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たかむらかずとし
たかむらかずとし
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The way to love "my way".

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静雄の安寧


 静雄は掌の中の卵を見つめて立ち尽くしていた。
 冷蔵庫の扉には卵皿がついている。数は八個分。でもそこは既にぴったり埋まってしまっている。
 静雄の手の中には卵が二つ。
 静雄は苛々と冷蔵庫の扉を閉めた。
「くそ」
 呟いて卵をシンクに叩き付けようとしたところで、リビングから声がかかった。
「静雄さん? 卵しまえました?」
「…竜ヶ峰」
 帝人でいいって言ったじゃないですか、とこぼしながら、子供がひょこひょことやってくる。
 静雄が片手で握っている二つの卵を見て苦笑する。
「入んなかったです?」
「…入らねえ」
「となり、空いてますよ?」
「そこはヤクルトの場所だ」
 卵は入れられない、どんなに空いていても。そんなことはできない。
 静雄がぶつぶつと呟くと、竜ヶ峰はまた苦笑した。
「ヤクルト今無いんですから、いいじゃないですか」
「だめだ」
 むっとして静雄はまた冷蔵庫の扉を開ける。卵は八つ。その横にヤクルトが二本。本当は四本入っていなければならないのだが、さっき二人で一本ずつ飲んでしまった。ぽっかり空いたスペースにまた苛々する。
「これ食うか」
 卵を指して言うと、帝人は首を傾げた。
「お腹は一杯ですけど。食べなかったらどうしますか?」
「捨てる」
 入らないなら捨てなければならない。ゴミ箱に伸ばした手を、帝人がそっと押さえた。
「じゃあゆで卵にしましょう」
 静雄はじっと卵を見下ろし、卵二つがゆで卵になったところを想像する。
「そしたら二段目に入れておいて、お昼に食べたらいいでしょ」
「…そうだな」
 白い皿に卵が一つずつ。それは中々いいアイディアに思えた。卵を捨てなくて済むし、昼飯も出来る。ゆで卵なら冷蔵庫の二段目の右奥に入れておけるから、場所の問題もない。
「じゃ、茹でちゃうんでかして下さい」
「おう、悪いな」
「いーですよ、静雄さんがやると真っ黒になっちゃうから」
 帝人ははんじゅくー、はんじゅくーと鼻歌を歌いながらシンク下から小鍋を取り出す。
 使うのは右のコンロ。無造作に水を張って、ガスをひねり、卵をコンロ脇に置く。
 静雄はそれを後ろで眺めて満足の溜め息をつく。
 さっきまでのいらだちが嘘のように消えて行く。
 使う鍋も、コンロも、置いた卵の位置も、全てが静雄の思った通り。
 竜ヶ峰帝人は静雄の理想そのものだった。



 あの日、リビングでようやく肩から下ろした竜ヶ峰は、真っ赤になって静雄を詰った。
 その後、リビングの惨状に気付いて絶句する竜ヶ峰に、静雄は訥々と己の「事情」を説明した。
 竜ヶ峰は分かったような分からないような顔で「はあ」と言い、どうでもいいけどとりあえず片付けましょう、と言った。
 二人は黙々と混沌に沈んだリビングを片付けた。
 大物を静雄が起こし、雑誌やらCDやらリモコンやら、散らかった細々したものを竜ヶ峰がしまい込む。その間も、竜ヶ峰は何一つ間違えることなく静雄のリビングを元通りにしていった。
『…お前は何で俺の思った通りにできるんだ』
 一通り片付いたあと、静雄が竜ヶ峰をほとんど睨むように見つめながらぽつりと言うと、竜ヶ峰は首を傾げた。
『なんでですかねえ?』
 僕としては普通にしてるつもりなんですけど。
 静雄はその時、心底不思議そうに首を傾げて何でもないことのように言う竜ヶ峰を見つめて、いたく感動した。
 こんな運命があるだろうか、と。
 自分を怖がらず、自分の厄介なこの性質を否定もせず、その上何の努力をすることもなく自分の好みのままに行動する人間。
 そんな人間が、こんなに近くにいる。自分を嫌わないでいてくれる。
『…竜ヶ峰!』
『ですから帝人でいいって前から何度も、ってギャア!』
 静雄は感動のあまり竜ヶ峰をかき抱き、彼がギブギブ! と必死に肩を叩くまで、初めて出会った幸福に感謝し続けていた。



