暦巡り
二百十日 9月1日
「超大型だって言ってるぞ」
「そうですね」
「関東上陸だって」
「らしいですね」
「この家吹き飛んだりしないかい?」
「大丈夫ですって」
「本当に? 君の家ってだいたい木で出来てるだろ、簡単に飛ばされそうなんだぞ」
「ふふ、この家は古いながらもなかなか粘り強いですからね、そうやすやすと倒壊したりしませんよ」
「そっか」
「安心ました?」
「……別に不安なわけじゃないんだぞ」
台所の半分の面積を占める年代物のダイニングテーブルの上に置かれた、これまた古めかしいトランジスタラジオがノイズまじりに気象ニュースを流している。今、日本列島に接近中の台風情報だ。
椅子に逆向きに腰掛け、寄りかかるように背もたれの上で腕を組んでいたアメリカはそのラジオをちらりと一瞥し、すぐにまた日本の背中に視線を戻した。割烹着姿の日本は流し台の前に立ち、せっせと塩むすびを量産している。万が一のときの『非常食』らしい。先ほど、いっぱいあるからひとつくらい……と、つまみ食いしようと伸ばした手を思いっきり叩かれた。まだ少し右手がじんじんする。どうせあとで自分の胃に入るのに理不尽だ。
そんなことを考えながら、黙々と作業をする日本を眺めてため息をつく。
台風さえ来なければ、今日は一緒に出かけることになっていたのに。
つまらない、と呟いてアメリカは目を閉じた。
ラジオはしきりに超大型で非常に強い台風への注意を促がしている。
がたがたと台所の小さな窓が鳴った。時折みしりと家も揺れる。雨はまだ振り出していないが、ごうんごうんとうねる風の音は大分強くなっていた。
もうすぐここは、ぱくりと台風に飲み込まれる。
「アメリカさん」
不意に名前を呼ばれて、アメリカは家の外へと向けていた意識を戻し、まぶたを持ち上げた。いつの間に移動したのか目の前には日本が立っていて、皿にいっぱい並んでいるものよりやや小型なおむすびをつまんでアメリカに差し出している。
「召し上がりませんか?」
「いいのかい?」
「ええ、ご飯が足りなくて、最後の一個がちょっと小さくなっちゃいましたから」
そう言って日本は、はにかむように表情を崩す。
そういうことなら遠慮なく。
アメリカは、塩むすびを直接日本の手から頬ばった。少し塩がきつい、いつもの味だ。
小さなおむすびはあっという間に噛み砕かれ、腹の中に落ちていく。いささか物足りない。駄目元でもう一個、と言おうとした矢先、日本の指先に付いた米粒がアメリカの目に映った。
もったいない。
そう思ったので、ほとんど反射的にはくんと米粒を指ごとくわえ、舌を使って舐め上げる。ごくりと唾液を飲み込む喉の音。米粒は小さすぎて嚥下したのかどうかよくわからなかった。
「日本の指、塩辛いね」
「それはそうでしょうとも、おむすびにぎってたんですから……おなか減ってたんですか?」
「うん、少し」
「……おむすび、もうひとつ食べます?」
「食べる!」
嬉々としてアメリカが答えると、日本は苦笑を浮かべつつ大皿のおむすびをひとつ手に取った。
END