暦巡り
小雪 11月22日
※ねこたりあ、タマ(日本猫)視点。
※ほんのりにちべーの営みっぽい表現があります。
タマは急いでいた。
縄張りの見回りとは名ばかりの散歩の途中に、雪が降りだしたからだ。
今朝から空一面を野暮ったい雲が覆っていたが、昼を過ぎてその厚みはどんどんと増したようで、町全体を暗い影の中に包み込んでしまっていた。
そんな天気を気にしつつも、日課をこなすため寒空の下に出たタマだったが、とうとうチラチラと白いものが落ち始めたのを見て、さっさと散歩を切り上げ家路につくことにしたのだ。
雪はあまり得意ではない。冷たいし、自慢の毛並みが濡れてしまう。
だいたい、そもそも寒いのも苦手だ。好きこのんでわざわざ雪の中を走り回る犬の気持ちは、タマにはちっとも理解できそうもない。
鼻の頭に落ちてきた雪の粒の冷たさに辟易しながら、タマは暖かい我が家へと、ブロック塀の上を駆けた。
「ただいま戻りました」
閉じられた玄関戸の前で、にゃあんと一声鳴く。
しかし、いつもはこれですぐ引戸を開けてくれる御主人がいっこうに現れる気配がない。
おや……と、小首を傾げる。 もしかしてタマがいない間にどこかに出かけてしまったのだろうか。
それともまた何かに熱中しているのか。
タマの御主人は物腰の柔らかい落ち着きのある優しいひとだったが、時折、周りが見えなくなるほど物事に没頭することがあった。そういうとき、タマは空気を読んで御主人には近づかないことにしている。
しかし、どちらにしろ玄関先でこうしていても家の中に入ることはできない。雪はザカザカと容赦なく降り注ぎ、タマの上にもうっすら積もりだしていた。ぶるると身を震わせてそれを払う。玄関が駄目なら庭の方に回ればいい。縁側からなら問題なく入れるはずだ。
てとてとと母屋を回り込んで庭に向かうと、タマの予想通り縁側の雨戸は閉められていなかった。
す、と足音をたてずに縁側に飛び乗る。
懲りずに毛皮まとわりつく雪を今度こそ全て振り落とし、濡れた毛並みを軽く整えてから、タマは茶の間に向かった。お気に入りの座布団がそこにある。たっぷりと綿の詰まった寝心地の良い芥子色の座布団。縁側の重い雪見障子を開けるのは、無理ではないが少々骨が折れるので、ぐるっと遠回りをして廊下側へ足を運んだ。途中、玄関のコート掛に御主人の外出用の外套が掛けてあるのを見かける。出かけた訳ではないらしい。
目当ての茶の間に着くと、前肢と頭を使って器用に襖を開ける。ここにも御主人の姿はなかった。いよいよもって二階のタマは決して入れてもらえないあかずの間にこもっている可能性が高くなった訳だか、それよりも茶の間にあった別の物にタマの目は釘付けになる。
茶の間の中央にある存在感たっぷりのそれは、一瞬でタマの心を魅了する。
寒風吹きすさぶ季節柄、登場するのを今か今かと待ち望んでいた愛しいあいつ。
「炬燵ではありませんか!」
タマが散歩に出ている間に、御主人が物置から運んできてくれたのだろう。
当初の目的だった芥子色の座布団には目もくれず、タマは炬燵に駆け寄った。千切れたような短い尾を、精一杯ぴいん、と立てて。
炬燵 is 天国。
そこは極上の幸せが約束された真冬の楽園。
はやる心を押さえ切れず、炬燵布団の端に頭を差し入れて、タマはもぞもぞと中に潜り込んだ。ぽかぽかとした暖気に歓迎され、頬がゆるむ。
良かった……と、タマは胸をなでおろす。もし炬燵のスイッチが入っていなかったら、御主人をあかずの間から引っ張り出して連れて来るという重労働をしなければいけなかったから。
「おや……?」
すっぽりと炬燵の中に入ったタマは、そこに先客がいることに気付いた。
タマの三倍は大きな猫が、あお向けに腹を出してまったりと炬燵を満喫している。特徴的なのは首のまわりだけ色違いの、マフラーを巻いたような毛並み。目元にうっすら浮き出た、人のかける眼鏡に似た模様。よく見知った猫だった。
「アメリカ猫さん」
名を呼ぶと、タマの存在に気付いたアメリカ猫がぐるりと体を反転させてこちらを向く。
「こんにちは、いらしてたんですか?」
「やあ、タマ。うちのボスも一緒だぞ」
アメリカ猫はそう言うと、きゅっと目を細めた。
アメリカ猫の飼い主はタマの御主人と仲が良いらしく、しょっちゅう遊びに来る。
少々騒がしいのが玉にきずだが、優しくしてくれるいい人だ。
「飼い主さんはどちらに?」
御主人同様、姿を見かけなかったなあと思いながらたずねる。彼はタマと同じく開かずの間には入れなかったはずだから、そこではない。
「向こうの寝室。君の飼い主もそこだぞ」
「寝室ですか?」
御主人も、と聞いていささか虚をつかれる。てっきりあかずの間に居るものとばかり思っていたのに。
「うん。ベッド……君んところでは布団ていうんだっけ? そこで二人で丸くなってるよ」
「ああ、今日は寒いですからねえ」
「俺も寒かったから一緒に丸くなろうとしたんだけどさ、ボスに引き剥がされてここに放り込まれたんだぞ。まあ、文句はないけどね。ここはパラダイスだし。ハンバーガーがあればもっと素敵だけど」
そこまで一息にしゃべると、アメリカ猫はぐぐっと大きく伸びをした。つきだした尻が炬燵の天井にくっつきそうだ。
「まったく、炬燵は素晴らしいものです。御主人たちも寒いなら炬燵に入ればよろしいのに」
布団も確かに暖かいが、炬燵には敵わない。
座り直したアメリカ猫の横にタマも腰を落ち着ける。
「俺もそう思うよ。ボスたちの行動ってたまによくわからないんだぞ。丸くなっていた時もなぜか服脱いでたし。あれって毛皮がわりなんだろ? 寒いんじゃなかったのかいって言ってやったら、ささみジャーキーをくれた」
おいしかったと笑うアメリカ猫がちょっぴり羨ましかった。タマだってささみジャーキーが食べたい。欲を言えばマグロジャーキーがいい。
御主人のところに行けばもらえるかなと思ったけれども、今さら炬燵からでる気にはなれなかった。体がぽかぽかと暖められて、ふわふわいい気分。
タマはしぱしぱとまばたきをした。
ああ、眠い。
くあああ……とあくびをひとつすれば、隣のアメリカ猫もつられたのか大あくび。
「眠いんだぞ……」
「そうですねぇ……」
独り言のようにもらされたアメリカ猫の呟きに、うつらうつらしはじめた意識でぼんやりと返事をするが、隣から聞こえるのは、すでに規則正しい寝息で。
アメリカ猫に寄り添うように身を重ね、タマもゆっくりとまどろみの中に落ちていく。アメリカ猫のふさふさした毛並みが気持ちいい。
暖かな幸せに包まれて眠りについたタマは、大好きなマグロを御主人と一緒にまる齧りする夢を見た。
END