暦巡り
春彼岸 3月17日
「半殺しだ」
静かな昼下がりに降ってわいた不穏な声。
ゆっくりと背後を見返ると、アメリカさんが入り口の暖簾を押し上げて、お勝手に顔をのぞかせたところでした。
襟足が一房ぴょこんとあさっての方向に跳ねており、まさしくいましがたうたた寝から覚めたばかりと言った風体で。アメリカさん、ぽち君と一緒に丸くなってお昼寝してましたからねえ。
ああ、彼の口から発せられた物騒な言葉に別段驚いたりしませんよ。……だって、間違っていませんから。
「ええ、おはぎですよ。アメリカさん」
以前戯れにお教えしたおはぎの別称を覚えていらしたんですね。そう言ってくすりと口の端をほころばせれば、「あのときのお説教はすっかりトラウマだからね」と、彼は大仰にため息をつきます。
「私のフィギュア壊したのにごまかして隠そうとしたからですよ。ちゃんとおっしゃってくだされば私だって――」
「怒らない?」
「……さあ、ふふふ」
言外に含んだ笑いをこぼす。釈然としないといったように、微妙な表情を浮かべるアメリカさん。心配なさらなくとも、正直に謝ってくだされば正座で五時間なんてことにはならないと思いますよ。日本刀も持ち出しません。
「……二次元が絡むと、君ってホントに――」
「はい?」
「な、なんでもないんだぞ! あ、ねえ、このおはぎ、今日のおやつ? 食べていいのかい?」
「そちらの皿の分はかまいませんよ」
十個ほどのおはぎをアメリカさん用に取り分けておいたテーブルの上の皿を視線で指し示すと、アメリカさんは早速席についておはぎに手を伸ばします。お腹が空いていたんですね。お茶を入れましょうか。
「いただきます」とすっかりなじんだ食事の挨拶を口にして、アメリカさんはおはぎを口に運びました。そして、握りこぶし大のそれを一口でパクリと。
「あんまり急いで食べるとのどに詰まらせますよ」
煎茶をたっぷりと注いだ湯呑みを皿の横に置きながらたしなめると、彼はぱちぱちと不思議そうに瞬きをします。
「らいひょうう、なんらろ!」
「口の中をいっぱいにして喋るのはあまりお行儀が良いとはいえませんね」
微苦笑を漏らせば、アメリカさんはまたお説教が始まるとでも思ったのか、あわてておはぎを飲み込みました。ゴクリと大きく白いのどが動きます。
「日本の作るおはぎはおいしいね!」
口の中をすっかり空にして、にっこりと幸せそうに笑いました。右手はもう次のおはぎに狙いを定めています。
その様子にまなじりを下げ、「ありがとうございます」と私も笑顔を返しました。
やはり、自分がこしらえたものを、美味しいと食べていただけるのは嬉しいものです。心にぽっと灯がともるよう。
二つ目もあっという間に胃の腑に収め、指に付いたあんこを舐めて「日本は食べないのかい?」とたずねるアメリカさんに、「私はまだ作業の途中ですから」と、作りかけのおはぎの材料にを指差します。
「ふーん、ずいぶんたくさん作るんだね」
と、三個目に手を伸ばしながらアメリカさんが首を傾げます。それもそのはず、おはぎは皿だけではなく、三段のお重に詰められた分もあるのです。いくらアメリカさんが健啖家とはいえ、到底二人で食べきれる量ではありません。
「お重はイタリアくんちに持っていく分ですよ」
誕生日のお祝いにと、言葉を付け足せば、合点がいったようで、「そっか」とひとこと呟き、おはぎを口の中に放り込みました。
さて、それでは残りをさっさと片付けてしまいましょうか。
さほど時間をかけず全てのおはぎも完成させ、後はお重につめづだけ――といったところで、私はアメリカさんがずいぶん静かなことに気付きました。よほど食べるのに夢中なんでしょうか。
ハムスターのように口いっぱいにおはぎを詰め込んだ彼の姿が思い浮かび、くすりと笑みを零す。
「アメリカさん、お茶のおかわりはいかがですか」
洗った手をふきんで拭きながら振り返ると、
「あっ」
「あっ」
アメリカさんは、お重のおはぎに手をつけようとしているところでした。皿の上の分はすっかり平らげきれいになくなっています。
「……アメリカさん。そちらはイタリア君のうちに持っていく分だと、私言いましたよね?」
「だ、だって、すごく美味しいからもっと食べたくて……」
「十個でも十分過ぎるくらいです。それ以上召し上がるとまたダイエットに励むことになりますよ」
「う……」
「とにかくお重のおはぎは食べちゃダメですよ。今、お茶のお代わりをいれますから」
「お茶よりコーラがいいな」
「……はい、お待ちください」
常備してあるのはダイエットコーラだからまあいいかと思いながら、冷蔵庫から小さなペットボトルのコーラを取り出し彼に渡しました。いつの間に取り出したのやら、スマフォを弄っていたアメリカさんは、その手を止めて「ありがとう」と子供のように無邪気な笑顔で受け取ります。
「今、イタリアにメールしたんだぞ。君がプレゼントを持っていくって」
「喜んでいただけると良いのですが」
重箱のふたを閉め、風呂敷に包もうかと思ったそのとき、私の携帯電話が鳴りました。件のイタリア君からです。
アメリカさんに断りをいれ電話に出ると、
「え、ちょ、どうしたんですか!?」
聞こえてくるのはイタリア君の泣き叫ぶ声で。
何か非常事態がイタリア君の身に起こったのかと思えば、断片的に聞こえてくるのは、『俺、なんか日本怒らせるようなことした!?』『ごめんなさい! なんでもするから許して!』『ヴェエエエエエエッ!』そんな謝罪の言葉たち。
待ってください。私にはいったいなんのことかさっぱりです。まったく状況がつかめません。
あまりのイタリア君の勢いに、え、あの、と口を挟めぬまま困惑していると、とんとんと肩をたたかれました。振り返ると口の端をプルプルと震わせ、楽しくて仕方ないといった様子のアメリカさんが。
彼は「これ」と言って、御自分のスマフォを私の目の前に差し出します。そこにあったのは先ほどアメリカさんがイタリア君に送ったとおぼしき一文。
『やあ、日本が君に半殺しをプレゼントするって、張り切って準備していたよ』
目が点とはまさにこのこと。
「なんてことしてくれたんですか!」
こんな文章送りつけられれば誰だって誤解して驚くに決まっているでしょう!
思わず声を大きくすると、電話口からイタリア君の怯えた声が。
「ああ、違います! 今のはイタリア君に言ったのではなくて、そもそもこれはアメリカさんのいたずらで――」
「大変だな」
「誰のせいですか!?」
この後イタリア君を宥めすかし、誤解を解くのはとても骨が折れる仕事でした。ああ、もう。ホントに、もう。
END