 できあがったゆで卵を、帝人はタッパーに入れて冷蔵庫の二段目、一番奥の右側に置く。そこは静雄にとって「とりあえず食える状態だけどまだなんかするかもしれないもの(でも出来合いの総菜じゃないもの)」置き場だった。教えた訳でもないのに帝人はそこにそれを置く。冷蔵庫に半分身体を突っ込んだ帝人に静雄は尋ねる。
「卵、固茹でか?」
「半熟って言ったじゃないですか」
「…俺、固茹でが好みなんだけどよ」
「レンジでチンでもして下さい」
「卵はチンしたら爆発するってセルティが」
「…したんですかセルティさん…」
 不思議なことに、食事の好みは必ずしも合う訳ではない。静雄はフレンチドレッシング(少し甘め)が好きだが帝人は和風ドレッシング(わさび入り)が好きだ。静雄はハンバーグにはトマトソースでチーズがかかってないとハンバーグを食べている感じがしないが、帝人はデミグラスソース一択。帝人はウドのきんぴらをうまそうに食べるが静雄は一口食べて吐き出した(そして帝人に怒られた)。
 それでも帝人が小鉢を置く位置や、乾いた洗い物をしまう場所、あげくの果てにはリモコンをその辺に放り投げておくその位置まで、全ては静雄のルールの中だった。
 リビングのソファにだらりと腰掛けて、静雄はぼんやりと戻ってくる帝人を眺めた。ようやく頭がはっきりしてくる。
「あー…」
「はい?」
 帝人がきょとんとこちらを見る。静雄はソファに座ったままちょいちょいと帝人を指先で呼ぶ。素直によって来た帝人の頭を静雄はぐりぐりと撫で回した。
「わ!」
「悪かったな、卵。…ちょっと寝ぼけてた」
「いーですよ、そんな手間じゃないし。ていうかやっぱりぼーっとしてたんですね」
 帝人はへらりと笑った。静雄は内心ほっと安堵の息をつく。
 ───普段、静雄はあそこまで卵の位置にこだわったりはしない。いや、本当はこだわりたいのだが、それでは日常生活がとても回らないことを知っているので、適当なところで妥協する。今日のような場合だったら、我慢して卵をヤクルトの位置に入れておくか、もしくはヤクルトを全部飲んでしまって代わりに卵を入れるか。ある程度の秩序が保たれていればなんとか我慢できる程度には、静雄は高校生のときより成長したようである。
 だが先ほどのように、寝起きだったり機嫌が悪かったりすると、どうしても我慢できないときがある。この間の女を追い出した時もそうだった。
 できるだけ我慢しようと思っているのだが、中々うまくはいかないのだ。
 とにかく帝人が呆れないでいてくれて良かった、と静雄はその小さな頭をもう一度かき回した。
 帝人はまた、へらりと笑った。



 平和島静雄にとって、竜ヶ峰帝人は欠けたパズルの1ピースのようなものだった。
 平和島静雄という人間は生来どこかが決定的に欠けている。それは一般に愛情や、平穏や、甘え、より端的に言えば幸福と呼ばれるようなもので、平和島静雄は物心ついて以来それらを手に出来たことがない。彼は愛することにも愛されることにも失敗し、平穏は長くは続かない。甘え、甘えられ、甘やかす相手など、どこにもいない。それらは平和島静雄にとって永遠に欠けているはずのものだった。
(でも)
 静雄はDVDの映画を眺めてけらけら笑う子供を見て考える。
(竜ヶ峰がいた)