暦巡り
大暑 7月23日
シャラシャラと小気味良い音を立てて、削られていく大ぶりな板氷の塊。
透き通る青地に、六花の結晶にも似た美しい模様が刻まれる涼やかな江戸切子の鉢に降り積もる淡い氷の欠片は、まさに雪そのものだ。生まれる端から真夏の熱に晒され、融けて消えてしまいそうだとアメリカは思った。
藍色のさっぱりとした麻混の甚平を着た日本が、庭に設えた自分の背丈程もある氷削機の大きな丸いハンドルを回してかき氷を作っている。鉢が大きなせいか、なかなかかき氷が溜まらず、額に汗して、一心不乱に日本は氷を削っていた。先程、「食器棚からお好きな器を」と言われて、一番大きなガラスの鉢を選んだのだ。笑顔でアメリカが差し出すその鉢を見て日本が、「それは、おそうめん用の大鉢なのですが……」と、困ったように笑っていた。
だって大きい方がいいに決まっているじゃないか。
「日本、俺もそれやってみたいんだぞ!」
手持ち無沙汰で、待つのに飽きたアメリカがそう言うと、
「ええ、構いませんよ」
どこかほっとした様子で、二つ返事で了承する。日本は手を止め、首にかけていた絞り染めの手ぬぐいで汗をひとふきしてから、アメリカに場所を譲った。
「ゆっくり回してくださいね。速すぎると氷が融けてしまいます」
「オーケイ、わかったぞ」
日本に代わってハンドルを握ったアメリカは、言われた通りゆるゆるとそれを動かす。シャラシャラとまた雪が降り始めた。
ふんわりと山を作る淡雪が、器からあふれでるに到り、「もうそのへんで」と日本にストップをかけられる。
「もう少しいいだろ」
「それ以上は零れるだけですよ」
「ちぇー」
しぶしぶ諦めたアメリカは、両手で氷の入った鉢を持ち上げた。冷たくひえた鉢はもう汗をかいていて、熱を持った手のひらをひやりと濡らす。それが、とても気持ちいい。
「お好きなシロップを選んでください」
「じゃあ、このブルーのやつ!」
「はい、ブルーハワイですね」
縁側に並んだ赤や黄色のシロップの中から、日本は鮮やかな青い液体が入った瓶を取り上げ、きゅっと蓋をひねり、アメリカの持つ雪山のてっぺんに、とぷとぷと青色を注ぐ。白が青く染められていく様子は綺麗だったが、その分かさが減っていくのはなんだかもったいない気がした。
「先に召し上がっていてください。融けちゃいますから」
「うん、ありがとう」
勧められて、アメリカは縁側に腰を下ろす。
日本が絶賛するかき氷の味はいったいどんなものなんだろう。
わくわくと期待に胸を膨らませながら、大きなさじをかき氷に突き入れた。さくりと音を立てて山が崩れる。さじに盛れる限り、目一杯すくって一息にほお張った。
「……!?」
まるで何かの魔法のように、恐ろしい程簡単に口の中の氷は融けてなくなってしまった。わずかな甘みが後味として残るだけ。狐につままれたような気分だ。
もう一回と、アメリカは同じようにかき氷をすくって口に運ぶ。
「……!!」
すると今度は氷が消えるのと同時にキン……と締め付けるような頭痛がこめかみに走る。
さじをくわえたまま思わず眉をしかめたアメリカの耳に飛び込んできたのは、「大丈夫ですか?」という日本の声。「あまり急いで食べると、頭が痛くなってしまうんですよね」どこか楽しげに言う。アメリカにしてみれば楽しいどころの話ではなかったのだが。
酷い目にあったんだぞ……と力なく呟けば、「それもかき氷の醍醐味です」と、日本は笑った。
アメリカの隣に座った日本の手には赤い切子の小鉢。白い氷にかけられているのは器と同じ赤のシロップで、おそらくイチゴ味。紅白のコントラストが目に楽しい。
日差しが照りつけるけだるい真夏の午後、縁側に並んだアメリカと日本は、さくさくと氷を鳴らしつつ、甘露なかき氷を堪能する。
「アメリカさん」
しばらくしてかき氷もなくなりかけた頃、不意に日本が名前を呼んだ。
さじを動かす手を止めてアメリカがそちらを向くと、おもむろに日本は、べえ、と舌を突き出す。
「なんだい?」
その意図が良くわからず、アメリカが首をひねると、日本は一度舌を引っ込め、
「私の舌、赤くなっていませんか?」
そう言ってまた突き出した。
言われて良く見れば、確かに健康そうな薄桃の舌が、赤いシロップの色に染まっている。
「もしかして俺も?」
同じようにアメリカが舌を出してたずねると日本は、
「真っ青です」
からからと愉快そうに声を転がした。
赤と青……。
それを聞いたアメリカの中に、ふと面白い考えが浮かぶ。
「なあ、日本。今キスしたら口の中で色が混ざって紫色になるかな?」
思い付きをそのまま声に出せば、
「さあ、どうでしょう? 試してみます?」
口の端を薄く持ち上げ、目を細めた日本がくすくすと笑う。
「興味がそそられるね」
アメリカが中身のほとんど融けてしまった大鉢を縁側の板目に置くと、カランと音を立てて、切子の鉢の中でさじが揺れた。
END