The way to love "my way".
蛇足&補足byたかむら
蛇足ですが
帝人の推測は当たってます。
静雄は人恋しい子供のようなもので、たまたま手を取ってくれたのが帝人だっただけ、なのです。
偶然静雄と合致するのが帝人だっただけで、「竜ヶ峰帝人」でなきゃいけないわけじゃありません。
帝人でなければいけない理由は、彼が静雄の暴力とOCD的傾向という二つの問題を乗り越えることができている、という、ただそれだけなので。
そもそもこのお話の静雄は、帝人が(恋愛的な意味で)好きなわけではないのです。
それどころか帝人を個人として見ているかどうかも怪しい。
静雄は今まで諦めていた、自分のすぐ傍で生きていてくれる可能性のある人、というのを見つけて舞い上がっています。
こいつがいれば俺は独りでなくて済む、と考えている訳です。
帝人が一生友達でいてくれれば、自分は休日を(つまり長時間を)一緒に過ごしたり、ちょっとしたスキンシップをとったり、他愛なく笑い合うことができる。誰も自分を理解できない、してくれないと悩むこともない。それはつまり、自分がこの世にたった独りの化け物でないことを確認できる、ということです。
要するに、帝人は静雄の自己承認の手段の一つ。
しかも「こいつがいれば俺は独りでなくてすむ」から一緒にいたい。帝人自身が好きなわけでも、帝人に何かしてやりたいわけでもなく。
自分に合致する人間だから。自分がいて不快にならない唯一の人間だから。帝人の感情は関係なく。
どれだけ傲慢なんだ。
静雄はまだ、自分が「自分が寂しくないために」帝人に執着していることに気付いていません。
きっと、いつまでも気付かないでしょう。
このお話の静雄は、本当に帝人じゃなきゃだめなわけではないんです。
静雄の暴力を怖がらず、OCD的傾向を許容して(もしくは学習して)いなすことのできる人間が他に現れたなら、それでも良かったんです。
帝人が言っているように、いつかそんな女性が現れたら、ほいほい結婚してしまうかもしれません。その時静雄は、単純に「自分を許容してくれる人間が二人に増えて良かったなあ」としか思わないでしょう。
帝人が運命の相手だと思ったことも忘れて。
ポジティブに考えれば、帝人のそんな性質も運命の一部なんだから、とっととくっついちまえよ!というところですが、いかんせん静雄は自分のすごく利己的な部分に気付いていない。自分が寂しくないために、竜ヶ峰帝人という個人にはほとんど何の感想も抱いていないのに、というか下手したら帝人が帝人という人格だと認識しているかどうかも怪しいのに、その「やり方」と(言い方は悪いですが)(他意のないスキンシップ的な意味での)「身体(しんたい)」を、それだけを求めて、帝人からその部分だけを抽出するみたいにして接していることに気付かない。
本編で、静雄は一度も、帝人がどんな人間なのか、それを気にしたことはありません。
※1で怖がらないのを不思議がっていますが、流してます
静雄が帝人(の個人としての存在、「やり方」だけでない、竜ヶ峰帝人そのもの)に気付くのが先か、帝人の諦めがどこか胸の柔らかなところを突き抜けて、そして消えてしまうのが先か。
ちなみに帝人の最後のセリフ、初稿では「僕はいつまでこの人の傲慢に耐えられるんだろう───…」でした。
静雄が本当に帝人を見る日は来るんでしょうか。
っつーことでですね…こんなキモイ設定を考えてしまったがために続きが全く書けません…orz
作品名:The way to love "my way". 作家名:たかむらかずとし