初恋
そう、アレルヤには居るのだ。闘いを厭うアレルヤの、それでも闘う理由。マリー・パーファシー。ソーマ・ピーリスとして敵対していた時期こそあったが、今はこのプトレマイオスに身を置く彼女。
マリーが恋人ではないのは、既に理解している。キスをしていたと聞いて、自分達は別れるべきだと身を引こうとしたティエリアだったが、アレルヤが必死にマリーとの関係を誤解だと言い募った経緯がある。
だから、こうして今現在も恋人関係が続いているし、初恋とは既に過去である事が多いのも勿論理解している。
けれど現在は違うとは言え、恋人の初恋の相手が目の前に居るというのは、やはり心中穏やかとは言い難い。ならば追求しなければ良いのだろうが、気になってしまったものは仕方がない。
(嫉妬…というものなのか、この醜い感情は)
きっと今の自分は歪んだ顔をしている。感情同様に歪んだ醜い顔を見られると思うと、アレルヤを見るのすら辛くなってくる。
「マリー?」
そんなティエリアを余所に、アレルヤは己の事はまるで考えてなかったように、小首をことりと傾げた。
齢二十歳を越えた、しかも相当な大柄の成人男性がしても可愛くもない仕草が、彼だと似合って見えてしまうから不思議だ。
この後に及んでそんなどうでも良い事ばかりが脳裏に浮かぶ。これも一瞬逃げなのだろう、とティエリアはおよそ自分に似つかわしくないと思われる思考に自嘲した。
「ううん、マリーじゃない。僕の初恋はね、ティエリアだよ」
「え?」
ティエリアが自嘲するのも束の間、アレルヤはさらりと言う。しかもその口調は、何を今更とでも言っているようで、ティエリアは深紅の大きな瞳を更に大きく見開いた。
「あれ? 話さなかったっけ?」
アレルヤの暢気極まりない問いに、ティエリアは盛大に首を横に振る。勢いを付けすぎて首が痛いし、くらりと目眩がしてくるし、濃紫の髪が口に入りそうになるけれど、そんな些末事に構ってなどいられない。
マリーでないばかりか、自分だなんて。聞いたこともなければ、話したこともない。いや、大体にして初恋なんて話題は、今初めてしたのであって過去一度も口にした事は無い筈だ。
何時そんな話をしたんだっ! そう突っ込んでやろうとしたが、動揺のあまりティエリアは言葉が出てこなくて、口をパクパクさせるだけになってしまった。
「マリーは大事な人だし、好きな事は変わらないよ。でも、初恋じゃない」
「し、しかし、君は…!」
「初恋は君だよ、ティエリア」
動揺するティエリアに、アレルヤはゆっくりと諭すように繰り返した。
初恋=マリーだと思われる言動をしていたかもしれない、とアレルヤは思う。何しろ一度はティエリアと破局を迎えそうになったくらいだから、きっとそうなのだろう。
マリーが大事なのも変わらない。大切な唯一の女性なのも変わらない。けれど、それはティエリアに感じる想いとは、似て非なるもの。いや、全然違うものだ。
「マリーは本当に大切。けど、初恋っていうよりも家族…かな」
「家族?」
「うん、そう」
「しかし、君はあれほど彼女を闘いから遠ざけようとしていたではないか」
「だって、闘いだよ? 誰だってずっと逢えなかった家族を戦場で見付けたりしたら、助け出したいって思うんじゃないかな」
マリーはあの超兵機関において、ハレルヤしか居なかった自分に、話しかけてくれた唯一の人間だ。ほかの人間には全く認識して貰えなかったハレルヤを理解してくれた。そして、記憶を失ったが故にE-57という番号でしかなかった自分達に『アレルヤ』と『ハレルヤ』という名前をくれた、いわゆる名付け親。
脳量子が発達していたせいかどうかは判らないけれど、マリーはとても物知りだったから、年齢的にはアレルヤの方が上だが、姉のような存在であり、超兵機関の苦しみを知る仲間でもあった。
だから、マリーに抱く想いは初恋に似てはいるけれど、恋愛のそれではなく家族のように思っているプトレマイオスの仲間に抱くものに近かった。ティエリアに対する想いとは全然違うのだ。
尤も親や兄弟姉妹を慕う想いも初恋の定義に含まれてしまうのでもあれば、反論の余地は無くなってしまうけれども。
「でも、そうなると僕の初恋って、ハレルヤになっちゃうんだけど?」
ハレルヤは今でこそ意識を感じ取ることは出来ない、アレルヤのもう一つの人格だが、双子のような大事な存在。誰よりもアレルヤを理解して、己の存在をかけて助けてくれた半身だ。好きじゃない筈がないではないか。
ハレルヤの意識が今もあったなら、それこそ烈火のごとく怒って罵倒の嵐で騒ぎ立てるだろう言葉を戯けるように言うアレルヤに、ティエリアはもう何を言ってよいのやら…。
「だから、僕の初恋はティエリアなんだよ。凄いね、僕達、初恋同士だね」
昔から初恋は実らないって言うのにね、嬉しいな。
誰から聞いたのか判らないが、アレルヤは呆然とするティエリアを前にそう言って笑った。
その笑顔はいつもの困ったような、それでいて言葉の通り心底嬉しそうでな、最近の芳しいとは言い難い戦況も相まって、あまり見られなかった笑顔で。
彼の笑顔はティエリアにとって好ましく、少し前までは見慣れたものだったのに、それと認識した途端ティエリアは顔に朱を走らせた。
感情が未熟だと自覚している自分が初めて好きと感じた人物がいて、その人物が目の前にいるアレルヤで。その恋は実って…。
それは本当に事実だから、淡々と事実を言っただけで決して恥ずかしいことではないはずだけれど、なんだか妙に恥ずかしくなって、顔は酷く熱く、鼓動が早くなってくる。戸惑い、静まれと思うけれど、そんな思考と命令は全く無視されてどんどん熱は高くなるような気がした。
「え、あれ? ティ、ティエリア?」
急に熟れたように真っ赤になったティエリアに、焦ったのはアレルヤだ。
先刻まで普通に話していたのに。初恋の相手を教えてくれた時だって、決して恥ずかしいそうではなくて、寧ろ堂々としていたくらいなのに。
何か変な事を言ってしまったのだろうか、と今までの会話を反芻してみるが、ティエリアが真っ赤に顔を染めるほどの事は言っていないと思う。
何も言わずただただ顔を赤くするティエリア――何か言える状態ではなかったのだけれど――に、アレルヤもまた動揺が伝染したかのように何故か恥ずかしくなって顔を赤らめてしまったのだった。
「おいおいおい…」
静かな、誰もいない食堂で、顔を赤くして見つめ合うカップル一組。
そんな光景を、幸か不幸かうっかり目の当たりにして、呆気に取られた人物二人。
漸くそれぞれのスケジュールや仕事が一段落ついて、食堂を訪れた二代目ロックオンことライル・ディランディと戦術予報士スメラギ・李・ノリエガである。
偶然食堂近くて合流した二人は、食堂入り口にて思わぬ光景に遭遇して、聞こえてきた内容から出ていくのもいけなくて。そのまま回れ右をしようとしたけれど、潤いの非常に少ない生活続き故か話の展開も気になって、結果的に盗み聞きをしてしまった。