暦巡り
大寒 1月20日
この冬最大の寒波がマンハッタンを襲来した日、俺ん家の暖房器具達が一斉に反旗を翻した。
「冗談じゃないんだぞ!」
一日の仕事を終え、ちりちりと刺すような寒さの中、ようやく暖かい我が家にたどり着いたのに、最新のはずのセントラルヒーティングシステムは完全にとち狂い、送風口からごうごうとまるでベーリング海沖のような凍える北風を吐き出していて、俺は絶望にうちひしがれながらスイッチを切るしかなかった。
このタイミングで故障だなんてついてない。
しかし、悲劇はそれで終わりではなかったのだ。
代わりにと付けたエアコンは十分ほど稼働したのち、ぼすんっ! と嫌な破裂音をさせて急停止。おいおい勘弁してくれよ……! と、リモコンをいじり回したが、エアコンは二度と息を吹き返すことはなかった。
着替えの途中だった俺は、底冷えする寒さに身震いをする。
背筋がぞおっと寒くなるのはホラーだけで十分なんだぞ!
耐えきれずにパーカーの上パーカーを重ね着して、ジャケットと、さらにコートも着込む。それでもまだ指先がかじかんで仕方がない。とにかく、なんでもいいから暖の取れるものが欲しい。
コーヒーでも淹れようかとキッチンに向かいかけた足を、はたと止める。
思い出した。確か、数年前気まぐれに買った電気ストーブがあったはず。
カナダよりもおぼろ気な記憶を頼りに物置化している空き部屋を探すと、果たしてそれは見つかった。
でも、彼は俺のヒーローにはなれなかったんだ。
ものの見事に故障していた電気ストーブはただの十インチ四方の金属の塊でしかなかったから。ジーザス、なんてこったい……。
「CHSもエアコンも修理の人が三日後しか来られないだなんて、冗談じゃないんだぞ! もっとアフターケアは万全にするべきだ!」
今日は金曜日。しかも夜。修理依頼の電話は土日は休みですと取り付く島もなく切られてしまった。冷えきった部屋の中を早足で行ったり来たりしながら、憤りのままに吐き捨てる。動いていないと凍り付いてしまいそうだ。独り言でもぼやいていないとやっていられない。
ああ、もう、くそったれ!
天をあおいで額に手をのせため息をついたら、着込みすぎたせいかバランスを崩してよろめいた。
「……うう、ほんとにもう、なんでこんなことに……寒いのは嫌いなんだぞ」
何かの呪いにしか思えない。
どうしよう、今夜はもうベッドに潜り込んで寝てしまおうか。
明日と明後日はどうする? どこか適当なホテルに部屋を取ろうか。
いいや、それよりも――
「………………そうだ、日本ちに行こう」
頭に浮かんだのは、何よりも暖かい恋人の笑顔とみかんとこたつだった。
「にほーん! 遊びにきたんだぞ! ……って、寒ううっ!?」
「おや、アメリカさん、いらっしゃい」
「なんだいこれ!? 君ん家、寒すぎるよ!」
「間が悪い時にいらっしゃいましたね、只今我が家の暖房家電はみんなストライキ中なんですよ」
いつもより多目に着物を着込んだのか、モコモコした格好の日本が申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「修理には頼んであるのですが、直るのは明日以降です」
「そんな! みんなって、こたつも!?」
俺の悲痛な叫び声に日本はこくりと頷いた。確かに居間の定位置にこたつの姿はない。
どうやら俺を襲った呪いは日本ちにまで及んでいたようだ。
……へい、神様。俺がいったい何をしたって言うんだい? 極寒を逃れて求めた安息の地までコキュートスだなんて、この仕打ちはあんまりじゃないのかい?
「……なので、久しぶりに火鉢を倉から出してきました。炭は夏にアメリカさんが置いていったバーベキューの残りを使わせて頂きましたよ。……さあさ、寒いならそんなところに突っ立ってないで火の側にどうぞ」
ずうんとのし掛かるような空気を背負い、俺は鉛のようにやたらと重い足を引きずって、手招きされるままに陶器で出来た大きな青いヒバチに近寄る。……これ、昔の日本ちでよく見かけたやつだ。
「……あったかい」
側に腰を下ろして手のひらをかざすと、じんわりとした温もりがゆっくりと染み込んでくる。やっと鉛に血がかよっていく感じ。こたつ程じゃないけど、ヒバチもなかなか捨てたもんじゃない。
そういや、昔の暖房てみんな火だったよね。暖炉とか。
しばらくそうして暖まると、ようやく人心地ついた気がした。
「お餅でも焼きましょうか?」
お正月の残りですがと、日本が炭をかき混ぜながら言う。
「それもいいけど……マシュマロはないのかい?」
「ふふ、ビスケットもありますよ。今お持ちしますね」
「やった!」
ニコニコと笑いながら日本は立ち上がる。お夕飯はお鍋にしましょうかね。という彼の呟きが聞こえてさらに嬉しくなった。
さっきまでのカチコチに凍えていた心の芯もほんのり暖かさを取り戻し、ぽかぽかと心地いい。
うん、やっぱり日本ちに来てよかったんだぞ。
END