締めてくる腕は痛いほど強く、でも優しくてとても心地よかったけれど、ティエリアはその心地よさをそっと押し返した。
「―――…マリーか?」
時を遡る事ほんの数分。
ティエリアがスケジュールの合間をぬって訪れた食堂は無人だった。
誰もが忙しいプトレマイオスだ。食事の時間がまちまちな事など多々あるし、以前の自分であれば無人を幸いと思ったに違いない。
以前とは違うとはいえ、一人では食事が出来ないような子供ではない。それでも同席する率が他のクルーよりも格段に高いアレルヤもいないのには、恋人という関係も相まって若干の寂しさを覚えてしまうけれど。
しかし、アレルヤにはアレルヤのスケジュールがある。マイスターは戦闘時にガンダムを駆れば良いだけではない。より完璧に近い状態の愛機に搭乗するために、メンテナンスや調整は勿論のこと、己の鍛錬などしなければならない事柄は数多い。
それを誰よりも知るティエリアなので、別段気にすることもなく、比較的好ましいと思えるメニューを選んで口に運んでいた。
数口食べた頃だろうか。ドアの開く軽いエアー音が一人しかいない食堂に響き、クルーの訪れをティエリアに知らせる。時間の出来た誰かが食事か休息にきたのだろう。そう思いティエリアが顔を上げると、オレンジ色の制服に身を包んだ、先程居ないと寂しいと感じたアレルヤ・ハプティズムが丁度入ってくるところだった。
「あれ、ティエリア、一人?」
「君こそ一人か?」
アレルヤの姿に僅かな喜色が浮かびそうになるが、そこは習い性。相変わらずのぶっきらぼうで――それでも以前からすれば格段に柔らかいけれど――、ティエリアは問い返す。
「うん。あ、ちょうど良かった」
「?」
何がちょうど良かったのだろうか。アレルヤは大柄の見掛けによらずおっとりとした性格であるのに加えて、ティエリアの考えもしないような突拍子の無いことをいきなり言い出す傾向がある。今度は何を思いつき、何を言い出すのだろうと、ティエリアは思わず食事をする手が止めた。
そんなティエリアの様子に気付いているのかいないのか。ティエリアの横に腰を下ろすと、アレルヤは金と銀の瞳を細めて穏やかに微笑んで言った。
「ねぇ、ティエリアの初恋っていつ?」
*****
そして冒頭の一言である。
「初恋?」
「うん、そう。初恋」
初恋。ティエリアの記憶が正しければ、初恋とは生まれて初めて恋愛感情を持つ事に他ならない筈だが、突然何を言い出すかと思えば…。恐らく他のクルー―内容的にはミレイナあたりか――と話題になったのかもしれないが、やはり突拍子もない。思わず呆れてしまうけれど、見ればアレルヤは穏やかだが何故か楽しそうにしている。
一蹴するのは簡単だ。恐らくそうすればアレルヤは大人しく引き下がるだろう。けれど、彼の楽しそうな様子にそうするのが憚れて、ティエリアは仕方なく己の過去の記憶を探り始めた。
しかし考えてみれば、自分はイノベイター。ヴェーダの生体端末として生を受けた。同じ塩基配列をもつリジェネに逢うまで全く気にしていなかったが、ソレスタルビーイングに入る前の過去はないに等しい。
過去が無いというのは語弊があるかもしれないが、記憶にない、いや、あったとしても本当に体験してのものか、情報を植え付けられたものか判断しかねるのだ。
そして、そんな境界のあやふやな記憶の中を探ってみても、初恋の定義に一致するものは一つしか見つからなかった。熟考に熟考を重ねてもやはりそれしか見当たらない。
当然だろう。記憶だけではなく、以前のティエリアはヴェーダの計画を忠実に遂行するためだけに生きていたと言っても過言ではないのだから。
「ティエリア?」
「アレルヤ・ハプティズム」
「え、はい。なぁに?」
思考の海に沈み込んだように微動だにせず考え込むティエリアを訝しみ、アレルヤが覗き込みながら声をかければ、逆に冷静な声に名前を呼ばれた。
久し振りのフルネーム呼びだ。想いを通じ合わせてからはプライベートや二人きりの時、そして再会後はティエリアもファーストネームで呼んでくれていたので、久方ぶりの呼び方を少しだけ懐かしく思う。
けれど、こんな時は大抵小言を食らう時でもあったので、下らないことを聞くなと怒られるかもしくは機嫌を損ねたかと、アレルヤはついいつも通りに返事をしたもののギクリと身体を強ばらせてしまった。
それをどう受け止めたのか、ティエリアは「違う」と首を横に振る。
「君は初恋がいつかと聞いた。僕の記憶では初恋と断定出来るのが…」
君なんだ。
けれど、それがCBでマイスターと紹介されてからすぐではないだろうし、告白されてからだと思うが違うようにも思うので、いつと言われてもはっきりしない。だから、手っとり早く相手の名前を告げた。どうせ本人だし、現在の相手でもあるので隠す必要はないだろう。
それはティエリアの至極当然だと言わんばかりの言い分だが、アレルヤからすれば想定外の大告白だ。ティエリアは冗談は言うようになったようだが、基本的に嘘は言わないから真実なのだろう。けれどやはり俄には信じられなくて、アレルヤは金銀の双眸を瞬かせた。
「ほんとに!?」
「ああ」
「うわぁ! 嬉しいよ、ティエリア!」
アレルヤはティエリアが頷くのを確認すると、パアァと満面の笑みを浮かべ、場所が公共の場・食堂である事も綺麗に忘れ去ってティエリアを抱き締めた。
無理もない。アレルヤが初恋でしかも現在進行形の恋人なのだから、ティエリアはアレルヤ以外を見ていない、受け入れていないのという事になる。勿論それは仲間とか友人などとは全く別の意味で、である。
恋人の中に存在するのが現在過去――勿論未来も、自分だけだなんてこんな嬉しいことはない。
アレルヤは嬉しさの余り力加減すら忘れて、ぎゅうぎゅうと恋人の身体を抱き締めた。
そんなアレルヤのあまりな喜びように、ティエリアは驚くと同時に笑みを浮かべた。アレルヤにもし尻尾があったなら、今のそれは盛大に振られているだろうと思い、自然笑みが深まる。
(邪険にしなくて良かった…。)
まだ人間として欠けている部分が多い自分だけれど、アレルヤがこんなに喜ぶなら正しいことなのだと思ったのだ。
が、ティエリアはハタと気付く。
ティエリアの初恋はアレルヤである。これは紛れもない事実だ。けれど、アレルヤは?
アレルヤはティエリアと違って、年齢の分だけ確かに時間を経ている筈だ。超兵の改造を施されるより以前の記憶はないから、その時間をマイナスするとしても、少なくともティエリアより人としての人生経験値はあるに決まっている。
超兵機関を脱出してからの人生が過酷だったという話はデータで見ている――あまり話したくないようなので、本人から聞いた事はない――けれど、だからといって色恋沙汰が皆無とは言えない。それにアレルヤには―――…。
「アレルヤ、君はどうなんだ。君の初恋は…」
抱き締めてくる腕は痛いほど強く、でも優しくてとても心地よかったけれど、ティエリアはその心地よさをそっと押し返した。
「―――…マリーか?」