輪廻の果て
臨也は館の奥にある己の自室で布団を敷き詰め寝込んでいた。先程から悪寒が走り、咳が止まらない。
まったく流行病など、と愚痴をこぼしながらそれでも早く直したい一心で布団の中でうずくまっていた。
その時、急に胸が締め付けられるような錯覚に陥る。次に何かぽっかりと何かが空いた焦燥感が募った。
病で感じていた悪寒とは違う寒気が臨也の全身を包み込む。
「みかど・・・く・・・ん?」
焦り、恐怖、不安、言葉には言い表すことなどとうてい困難な感情が臨也の内をのたうち回る。
最初に浮かんだのは帝人のこと。どうして帝人のことが頭に浮かんだのか分からない。それでも臨也は帝人の身になにかあったのだと思った。
臨也は布団から起き上がると、熱に浮かされ不自由な身体を引きづって何かに導かれるまま外へと飛び出しす。
(帝人君っ)
いつものように地脈を通り、闇を駆けめぐる事が出来ずに歯がゆい思いをしながら臨也は獣道を走っては木の幹に手を置き、休み休みながら先へと進んだ。
(確か帝人君は今日薬草を採りに行くって言ってた・・・!だったらこっちの道のはず・・・!くっそ!こうなるだったら誰か付けとけば良かったっ)
雪山に入る人間などいない。普通の人間が入ればそれは死を意味するから。自殺者となれば話は別だが、死にに来た人間は他人のことなど頓着しない。
だから失念していた、気を抜いていた。
(帝人君帝人君っどうかどうかっ!お願いだから!)
臨也は動かぬ足を叱咤しながら獣道を歩き、そして少し開けた場所に出た。
「あ、あ、あ・・・・」
目の前に広がる光景が信じられなかった。信じたくなかった。
真っ白な雪に広がるのは真っ赤な鮮血。その上にうつぶせで倒れ込んでいる帝人。近くには己の腹をかっさばいて自害している人間。
臨也は急いで、もつれる足を動かして帝人の傍へと駆け寄りその場で膝をついた。
「帝人君・・・!」
帝人の頬に触るととても冷たい。回りに敷き詰められている雪と何ら変わらない。
臨也は震える手をそのままに急いで自らが着ている衣を帝人に被せると、そのままくるませて帝人を持ち上げた。
「っ」
いつもなら軽々と持ち運べるはずなのに、病に冒された身体は悲鳴を上げる。それでも臨也は歯を食いしばって帝人を持ち直すとそのまま駆けだした。
「待っててね帝人君!いま、今すぐ医者に診せるからっ」
雪見に足が取られる。病の所為で頭が痛い。それでも臨也は走った。冷たい空気に喉が引き裂かれようとも、足が鉛のように重くとも。
ここで立ち止まるわけにはいかなかった。帝人を失いたくなかった。
帝人はぼんやりとした意識の中で誰かがしきりに自分のことを呼んでいるように感じていた。
そしてどこかもうすぐ自分は死ぬのだとも理解していた。
走馬燈のように今までのことがぐるぐる、ぐるぐる帝人の回りを駆けめぐっていく。
(あぁ、あれは初めて臨也さんと対峙したとき。あっちはそうそう、ふふ御茶屋に行って2人でお茶をした帰り道)
楽しかった。どれもこれも胸を熱くさせる記憶達ばかり。
あの満月の晩は辛かったけれど、あの夜があったから今の自分がいると思うとやはりあの夜も愛おしく思える。
(臨也さん・・・)
帝人の記憶に出てくる臨也はどれもこれも笑顔の物ばかり。笑みには色々な種類はあれど、殆どが幸せそうに笑う笑顔だった。
(臨也さん・・・・っ)
帝人は急に目頭が熱くなり、一粒の涙をかわきりにぼろぼろと涙を零してしまった。
慌てて拭うけれども涙は留まることを知らない。寧ろ更に溢れてくる。
(え、どうして・・・止まれ止まれっ止まってよっ)
手の甲で拭っても拭っても駄目で、終いには袖口で拭っていたのだけれどもすぐにびしょぬれになってしまった。
(なんで止まってくれないのぉっ・・・・!)
帝人はどうにかして涙を止めようとするがどうやれば涙を止められたのかが思い出せない。
胸が痛くて痛くてたまらない。どうして自分はここで死んでしまうのだろう。どうして何も出来ないまま終わろうとしているのだろう。
(い、嫌だよ・・・!死にたくないよっ・・・!死にたくないっ)
すると、先程までぼんやりとしていた声が急にハッキリと聞こえだした。
(ぇっ・・・)
己の名前をしきりに、せっぱ詰まった声で。帝人はその声のする方を振り向いた。
方向など分からない。けれどもその声がする方へする方へと足を向けていった。
途端に身体が重くなり、腹に鈍痛が走り出す。それでも帝人は構わず声のする方に足を向けた。気が付いたときには駆けだしていた。
「ん・・・っん・・・」
息を切らせながら走る。なりふりなど構わず走った。腹の痛みは更に増し、身体も言うことを聞かなくなり出す。
それでも帝人は走った。自分の名を呼んでいる方へと。
「っくん・・・・どくん・・・・っかどくん!」
(っ)
涙の所為で前が見えない。腹が痛くて悲鳴が漏れそうだ。それでも帝人は奥歯を食いしばり、足を動かし続けた。
「かどくん・・・!みかどくん・・・!帝人君!」
(臨也さん!)
帝人は最後の力を振り絞って前へと手を伸ばす。己の名前を呼んでいる大切な存在へと。
何度も何度も名前を呼んだ。帝人の手を握りしめながら何度も何度も臨也は呼び続けた。帝人の意識が戻ってくるようにと。
臨也の後ろではほかの妖怪たちが固唾を呑んで臨也達を見つめていた。
新羅からはもう、助けることが出来ないと言われた。それでも臨也は帝の名前を呼び続ける。
「帝人君帝人君!」
その姿は回りから見てもとても哀しい姿だった。どの妖怪達も瞳を潤ませている。
その時、臨也の腕の中で帝人の指が微かに動いた。臨也は息を呑む。
「いざ・・・や・・・さ・・・」
「帝人君!?帝人君!」
帝人は閉じていた瞳をうっすらと明け、ポロポロと涙を零しながら何かを伝えようと必死に口を動かす。
その声があまりにも小さすぎて臨也は帝人の口元に耳を近づけた。
帝人の吐息が臨也の耳朶をくすぐる。臨也は瞳を見開いて帝人を見つめた。
臨也の口がワナワナと震えだし、臨也の瞳から温か雫が零れ帝人の頬を濡らす。
「何言ってるのさ!?そんなこと言うなよっ」
臨也は大声を上げながら泣きじゃくる。妖怪の長として存在し続けてきた臨也にとって涙を流すことなど今までなかった。
帝人の手に力を込めて声を張り上げる。喉がかっと熱くなって締め付けられたかのような激痛が走った。
「ふざけるなよ!そんなことできるかよっ」
痛い痛い痛い痛い。心が引きちぎられそうだった。とどまることのない涙は帝人の目尻に落ちて、帝人の雫と交わり褥に落ちる。
帝人は最後の力を振り絞って臨也の手を握り替えし、口角をあげて笑った。口が何かを紡ぎ出す。
「っ」
ずるり、と帝人の手が臨也の手から滑り落ちた。
「あぁぁぁぁっ」
臨也の慟哭が、雪山に響き渡る。
『愛してくれて、ありがとう』
『私を・・・・わすれ、て・・・』